山形の神待ち掲示板で「神」になろう

2018年10月22日

山形の神待ち掲示板で「神」になろう

山形の神待ち掲示板に、神待ちの女性が続々と集まっているのをご存知でしょうか。

神待ちが「神待ち少女」だけを指す言葉ではなくなり、むしろ18歳以上の「大人の神待ち女性」のことを指す言葉になって以来、神待ち掲示板を利用する「神待ちの女性」の数は増加の一途をたどっているといっても過言ではないでしょう。

何らかの事情によって家がなくなってしまい泊まる場所がない女性、一時的な「家出」などで一夜の宿を探している女性などが、神待ち掲示板で神待ちをするという行為は今後もなくなることはないでしょうし、それは山形の神待ち掲示板においても例外ではありません。

むしろ、例外どころではなく、山形の神待ち掲示板は、神待ち女性たちのホットスポットにさえなりつつあると言うことができるかもしれません。

山形の神待ち掲示板では、神待ち女性たちが「神」の登場をいまかいまかと待ち構えている状況が続いていますから、このチャンスを逃すという手はありません。

山形の神待ち掲示板を使って、いますぐ神待ち女性の「神」になりましょう。

山形の神待ち掲示板で抜き差しならない神待ち膣に抜き差しする「神」

鶴岡市のラブホテル「エリーゼマリオット」にて、山形在住の二十代後半の神待ち女性であるUさんと神待ちセックスをしている最中に、神待ち掲示板をモチーフにした神待ちアダルトコンテンツ、AVやエロゲーの類の、フィクションとして語られて流通している神待ち掲示板や神待ち少女について改めて考えていた。

もちろん、私は、神待ち掲示板にまつわるアダルトコンテンツのすべてを、網羅的にチェックしているというわけではない。

むしろ、山形県在住の「神」として実際に現役で活動しているがために、それらの神待ちアダルトコンテンツのチェックをいまではほとんどしなくなってしまった、と言わなければならないだろう。

神待ちアダルトコンテンツを網羅的に鑑賞することにすべての時間を捧げるためには、私の人生はあまりにも短すぎ、また、精液の量も限られている。そのような理由もあげられるのかもしれないが、それ以上に、私の場合は、神待ちアダルトコンテンツを通して得られる「神待ち」という言葉に対する幻想がすっかりなくなってしまった、という理由のほうが大きいのではないかと思われる。

おそらくは、「神」として活動していないがゆえに「神待ち」という言葉に対して何かしら現実離れしたものを期待しているような男性のほうが、私などよりはるかに多くの神待ちアダルトコンテンツに触れているに違いない。きっと、「神待ち掲示板」とは十代の女の子とのすばらしいセックスを提供してくれる場所なのだ、という勘違いの興奮とともに。

かつての私がそうだった。私も、「神」になる以前は、これらの神待ちアダルトコンテンツに属するものを好んで鑑賞していた。そして「神」と呼ばれる存在になれば、神待ち少女と呼ばれる十代の肉体を抱くことができるのかもしれない、という憧れに近い感情を抱きながら自らの陰茎を激しくシコりあげていたのである。

神待ち女性

私、アラサーの神待ち少女なんです!

個人的に愛好しているセクシー女優が「神待ち少女」に扮しているアダルトビデオなどを眼にすると、ついつい興味本位で再生してしまうということは今でもある。

だが、「神」になってからは、アダルトコンテンツのなかで取り扱われる「神待ち」という幻想と、「神」として目の当たりにする「神待ち」の現実との乖離に苦笑してしまうことが増えてしまった。

もちろん、苦笑するのは「神待ち」および「神待ち少女」という設定に対してであって、設定はどうあれ、「神待ち少女」になりきった状態でプロフェッショナルなセックスを見せてくれるセクシー女優たちの演技には賞賛の拍手を捧げているのだし、その性的な肉体の躍動に対する賞賛の拍手は、当然ながら、敬意を込めた自慰という形に転換されることにもなるだろう。

そこで行われる射精は、「神待ち少女」であるという理由によって激しく迸るのではない。自慰をするからといって、私が、眼の前の映像にうつされている「神待ち少女」に扮したセクシー女優の肉体を、十代の肉体であると信じ切っているというわけではないのだ。

それはセクシー女優の「演技」に対する、ともすると「ブラボー!」という声さえでかねないスタンディングオベーションにも似た自慰による射精ではあるのだが、同時に、一体これのどこが神待ち掲示板なのか、というある種のシラケが含まれてもいる射精であるともいえよう。

私は「神待ち少女」を演じているお気に入りのセクシー女優のおおまかな年齢を大抵は知っているのだし、たとえ詳しくは知らなかったとしても、女優の名前を検索してわざわざ調べるまでもないのだ。アダルトコンテンツに出演しているという段階で、彼女が年齢詐称をしてアダルト業界に飛び込んできてでもいない限り、「少女」のにせものであることは火を見るよりも明らかであるからだ。

神待ち掲示板をモチーフにしたエロゲーというものもある。これも同様に、「神待ち少女」という十代の女の子を性の対象としている傾向があるが、平面として描かれているキャラクターの少女の年齢が十代であろうがなんだろうが、それを完璧に信じきることができなければ、現役で活動する「神」である以上、結局は、シラけた射精を避けることができないだろう。

もちろん、その射精は、フィクションとして描かれた「十代の神待ち少女」という架空の存在に対する没入によってなされることになるのだが、アダルトコンテンツとして創作されるエロゲーの神待ち掲示板を通してなされる自慰と、実際の神待ち掲示板における神待ちセックスはまったく別物なのだ、という射精後のシラけた冷静さは拭うことができない。拭うことができるのは白濁だけである。

神待ち掲示板をモチーフにしたアダルトコンテンツは、一見するとリアリズムに徹しているかのように見える。

それらの虚偽に満ちたリアリズム風の語り口は、「神」として実際に行動したことがなく神待ち掲示板に横たわる現実と寝たことがないような鑑賞者に対しては「神待ち掲示板を利用すれば家出をしているような神待ち少女とセックスができる」という現実があることを容易に信じ込ませるほどの力を持っているだろう。私も、そのようなリアルがあるのだろうと信じさせられた人間のうちの一人だった。

しかし、神待ち掲示板を、もしリアリズムとして語るとするならば、まず最初に消滅することになるのは、間違いなく「神待ち少女」である。

アダルトビデオやエロゲーを実際の神待ち掲示板というリアルに即してリアリズムの手法で語るとき、それがアダルトビデオであれば、撮影されることになるセクシー女優たちは女子高生たちが着るような制服をのきなみ脱ぎ捨てることになるだろうし、それがエロゲーであれば、主人公のハーレム状態を彩ることになる性的に都合のいい神待ち掲示板のヒロインたちは、金銭的な対価で身体を差し出す成人女性たちの群れがキャラクター美少女化されたもの、という形をとることになるだろう。

神待ち掲示板にまつわるアダルトコンテンツにおいては、成熟した神待ち女性があらわれる、ということは少ない。完全にゼロであるとは言い切れないのかもしれないが、ほとんどゼロといっても過言ではないのではないかと思われる。つまり、神待ち掲示板の「リアル」からは遠のいているのだ。

なにも、私はリアリズムに徹して、神待ち掲示板の「現実」をまざまざと提示するような神待ちアダルトコンテンツをしっかりと作るべきだ、などという野暮なことを言いたいわけではない。私が問題にしているのは、あからさまに「リアル」ではないものが「リアリティ」を孕んでしまうような瞬間、あるいは、「リアリティ」に到達できなかったがために白々しさをさらけ出すような間抜けな失敗の瞬間についての話なのだから。

アダルトビデオのセクシー女優たちの、「神待ち少女」という要素を抜いた上で残る彼女自身の肉体の卑猥さを前にして迸る射精や、エロゲーの「設定」を踏まえた上で、そのテクストや作画の淫猥さにのみ反応して行われる射精をして、快楽を感じながらも同時にシラけているとき、おそらく、私は「リアリティ」に到達しきったものと対峙しているのではない。その射精は惰性だ。

ここに、本当に、神待ち少女がいる。そのような「リアリティ」を、もし、私が真に受け取ったならば、おそらくは、シラけた射精などという余裕が入り込む余地はない。私は、現実の「神」として経験したことすらない、もう一つの「アダルトコンテンツ上の現実」が立ち上がってくることにおののきながら、確かに、いま、眼の前に神待ち少女がいる、という衝撃とともに存在そのものが揺さぶられて、ただただ一心不乱にシコる手を止められなくなるはずだからだ。

一方で、実際の神待ち女性の女性器に陰茎を挿入しているときにふいにおとずれる離人症のような状態、「これが、本当に女性器に挿入しているという感覚なのだろうか」「果たして、挿入しているのは自分の陰茎なのだろうか」というセックスの自明性のはしごをはずされるような感覚、現実としてセックスを行っているにも関わらずその「リアリティ」がのきなみ奪われているような感触とともに行われる神待ちセックス、というものがある。

語られた神待ち少女の「リアリティ」に打ちのめされ目の前のもうひとつの現実に揺さぶられながらシコる手と陰茎のアクチュアルな快楽は、神待ち女性を相手にした「リアリティ」を奪われた状態で行われる離人症的神待ちセックスの対極にある。当然、その逆もあるだろう。

二十代後半の酒田市在住の神待ち女性であるUさんの女性器に男性器を挿入し、汗だくになってピストン運動を繰り返しているうちに、私がふいに考え始めたのは、おおよそ、このようなことであったらしい。

つまり、どうやら、私は神待ち女性の膣のまっただなかにいながらにして、いままさに神待ちセックスをしているという「リアリティ」を完全に見失っていたようなのだ。

Uさんの女性器の襞はオーロラのように光り輝く

Uさんの女性器の襞はオーロラのように光り輝く

「リアリティ」を奪われた状態で行われた神待ちセックスから、一体、どのような神待ち体験談が書けるというのだろうか。

それとも、セックスから「リアリティ」が奪われてしまっているからこそ、自分の中から失われた「リアリティ」を回復させるために、神待ち体験談の記述を通してテキスト的な現実を立ち上げてみせる、という、ほとんどの場合が失敗で終わる無謀な営みへの欲望が湧き上がってくるのだろうか。

なんにせよ、とにかく神待ち体験談は書かなければならない。セックスしたばかりの神待ち女性、酒田市の二十代女性であるUさんとの神待ちセックスの体験談を。だが、どのようにして。私は少しばかり焦っていた。

「神待ち掲示板を使っていたらアイドル級のかわいい女子高生と出会えて、即ハメできちゃいました!やっぱり、素人女とセックスするなら風俗なんかより断然神待ち掲示板!まったく、神待ち掲示板を使い始めてからというもの、チンコが乾く暇もありません」というような、みずから「リアリティ」から遠ざかることを目的にしているとしか思えない世にあふれかえる神待ち体験談と付き合っている暇は自分にはない。

だが、あるいは、そのような怠惰な神待ち体験談を意図的に書くということは、「リアリティ」を放棄して諦めた地点に立つことを前提にしている者にのみ可能な超然的な態度である、という風にとらえれば、もしかすると職業的神待ち体験談の書き手としては成熟であるのかもしれない。

酒田市在住の神待ち女性Uさんと、鶴岡市在住の「神」である私が、山形県の神待ち掲示板を通して出会い、鶴岡市内のイタリアンを味わってから「エリーゼマリオット」で神待ちセックスをしたのは確かである。だが、それらの事実を事実のままに、ただだらだらと垂れ流すように記述したところで、その神待ち体験談がテキストとして「リアリティ」を獲得するということはおそらくないだろう。

そのような「垂れ流しのリアル」で提示されるような現実などに、私はまったく興味がない。退屈なリアルを垂れ流したところで、それが「リアリティ」をはらむなどということはまずないと考えたほうがよいだろう。もちろん、「垂れ流しのリアル」というものが効果的な語り口として使われる場合は、事情が違ってくるのかもしれないが。

私が実際に行った神待ちセックスが、神待ちアダルトコンテンツを見ながらするオナニー以上の快楽を自分に与えてくれなかっただけでなく、挿入している自分の姿をもう一人の自分が背後から眺めているというような、セックスの主体がまるで自分ではないかのような乖離の感覚さえ味わった、という事実を嘘偽りなく書く、ということは、退屈な神待ちセックスの現実を露呈させるという神待ち体験談としては、誠実といえなくもないのかもしれない。

「さっきから何を考えているんですか?」

私が運転する車の助手席に座っていた神待ち女性のUさんが、沈黙に耐えきれなかったのか、ふいに私にそう尋ねた。

私は「じつは、Uさんの女性器の中で身体的なリアリティを全面的に喪失してしまいまして。神待ちセックスをしている自分を他人事のように眺めているもう一人の自分がいたんですよ。まあ、内部の崩壊に連なるちょっとした危機的状況ってやつですね。あれほどまでにあこがれていた神待ちセックスというのも何度もまぐわっているうちに擦り切れてしまうということがあるんでしょうか。私は、なんだか、『神待ち掲示板』という言葉に幻想を抱いていた無邪気で愚かだったあの頃に戻りたくなってしまったんです。童貞を卒業して、人並みにセックスをするようになって、セックスの快楽なんてたかが知れている、セックスなんてこんなものか、と知ってしまったとき、童貞だったあのころのように、もう一度だけ純粋にセックスのことを想うことができたならば、と自分から失われてしまった何かを弔うようにして悲しんだことがあるのだけれど、『神待ち掲示板』という場所は、私に対して、そのような二度目の童貞喪失の悲しみを与えたのかもしれません。『神』として活動をはじめて『神待ち掲示板』の実態を知ることがなければ、私は、きっと、いまでも『神待ち少女』という十代の肉体とセックスすることを夢見ながら陰茎をしごいていたはずなんです。それって、すごく幸福な時間なんじゃないか、って思いませんか?でも、そんな幸福な時間は、『神』になってしまったいま、神待ち女性の膣に陰茎を抜き差ししてしまった自分には二度と戻ってくることはありません。そんなことを思って、少しばかり感傷的な気分になっていたんです」などとは、まさかUさんに対して言うことができなかった。

だから、Uさんの質問に対しては「いや、さっきのセックスがすごく気持ちよくてですね。牛が四つの胃袋のなかで食べたものを反芻するようにして、私は、私のなかにある快楽器官を四つに分割したうえで、そのなかにUさんとしたばっかりの神待ちセックスの記憶を放り込んで快楽の反芻をしていたんですよ」という嘘で答えることになった。

鶴岡市から酒田市に向かう国道7号線は夜の闇に覆われていて、道路脇に広がっているはずの庄内平野の単調な田園風景は、その単調な広大さをより果てしない広がりを持つ夜の深みのなかに溶け込ませてしまっていた。私達の車の前方には雄大な鳥海山がそびえたっているはずだったが、いくら眼をこらしても、見えてくるのは、夜の闇と、国道沿いに等間隔でそなえられているわずかな街頭の明かり、そして、対向車線から走ってくる車のヘッドライトの閃光だけだ。

翌日に仕事を控えていたUさんとの神待ちセックスであったから、ラブホテルに宿泊するわけにはいかなかった。だから、こうして夜更けに国道7号線を走って酒田市へと彼女を送り届けているのである。翌日には仕事を?そうだ。だから、彼女は、神待ち女性などではなく、単に神待ち掲示板を使っている「女性」でしかないのだ。

そんな「女性」を相手にして、神待ち掲示板を利用してのみ得られるはずの神待ちセックスのリアリティなどを求めていたというのであれば、それは、まったく本末転倒な話ではないだろうか。神待ち少女でないばかりか、彼女は、厳密な定義においては、神待ち女性ですらないのだから。

とはいえ、それが神待ちであるかどうかはさしおいても、セックスのリアリティくらいはあってもいいはずだった。どうして、私には、浮世離れしたズリネタでシコっているときのような無何有郷をさまようがごとき快楽が、セックスによってはもたらされないのだろうか。神待ち少女、という十代の肉体を抱けば、そのような快楽が与えられるのだろうか。

「でも、あのオーロラには、ちょっと笑ってしまいましたよね」

私の虚偽のセックスの感想を疑うこともなかったのか、少しばかり上機嫌な、まんざらでもないような口調でUさんが呟いていた。横目でちらりと見ると、Uさんの口元には思い出し笑いの徴候さえ浮かんでいたようだった。オーロラ?そうだ。彼女は鶴岡市のラブホテル「エリーゼマリオット」207号室の照明のことを話しているのだ。

「エリーゼマリオット」の207号室の照明を落としてブラックライトをつけると、人工的なオーロラの群れが、ブラックライトによって部屋の壁一面に浮かび上がってくる。その人工のオーロラは、エメラルドに着色されて輝く小陰唇のミニマルな配列といった様相を呈していた。その作為的なムードに影響されて、セックスは気持ちのいいものであるということを無前提に信じ切ってラブホテルにしけこんだ男女のセックスは、やはり、激しく燃え上がるものなのだろうか。

「ああ、あれは確かに傑作でしたね。私は、Uさんの女性器もまた、あのオーロラのようにエメラルドに発光して波打っていたらどうしたものかと懸念していたんですよ。ですが、それは杞憂でしたね。Uさんの女性器のビラビラはきれいな桃色で輝いていて、私は思わず感嘆の声をあげたものです。私はその声をあなたに聞かれるのが少し恥ずかしかった。あなたの生い茂った陰毛に顔をうずめるようにして、クリトリスをとつぜん激しく舐めまわしはじめたのには、じつは、そういう事情があったのです」

私は、また嘘をついていた。ブラックライトで照らされた室内で、Uさんの女性器の色は桃色に輝いているかどうかなどわからなかったからだ。しかし、嘘とはいえ、私のあからさまな女性器への言及は、助手席に座るUさんに恥じらいを与えるものではあったようだ。自分のなんてそんなにまじまじと見ることはないから、と口ごもるようにして、Uさんは顔をそむけた。車はすでに最上川を渡って酒田市内へと乗り込みつつあった。

二人の会話はもうなかった。車中には沈黙が立ち込めていて、お互いがそれぞれの暗さのなかに閉じこもるような時間が続いた。Uさんが何を考えているのかは、私にはわからなかった。「あ、もう、このあたりで大丈夫ですよ」という、Uさんからの下車を告げる声が、沈黙を破ることができる唯一の言葉だった。

「今日は、お会いできてよかったです。また、機会があったら、あのくだらないオーロラのなかでセックスできるといいですよね」

「え、ああ、そうですね。遅いのに、遠くまで送ってくださってありがとうございました」

助手席の扉に手をかけたUさんとハンドルに手を添えた私はそのような会話を交わしていた。二人とも、二度目のセックスはないだろうということを確信するようにして予感していた。そのような空気が、半開きのドアの隙間から滑り込んでくるのを感じていた。するりと車中から抜け出したUさんが、バタンと勢いよくドアを閉めると、車中にはその空気だけが色濃く漂いながら残った。

このような白々しい感謝の言葉で終わる神待ち体験は、山形の神待ち掲示板の利用においてははじめてのことではない。こうした乾ききった神待ち体験は、山形の神待ち女性の女性器のなかに初めて挿入をしたその日から、ずっと続いていたことだった。きっと、私のなかでは、神待ち掲示板というものは、その利用開始とともにすでに崩壊を始めてもいたのだ。

神待ちアダルトコンテンツの幻想が破られ、神待ち女性との神待ちセックスからはリアリティを導き出すことができない。私はこれからどこへ向かえば快楽を得ることができるのだろうか。

神待ちアダルトコンテンツや生身の肉体を持った神待ち女性に対して私が幻滅している以上、やはり、私は、私の神待ち体験談のなかでだけ生きている神待ち少女を作り出すしかないのだろうか。その神待ち少女に必死になって「リアリティ」を与えようと苦心しながら……

酒田市から鶴岡市に戻る道中、射精後の眠気に襲われたというわけでもないのに、私はしばし車を走らせるのを忘れて信号機の前で止まっていたようだった。背後からけたたましく鳴らされるクラクションでハッとなってアクセルを踏み込むまでの間、私は、どうやら、そのようなことを考えこんでいる自分にまるで気づいていなかったのだった。その時間は、深い眠りにも似た無防備な時間だったのかもしれない。

私のなかでわずかに浮かびかけた神待ち少女の面影は、車の加速とともに、ひき逃げでもされたかのように、私の車が停滞していた地点に置き去りにされたようだった。

鶴岡市までの暗い国道はどこまでも続いていくように見えた。車をいくら走らせてもどこにもたどりつけない。たどりついたとしても、そこは目的地ではない。私の前途には行き止まることすらない退屈な道がだらしなく伸びているばかりだった。

山形の神待ち掲示板で庄内地方の神待ち熟女とセックス行脚

山形市内の神待ち掲示板を使う人間のなかには、「神待ち少女」という十代の女の子の禁じられた身体との性的接触のみに異様なこだわりを見せて、神待ち掲示板というものに見切りをつける、あるいは、神待ち掲示板というものに悪態をつく、というタイプの「神」もいるようです。

私は成熟した女性、極端にいえば熟女と呼ばれるような年齢層の女性を愛しておりますから、私にとっては、神待ち少女というものが排斥されたあとの、現在の荒廃したといわれることもある神待ち掲示板というのは、実に使いやすく、自分の活動を密やかに展開する場所としてはうってつけの環境なのです。

山形の神待ち掲示板で「神」として活動をするというのは、孤独な道を一人で踏みしめるということでもありますから、他の「神」と膝を交えて会話をする、ということは滅多にありません。ですから、自分以外の「神」がどのような「神」として神待ち掲示板を利用しているのか、ということを知る機会は、ほとんど訪れません。

私が、自分が考える「神」としてのヴィジョンのもとでしか行動できないのと同様に、私以外の「神」もまた、彼が考える「神」として行動することしかできないのですから、まれに交流が発生し、お互いの「神」としてのありかたをポツリポツリと口にすることがあっても、精神的交感とも呼べるような関係に至ることはまずありません。お互いの孤独を確認し、微細なすれちがいを実感するだけでしょう。

断絶を感じざるをえない「神」同士の対話を終え、それぞれの孤独の場所である神待ち掲示板に戻っていったあとは、私も、私以外の「神」も、それぞれの「神」としての役割を、自分だけの神待ち掲示板で、ひっそりと静かに遂行することしかできないのです。

その孤独な営みについて、とやかく口を出すことはできないでしょう。とはいえ、私は、自分の性癖が「神待ち少女」に属するものでなくて本当によかった、ということだけは、他の「神」との少ない交流のなかで、つくづく思うのです。

神待ち女性のMさん

おばさんですから、「神」という名のお迎えを待つ身かもしれません

山形市内に住む「神」である私が、金曜日の夜から日曜日の朝までの週末の余暇を活用し、ちょっとした気分転換も兼ねて、メインの狩場ではない庄内地方にまで足を伸ばす二泊三日の神待ち掲示板小旅行を行ったときのことです。

私は、あるひとりの、「神待ち少女」という禁忌的な存在に異様にとらわれて、ほとんど呪われているのではないかとさえ思われる「神」の男性と話をする機会を持ちました。

神待ち小旅行の初日の夜、庄内地方の神待ち熟女との濃厚セックスを無事につつがなく終えた私は、事前の想定をはるかに上回るような快楽をもたらしてくれた神待ち熟女とのセックスによって大きな満足を抱くことになり、すでに出会い交渉が成立しており翌日に神待ちセックスをする予定を控えていた二人目の庄内熟女に対する期待が否応なく高まり、浮き足立っていました。

三十代前半の私よりも干支が一回りほど上であった神待ち熟女のMさんと過ごした「エリーゼティアラ&アルファ」における官能的な一夜については、多言を弄することができません。

神待ち熟女の、間もなく閉経を迎えることになるであろう熟れきった女性器の味わいは、「神待ち少女」こそが神待ち掲示板を通して得られる悦楽の頂点であるとする神待ち掲示板の主流の層にはあまり興味がもてないたぐいのものでしょうし、抱き合ったときに鼻腔をつく熟女特有の加齢臭と、それを打ち消そうとする強すぎる香水のフレイバーとがまじりあった、熟女フェチ以外の人間には悪夢的かもしれないような複合的な体臭が放つあのかぐわしい魅力は、言語化を拒むような性質を持つからです。

熟女の朝は早く、私が数度の射精による深い眠りから目覚めたとき、熟女はすでに身支度や化粧などを整え終えていて、ベッド脇のソファに悠然と座ってちょうどディオールのジャドールを身にまとわせているところでした。

前夜に数回戦ものセックスをしたとは思えないほどの不能知らずの私の陰茎のあまりにも雄渾すぎる朝勃ちは、熟女の身体をまさに包んだばかりのジャドール特有のフローラルかつ芳醇な香りに官能を刺激された結果だったのかもしれません。

目覚めの放尿をするために寝ぼけ眼をこすりながら入ったトイレにおいては、生活者としてベテランである神待ち熟女の手によってトイレットペーパーの先端が几帳面に三角形に折られている光景さえ目撃することができました。ベッドの上では苦笑させられるほど淫らではしたないのに、こういうところはしっかりしている。私の寝起きの顔には、熟女に対する愛おしさから微笑みが浮かんでいたのではないかと思います。まったく、これ以上は考えられないような素晴らしい朝でした。

神待ち熟女に遅れて身支度を整え、熟女を余目駅まで送るために、「エリーゼティアラ&アルファ」をチェックアウトして車に乗り込むと、ちょうど、私達とは別のカップルが乗り込んだ車が「エリーゼティアラ&アルファ」から出ようとするところに折り悪く鉢合わせることになりました。

私たちは、彼らの車を先に譲ったのですが、そのカップルは、興味本位で少しばかりフロントガラスからのぞき見した様子では、私と熟女の陰画であるかのような、年齢が裏返すように真逆の壮年男性と若い女性という奇妙な組み合わせでしたから、私と神待ち熟女は「もしかすると、彼らも神待ち掲示板の住民なのかもしれませんね」などと軽い冗談を交わしあったのでした。

私たちの車は彼らの車のあとに続くことになりましたが、この追尾はそう長くは続きませんでした。私たちの車が国道112号線を右折するときに、彼らの車はそのまままっすぐに走り去っていったからです。おそらくは、酒田市方面へと移動したのでしょう。

余目駅に到着し、今度は、貴女が山形市内に遊びにくるときに連絡をいれてほしい、というようなことを告げて神待ち熟女と別れると、私は、次にセックスをする予定でいた別の熟女に会うまえに、身に染み付いた熟女の香水のにおいを少しでも落とそうと思い、「庄内町ギャラリー温泉町湯」に向かうことにしました。

この、香水のにおいを落とすためにする温泉への移動は、決して「浮気」対策などではありません。熟女の体臭をこよなく愛する私としては、自分の体臭を可能な限りフラットにした白紙の状態で、セックスをすることになる熟女特有の目が眩むような体臭を思う存分に堪能する必要があります。ですから、その欲望を満たすために、一人目の熟女のにおいを汗とともに流し去りたかったのです。

「庄内町ギャラリー温泉町湯」の駐車場に車をとめようとして空いているスペースを探していたとき、私は「オヤ?」と思いました。つい先だって「エリーゼティアラ&アルファ」で鉢合わせた壮年男性の車が「町湯」の駐車場に停まっているのを発見したからです。私には車のナンバーなどを一目見て把握する程度の映像記憶の能力がありましたから、庄内ナンバーのその車が、ラブホテルで見かけたのと同じ車であることは、ナンバープレートを見れば火を見るより明らかでした。

前夜に同じラブホテルの別のコテージにいた人間が、今度は同じ風呂場にいるらしいということは、普段の私であれば「抵抗」を感じるような出来事だったのですが、神待ち熟女のMさんとのセックスによって上機嫌に浮き足立っていた私は、この日は、なにか好奇心をくすぐられるような感情を抱いてしまいました。

「町湯」のフィンランドサウナに足を踏み入れますと、むっとする熱気で蒸されている数人の男性客のなかに、あのフロントガラス越しにちらりと見やった男性の顔を見つけることができました。彼のほうは、どうやら、私には気づいていなかったようです。彼は、なにか、思いつめたような顔をしていて、放送されているテレビに眼は向けられているものの、その画面の奥の深淵をジッと覗き込んでいるように見えました。

私は、不思議な直感のようなもので、この男性は「神」に違いない、と判断していました。ですから、サウナ室のなかでは他人に話しかけない、という個人的に設定したサウナマナーに属するルールを破ってでも、この男性に話しかけたい、という好奇心をどうしてもおさえることができなかったのです。

私は無作法なサウナ客を装って、比較的空いているサウナ室のなかで、彼の隣に接近するような場所にわざわざ座り、サウナ初心者であるかのようなふりをして暑さに顔をしかめて「うわ、ヤバいな」などという独り言を呟きました。

いささか不器用なやり方ではありますが、他人に物怖じしない人懐っこい人間というイメージを、サウナ中にアピールしようとしたのです。目的である男性は、私のほうをちらりと一瞥してからまた正面に向き直り、自分の深淵を覗き込む孤立した時間のなかに即座に戻っていきました。

三分ほど蒸されたのを見計らって、私は、ついに隣の男性に話しかけることになりました。とはいえ、いきなり神待ち掲示板の話をふるわけにもいきませんから、自分が山形市内からちょっとした息抜きで遊びに来ている人間で庄内地方にあまり詳しくないのでおすすめの居酒屋などがあれば教えていただきたい、というような切り口で話しかけることにしました。

黙考をさえぎられた壮年の男性は、最初は、私の話に相槌を打ちながら言葉少なに返答をするばかりだったのですが、一度話し始めてしまったからにはもう一人の時間には戻れないのだろうと判断したのか、気持ちを切り替え、しばらく言葉を重ねているうちに、次第に、人間らしい会話をする程度に心をひらいてくれたようでした。

神待ち熟女の性欲についていくだけでも精一杯

神待ち熟女の性的な乱れのすさまじさについていくだけでも精一杯

「同じ県内でも、こっちのほうはほとんど来たことがなくて。月山を挟んだだけでまったくの未知なのですから、すっかり途方に暮れてしまいましたよ」というようなことを言って、ほとほと困り果てているのだ、という悩みを告白すると、壮年の男性は、年長者らしい鷹揚な口調で何軒かのおすすめの居酒屋を教えてくれたり、この「町湯」を選択したのは初訪問にしてはなかなかの遊び上手なのではないか、と私のセンスを褒めてくれたりと、深淵を見つめているようだったときと同一人物だとはとても思えないような柔らかな態度をとったものでした。

しかし、私は、何も世間話をするためにこの壮年男性に話しかけたのではありません。この男性が「神」であると踏んで話しかけたのですから、折を見て核心にふれていく必要がありました。

そこで私は、じつは、と、ちょっと心を開いた人には自分のことをあけすけになんでも話してしまう口が軽い人間を演じながら、わざわざ月山を超えて庄内地方くんだりまで足を伸ばしたのには恥ずかしい理由がありましてね、と汗だくの頭をぽりぽりとかきました。

ほう、そうですか、恥ずかしい理由ですか、と首をこちらに向けて私の話にしっかりと耳を傾ける姿勢になっていた壮年男性は、旅の恥はかき捨てなのだからなんでも告白しなさい、というような話の続きをうながす表情で前かがみになりました。私はそこを見計らって「実は、私は、神待ち掲示板というものを使って、庄内地方の熟女とセックスをしにきたのですよ」と、とくに「神待ち掲示板」という言葉が印象的な響きとしてよく通るような声になるように気を使いながら発話しました。

「神待ち掲示板」という言葉を聞いた瞬間、壮年男性の顔は一瞬の動揺ののちに硬直し、高温サウナで蒸されて流れ出ていたのとはまるで違ういやな質感の冷や汗が背筋に一筋つつーっと流れ落ちた、というような表情になりました。私の直感は、どうやらあたっていたようなのです。

私は、壮年男性が「神」であることに明らかに気づいていながらもそれを巧妙に隠しながら、どうされました、顔色があまりよくないようですね、ああ、もうかれこれ十分もサウナに蒸されていますからね、などと軽佻浮薄にまくしたててから、間をおいて、さきほども神待ち掲示板で出会った熟女とセックスしてきたばかりなんですよ、という一言を添えるのを忘れませんでした。

「神」である壮年男性は、また相槌だけをするようになりました。それを見た私は、ああ、神待ち掲示板なんて「神」でもない普通の人にいきなり言ってもわからないですよね、誰も彼もが「神」であることを前提にしてしゃべってしまうというのはまったく私の悪い癖です、えっとあの、神待ち掲示板というのはですね、とさらに饒舌に喋り続けました。すると、「神」である壮年男性は、いや、大丈夫です、知ってますから、と私の話を遮って沈黙しました。

ことさらわざとらしく、「え?」といった私に対して、壮年男性は、他のサウナ客に聞こえないような小声で、私も「神」ですから、と呟きました。そして、神待ち掲示板なんて場所のことはここで話すような内容じゃないってことは、あなたもわかるでしょう、ちょっと場所を移しましょう、といって立ち上がると、私を置き去りにするようにしてサウナ室から足早に出ていってしまったのです。

「神」の男性とは、その後、「町湯」の食堂で差し向かいになって、神待ち掲示板の話をすることになりました。私は、「いやあ、こんなところで『神』に会えるなんて、まさか思ってもみませんでしたよ!」と、旅先で「神」に出会えたことを無邪気に喜ぶ愚鈍な男といった振る舞いをしていました。

「神」は、もうすっかり観念し、隠し事をしても仕方あるまい、一期一会だ、これも「神」としてのカルマなのだ、と割り切った様子でした。頃合いを見計らった私が「私ばかりが喋っていてもあれですから」といって「神」にその話の主導権を無理矢理に譲るまでは、年齢としては後輩にあたる私が矢継ぎ早に語り続ける「神」としての体験談におとなしく耳を傾けていました。

「神」は、「私があなたのように熟女好きの男性であったならば、神待ち掲示板を利用する『神』としての私は、あなたのように幸福な時間を過ごすことができたのかもしれません」と、落ち着き払った暗いトーンで話を切り出しました。

ルーズソックスとミニスカートを履いた女子高生の太腿の盗撮写真などを見てするオナニーを過激化させ、ブルセラショップで使用済みの下着やソックスなどを購入し、援助交際も行っていたという世代の彼にとって、十代の女の子の瑞々しい肉体というのは、どれだけ歳を重ねても、というよりも、むしろ、歳を重ねれば重ねるほどに諦めきることができなくなっていく呪いにも似た性の対象でありつづけているようでした。

彼は、神待ち掲示板の黎明期からの利用者でした。出会い系サイトの規制法ができるまでのわずかな時間、彼は、「神」として、十代の家出少女の肉体を何人か抱くことに成功したということを教えてくれました。そして、その肉体の味がどうしても忘れられないということも。

規制法が施行されて以降の神待ち掲示板は、私にとっては地獄のようなものなのです、と彼は悲痛な表情とともに言いました。私の年齢からすると、二十代後半の女性の肉体でも充分にありがたいみずみずしさを携えているというのに、それでも、セックスのあとに不満が残るのです。かつてかじってしまった禁断の果実の味が、精嚢の奥からの鈍い痛みとして、自分の胸に差し込みのようによぎるのです。こんなものは神待ち掲示板でも神待ち少女でもない、という行き場のない不当な怒りが私に襲いかかり、私に快楽を与えてくれた素晴らしい神待ち女性たちを送り届ける車のなかで、いつも、ついついアクセルを踏む力が強くなってしまうのです、そのときの私の表情はおそらく悪鬼に似ているのではないでしょうか。私は、もう終わった「神」なのです。神待ち掲示板が私にとっては終わったコンテンツになった日から、私はずっと「神」としては死んでいるのです……

「神」は、注文した町湯カツカレーにほとんど手をつけないまま、滔々と話し続けていました。彼の眼は、私のテーブルの淵に向けられていて、決して私の眼を見るということがありません。彼は、たえまなくしゃべりながら、神待ち少女の面影をそのテーブルの淵に見出しているかのようでした。

熟女好きのあなたにこんなことを言っても伝わらないと思うのですが、十代の肉体というのは、その禁じられているという性質によってのみ快楽的なのではありません。

たかが一年、とあなたは考えるでしょうか。女の子というものが十八歳から十九歳になっていくわずか一年程度の時間のなかで、それほどまでに女体から失われるものなどがあるものか、と思われるかもしれませんが、それは違います。女の子の肉体からは、確実に、ある季節を超えた瞬間から喪失されるものがあるのです。私は、その喪失されてしまうものに私の人生のすべてを支配されてしまったのです。

ある季節をむかえるまでに女の子の肉体のなかに宿っている、やがて喪失されるものに触れる瞬間にだけ、私は自分が生きているという確かな実感を得ることができます。ですから、規制法以降、十代の女の子が利用できなくなってしまった現在の神待ち掲示板において、私はもうずっと自分が生きているということを実感できないまま亡霊のように神待ち掲示板のなかをさまよっているのです。

じゃあ、神待ち掲示板の利用をやめればいいじゃないか、といわれれば、それはもちろん正論なのですが、私が亡霊として神待ち掲示板のなかをさまようのは、私が一度でも十代の女の子の肉体を抱いてしまい、神待ち掲示板を利用する「神」として、神待ち少女とセックスをしてしまった、というあまりにも大きな罪に対する罰のようなものなのだと思います。

私は、何度も神待ち掲示板の利用をやめようと考えました。しかし、簡単にやめられるはずの神待ち掲示板の利用がどうしてもやめられないのです。十代の神待ち少女とセックスしたいとしか考えていないのに、私は、気がつくと、すでに成熟した女性への出会い交渉をしかけて、待ち合わせの段取りまですっかり済ませているのです。私の意に反して、いつのまにかそうなっているのです。

二十代の神待ち女性との神待ちセックスの成功率には、われながら恐ろしいものがあります。もし、私が十代の肉体にこだわっておらず、現在の神待ち掲示板を利用する「神」のマジョリティともいえる二十代の女性とのセックスを楽しめる「神」であったなら(いえ!いえ!けっして、熟女好きの「神」という、比較的マイナーな「神」であるあなたの存在を全面的に否定するというような目的が私にあるわけではありませんよ!)、私の陥っている状況は天国であったのかもしれません。ですが、私は、このような状況を地獄であると感じています。

二十代の神待ち女性との経験人数は、もう三桁を超えていると思います。しかし、体験人数が増えれば増えるほど、私のなかで希釈しきれない部分の存在、「神待ち少女とのセックス」という失われたものが、より鮮明な存在となって私を苦しめるのです。 さきほど、サウナ室のなかで、あなたは熟女との神待ちセックスを終えたばかりだ、と私に言いましたが、じつは、私も、二十代女性との神待ちセックスをしてきたばかりなのです(彼は、自分が同じラブホテルに泊まっていたことを目の前の熟女好きの「神」が知っている、ということにいまだに気づいていなかったのだ!)。

私は、この罰としての「神待ち」というものが、一体いつまで続くのだろうか、と追い詰められているような状態にあるのだと思います。傍目には正常に生きているように見えても、神待ち少女に呪われた私の足は、狂気という冥府への階段を一歩一歩確実に降り下っていて、もう引き返せないところにまできてしまっている。さきほどは、サウナ室のなかで、そのようなことを考えていたのです。

この狂気を生き延びるために、私は、これから、神待ち少女との神待ちセックスについての体験談を書き始めることになるのではないかと思います。神待ち少女との神待ちセックスの体験談を書くということが、また狂気に連なっている、ということも知りつつも、おそらく、私は、神待ち掲示板の利用がやめられない現在と同様に、神待ち少女との神待ちセックスの体験談の執筆をやめることができないでしょう。これは、きっと、私に対して与えられる、新たな罰なのです――

酒田市のラブホテル「CHA.CHA Y2」にて、庄内地方の二人目の神待ち熟女のAさんの膣中に挿入しているとき、私の脳裏に、ふいに「神待ち少女」に呪われた「神」による演説にも似た独白の記憶がよぎったのでした。

ほんのわずかながら考え事をしていた私に対して、神待ち熟女のAさんが、自分のセックスの手際になにか問題があったのか、と訝るようであったので、私は慌てて「町湯」で出会った「神」についての思考をやめ、ちょっと、自宅の鍵を閉めてきたかどうか気になっちゃってね、という嘘をついて、神待ち熟女のAさんとのセックスを再開しました。

自分に落ち度がないことで安堵しきったのか、私の陰茎に突かれるAさんの性的な乱れようや女性器の濡れには凄まじいものがありました。私は、神待ち熟女とセックスができていて、かつ、それに満足できている自分の「神」としての幸福を、熟れた女性器のなかに埋め込んだ男性器の感触を通して実感していました。

「チンコが、勃つだけでも、幸せなことなのに」

神待ち熟女のAさんをイカせまくってからの射精後に、私は、「神待ち少女」に呪われながら二十代女性とハメまくっている「神」の話を思い出しながら、ベッドに横たわりながらそのように呟いていました。

すると、私の隣で呼吸を整えていた絶頂の余韻さめやらぬといった風情の神待ち熟女のAさんが「ほんとにそうよ。私もいまとっても幸せ。あなたみたいな若い子と神待ち掲示板で出会えて、私、すごく嬉しいのよ」と素っ頓狂な応答をしてきたので、私は思わず笑ってしまったものです。

私は、神待ち熟女への愛おしさがおさえきれず、自分が持っているもっとも柔らかで優しい精神のすべてを唇に宿すようにしてから、Aさんに接吻をしました。神待ち熟女のAさんの口からは、ほのかに酸味のある口臭が漂っていました。

神待ち熟女のAさんの唇と自分の唇のあいだにかかった唾液の架け橋を眺めながら、神待ち熟女のAさんに内臓のどこかを悪くしているのではないかと尋ねた私の身中には、セックスの寿命が間近に迫っている彼女の健康に対する祈りの気持ちだけが満ちていたのでした。

神待ち掲示板では山形の女性たちが神を探している

神待ち掲示板を使ってみると次第に明らかになってくるのですが、山形で神待ちをしている女性の数は想像以上に多いと言わざるを得ません。

山形の神待ち女性たちは、神待ち掲示板で神の登場をひたすら待ちわびているのです。

傾向としては、「神待ち女性」の数に比して「神」である男性の供給が足りない状況が続いているようにも感じられます。

山形の神待ち掲示板を使う神待ちの女性たちを放っておくわけにはいきません。

一人の男性であるという前に「神待ち女性」の「神」である私たちは、率先して神待ち女性にアプローチをしかけて、彼女たちに救いの手を差し伸べるべきなのではないでしょうか。

山形の神待ち掲示板をさまよう神待ち女性と出会って「神」になるタイミングは今をおいて他にはないかもしれません。

神待ち女性と泊まりたい山形のラブホテル

山形の神待ち掲示板で神待ち女性と出会った場合、自宅に泊めるというのもアリなのですが、個人情報漏洩や盗難被害などの危険性を考えると、ラブホテルを利用するに越したことはありません。

山形市内は、ラブホテルがそう多くはありませんから、神待ち女性を宿泊させる際の選択肢がおのずと限られてきます。

まずは、東北最大のテーマパークであるリナワールド近くにある“ホテルCHA.CHA山形店”です。

作画が崩れ気味のリキテンシュタイン風の壁画が目印のこのラブホテルは、外観だけを見るとあまり清潔な印象がないように感じられるかもしれませんが、室内に入ってしまえば天国のような環境であり、設備もサービスもまったく問題ありません。洗濯機と乾燥機がついていますので、神待ち女性の服や下着を洗濯してあげるときっと喜ばれること間違いなしです。

神待ち女性とはセックス以外してはいけない、というルールがあるわけでもありませんから、ホテル利用前後に遊園地デートをする、という遊び心を見せるのも個人的にはありかと思います。続いて“アイネUFO”と“山形アイネ”です。

これは山形市に限った話ではなく、全国どこのラブホテルも共通して抱えている問題なのですが、ラブホテルというのはどうしても「金・土・祝前日」の宿泊料金が高くなってしまいます。

“アイネUFO”もその例外ではありません。山形駅から近く、アクセス的には便利なのですが、平日の利用に限定したほうがよいでしょう。

ちなみに、UFOの名に恥じず外観が円盤型のホテルですので、話のタネとして訪れるだけでも元はとれるのではないかと思います。“アイネUFO”で未確認神待ち女性との一夜を終えたあとは、キャトルミューティレーションの痕跡が額に残されているかもしれませんね。

一方の“山形アイネ”ですが、こちらは山形駅から少し遠くなるものの、「金・土・祝前日」の宿泊料金がそれほど高くなく、一万円を超えることがない、というメリットがあります。平日以外に神待ちの女性と待ち合わせすることになった場合は、“山形アイネ”の利用をオススメしたいところです。

“シンドバッド山形店”と“SULATA”は、それぞれ山形空港近くのラブホテルです。遠いといっても車移動であればそれほどではありませんし、設備やサービスが充実しているのがありがたいところ。空港近くで濃厚セックスを終えたあとは、神待ち女性と愛の逃避行のためのフライトをしたくなるような欲望が芽生えてしまうかもしれませんね。

“スカイ山形”と“スターライト”は、アクセスがよく、値段も平均的で、山形市内で神待ち女性とセックスをするならかなり無難なラブホテルかと思います。

山形バイパス沿い・青春通り交差点に構えるホテル・ライオンキングスも、山形市内で使えるラブホテルとしておさえておきたいところです。ホテル・ライオンキングスで行う神待ち女性とのセックスでは、野性の本能をむきだしにして、神待ち掲示板という弱肉強食のサバンナの王様気分を存分に味わいましょう。