秋田の神待ち掲示板で「神」になろう

2018年11月27日

秋田の神待ち掲示板で「神」になろう

秋田の神待ち掲示板に、神待ちの女性が続々と集まっているのをご存知でしょうか。

神待ちが「神待ち少女」だけを指す言葉ではなくなり、むしろ18歳以上の「大人の神待ち女性」のことを指す言葉になって以来、神待ち掲示板を利用する「神待ちの女性」の数は増加の一途をたどっているといっても過言ではないでしょう。

何らかの事情によって家がなくなってしまい泊まる場所がない女性、一時的な「家出」などで一夜の宿を探している女性などが、神待ち掲示板で神待ちをするという行為は今後もなくなることはないでしょうし、それは秋田の神待ち掲示板においても例外ではありません。

むしろ、例外どころではなく、秋田の神待ち掲示板は、神待ち女性たちのホットスポットにさえなりつつあると言うことができるかもしれません。

秋田の神待ち掲示板では、神待ち女性たちが「神」の登場をいまかいまかと待ち構えている状況が続いていますから、このチャンスを逃すという手はありません。

秋田の神待ち掲示板を使って、いますぐ神待ち女性の「神」になりましょう。

大館市の神待ち掲示板で出会った宿無し神待ち女性とラブホテルへ

射精の直前、ふと、漱石の「二個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ」という言葉が思い出された。

神待ち掲示板のアカウントを持つということは「神」としての自分の領域を確保しようとすることであり、出会い交渉に成功した神待ち女性とセックスをするということは他の「神」たちの領域を奪うということになるのだろうか。

「神」を名乗る以上、「神」としての自分の領域は、他の「神」たちから奪い取った神待ち女性の膣の中にしかないのだろうか。いや、しかし。 神待ち掲示板を利用していると、時折、このような思考にとらわれることがある。とくに、神待ち女性の膣に一本の陰茎を挿入しているようなときは、神待ちセックスに夢中になっている傍らで、とりわけそのことが強く意識される。

神待ち掲示板のような場所と、「神」のありかたについて、このような俗流理解を当てはめるのは確かにあまりにも短絡的ではあるだろう。その誹りを免れることはできまい。だが、神待ち掲示板のなかでこのような排除と選別の原理がたえず働いているということは言うまでもないことであり、疑えないようにも思われる。

神待ち女性の膣を「神」の陰茎によって埋める必要がある「隙間」であると、つまり“space”であるなどと私が考えてしまっている身勝手さ、あるいは、いやそう考えてなどいないのだなどと言い張りながらする性行為のふてぶてしさを否定することは、私が「神」である以上はできない。

他の「神」はそうかもしれないが、自分だけは違う、などと言い逃れすることは避けなければならないだろう。

「神」が、神待ち女性との性行為中に、same spaceをoccupyスル訳には行かないなどといいながら他の「神」から奪い去り、占有したとでも醜く思い込んでいる膣内でみっともなく逝ってしまっている下品さは、股ぐらに垂れ落ちて付着した精液のようには簡単に拭い去れないものなのだ。

神待ち女性のMさん

ゆっくりと休むことさえ許されず

大館市のラブホテル「キャテハウス」のコテージのなかで神待ち女性Mさんと神待ちセックスをしているとき、他の「神」たちを押しのけて出会った神待ち女性Mさんの女性器への挿入を通して、私は、彼女の膣を勝手に「神」としての自分の領域として制圧、強奪し、そして、支配しようとしているのか。

固く勃起した陰茎は「ねじこむ」あるいは「押し広げる」というような感触とともに膣内へと挿入していったのだから、神待ち女性Mさんの膣は、指を一本程度入れる隙間はあったとしても、もう一本の陰茎の挿入を受け入れるほどの余裕はない。

すでに私の陰茎でほぼ隙間なく埋められている膣に、横合いから別の「神」が乱入してきて無理矢理に勃起した陰茎をねじ込もうとしたとしても、挿入自体が不可能であり、神待ち女性Mさんの膣に裂けるような痛みを与えることすらなく、その入り口が埋まっているのを見てすごすごと諦めて引き下がることしかできないだろう。

膣のなかに挿入できるのは一本の陰茎だけだ。いや、なかには、二本の陰茎を同時に包みこむような緩やかな入り口と広い奥行きを持つ女性器の持ち主もいるのかもしれない。その女性器はきっとガバマンなどと呼ばれているに違いない。

尻の穴、口腔、手などを使えば、神待ち女性の女体を、複数の「神」が共有することは可能であるだろう。陵辱とともに行われる、ただそこにあることで充足していた土地のありかたを狡猾に無視したうえで行われる分割と支配と対立。

それにしても、と神待ち女性Mさんの膣から抜きった陰茎からコンドームを外し、根本を縛って屑箱に放り込みながら思う。私と神待ち女性は、男性器と女性器でいくら結合しようとも、same spaceをoccupyして重なりあっているのだなどとはとてもいえないだろう。二つの肉体の間には決定的な断絶、重なりあえない境界線があった。

誰かの肉体を自分の領域にしようとする、さらに、誰かの肉体を自分の領域であると思い込むなどということは、そもそもあってはならないことなのではないだろうか。ましてや、たかが、性器の挿入ごときのことで。

私の肉体というspaceは神待ち女性Mさんの肉体というspaceとまぐわうことを通してsame spaceになることはできなかった。そして、そうなってもいけなかった。

二人の「神」が一人の神待ち女性の膣をoccupyするわけにはいかない。だが、それ以前に、一人の「神」が神待ちセックスをしたところで、神待ち女性という一人の存在、生きた肉体という領域を、たかだか男根一本で制圧し、ましてや自分のものとして占領するというわけではないのである。

「ちょっと、おしっこ」

Mさんが、神待ちセックスを終えたあとの裸体のままでベッドから飛び降り、その裸足の爪先が絨毯の上に着地した。そうだ。彼女が裸足の爪先で踏んでいるあの小さな空間こそが、彼女の肉体がいままさに立っているあの絨毯こそが、彼女のいまの領域なのだ。

それは何かを奪おうという意志によってではなく、また、所有を主張するのでもなく、やむなく抱え込んでしまった自らの肉体が身を置けるわずかな空間を探した末に、宙空を飛び回っていた鳥が止まり木に趾を引っ掛けて羽根を休めるときのような最小限のささやかさでもって辛うじて仮の居場所を確保しているだけだ。

もちろん、その仮の居場所として確保されたわずかな空間は、他のすべての存在から一時的に奪われている空間でもあるのだが。

下半身をまろびだして煙草を吸いながら、尿意に催された彼女の軽やかな着地を眺めている私もまた、この姿勢をとって黙り込んでいることによって自分の肉体が横たわっているベッドの上を自分の領域として確保しており、自分以外のすべての存在から空間の一部を奪ってしまってもいる。

そして、これ以上の、自分の肉体の範囲以上の空間を確保しようとは少しも思ってはいない。ベッド上でひどく充実して満たされている自分がいる。射精を終えたばかりだからだろうか。いまのところ、私が横たわっているベッド上から私を暴力的に追放し、あるいは、そこが自分の領域であるということを声高に主張して、その領域をなんとか奪い去ろうとする強い意志を持ったものが現れる気配もない。

あっ漏れちゃう漏れちゃうというやや滑稽な声と、絨毯と裸足とが擦れ合うかすかな音の重なりとともに、神待ち女性Mさんの肉体がトイレに向かって速やかに移動していく。

彼女の裸足の爪先がさきほどまで触れていたわずかな空間は、もうすでに彼女の領域であることをやめて、誰とも関わりを持つことがない解放された空間としての穏やかな息遣いを始めようとしているように見える。いや、彼女の爪先が立ち去ったばかりの一点を私がじっと見つめていることによって、その空間に息苦しさや気まずさを与えているのかもしれないが。

ほうっておいてくれ、という声が聞こえてくるような、彼女の領域であることをやめたばかりの場所には、まだ、一瞬だけ彼女の領域であったころの名残のような温度や気配、爪先の痕跡が残っているように感じられる。

それは、自分が横たわっているベッドの身体ひとつぶん右側の空間もそうである。しわでよじれ、汗のにじみによってわずかに灰色に変色した白いシーツ、白の上に散見される茶褐色の抜け毛、ほんの少し前まではそこに人が横たわっていて、ここが誰かの領域であった時間が確かにあったのだ、ということがにわかに信じられないほどに消えかけた微熱から漂うかすかなにおい。

トイレのドアを勢いよく閉める音がラブホテルの室内を震撼させるように響き渡り、間髪入れずに、じょぼじょぼじょぼじょぼと便器の水たまりに尿がだらしなく落下していく排泄音がドア越しにくぐもって聞こえてくる。

神待ち女性のMさんの尿は、どんな色をしているだろうか。彼女の尿は、洋式トイレの滝壺の透明な水とどんなふうに混じり合い、変色し、泡立っていることだろう。それとも、彼女の尿は完全な無色透明で、ほとんどトイレの水と区別がつかないような見事な同化をしてみせているのだろうか。

便器の水たまりというsame spaceにおいてトイレの水とMさんの迸る尿が混じりあいながらまったく新しいその場限りの液体へと変貌していく長い音が続く。Mさんの肉体の内部から外部へと排出された尿は、静かな水面を携えて沈黙していた便器の水という異質な液体と融合し、まだ名付けられていない存在として生成変化している。

私と神待ち女性Mさんの肉体は、神待ちセックスを通して、トイレの水とMさんの尿のような同化と変貌を経験することはできなかった。神待ちセックスを終えたばかりの私の肉体はベッドの上に横たわり、そして、Mさんの肉体は閉ざされた個室の便座の上にある。

二つの肉体が、その形を保ったまま別の空間でそれぞれに孤立しているという状況は、性行為の前後で何も変わってはいない。もちろん、これは性行為中もずっとそうであったのだ。

トイレットペーパーのロールが回転する音。生成された新たな液体のなかに陰部をぬぐったトイレットペーパーが投げ込まれ、じわじわと液体のなかに溶け込もうとするが、それらはまだ異物同士として警戒しあい、完全な融合にまでは至らない。

融合を待たずして、その時間的猶予は一切ないのだと言わんばかりに、残酷な水洗によって生成された名付けられていない液体と、尿やおりものが付着していたかもしれないトイレットペーパーたちは、そのすべてがひとしく下水管のなかへと暴力的に抗う力もないままに流されていく。水洗が終わらないうちにトイレの扉は開かれ、こもっていた流水の音は遮蔽物をとりはらわれて鮮明に耳元へと届く。

漏らすことなく放尿ができた安堵もあって爽快な表情をしたMさんがトイレから出てくる。Mさんが私に背を向けるようにしてベッドの縁に腰をおろすと、Mさんの重量の分だけMさんの臀部の周辺のシーツを巻き込みながらマットレスが沈む。

ちらりとこちらを一瞥したMさんの顔に呆れたような苦笑が浮かぶ。身をよじったMさんの手が私の方へと伸びてき、包み込むようにして私の陰茎にふれる。

私の陰茎は激しく隆起し、硬直していた。Mさんの排尿の音がどうやら射精したばかりの私の陰茎に再勃起を促したらしい。

私も身を起こして、排尿を終えたばかりのMさんの女性器へと手を伸ばした。二人は一方の手でお互いの性器を、そしてもう一方の手で身体の他の部分をまさぐりあい、やがて唇が重ねられ、口腔内で舌がからみあう。

何度身体を重ね合わせても、お互いの皮膚の表面を愛撫しあっても、口腔や膣内など、半ば外部にむきだしにさらされた内部ともいえる器官において粘膜をこすりあわせたとしても、私は私のまま、MさんはMさんのままであり、その肉体の領域を頑なに守りつづけ、体位を変更するためにベッド上で互いの肉体の位置を微調整するようなときにその滑稽さとともに二人の肉体が一つの空間を決して占有することができないということを痛感するばかりの神待ちセックスが、ふたたび始まろうとしていた。

性行為が始まりつつあるなかで、私の思考は、下水道のなかに流されて多数の汚物たちとめぐりあうことになるMさんの尿と水の融合物、そして、トイレットペーパーにまだ引きずられたままであった。

乳房をもみしだきながら女性器に指を入れ、口腔内を舌でまさぐってもいる眼の前のMさんの肉体が、一方では、まだトイレの中に残されているように感じられた。

ベッドの上で私と肉体をこすりあわせているMさんは、トイレのなかで、いままさに排尿している肉体として偏在しており、ベッド上では性行為を行いながら、同時に便座の上に座って放尿をしている渦中にある、というようなヴィジョンが瞼の裏側に浮かんだ。

ベッドの縁に座り込んだ瞬間の肉体、彼女がベッドから飛び降りて爪先を絨毯につけた瞬間の肉体、ベッドから飛び降りる前に私の傍らで横たわっていたときの肉体、一度目の神待ちセックス中の肉体、「キャテハウス」の鍵をあけて私よりさきに部屋に入りベッドに飛び込んで横になったときの肉体、「キャテハウス」に移動するときの車中で助手席に座っている時の肉体、大館市の居酒屋「む。」で対面で座って食事をしていたときの肉体、待ち合わせ場所にあらわれたときの小走りで駆け寄ってきたときのMさんの肉体など、彼女と出会ってから眼にすることになった彼女の様々な肉体の位置と、その諸相、私が決して占有することができない彼女だけの私的領域をささやかに確保していく様々な瞬間が、瞼の裏側のヴィジョンの上にさらに折り重なっていった。

神待ち女性のMさんの肉体に関しては、彼女だけがその空間をoccupyスルことができるように思われた。そして、無数の彼女の折々の肉体たちは、無時間を漂いながら、多重露光の写真のように、あるいは、亡霊が部屋のなかを歩きまわりながら生きている人間の肉体の上を通過するようにして、一つの肉体のうえで合流し、重なりあう。

神待ち女性Mさんとの神待ちセックス後のしあわせな時間

神待ち女性Mさんとの神待ちセックス後のしあわせな時間

Mさんと早朝の釈迦池のほとりを歩いていた。池の対岸にまで橋を伸ばそうと中心を目指したものの、その手前で早々に諦めてとどまったかのような半端な位置に飛び出して孤立している給水塔の奥には鬱蒼とした城ヶ森の小山の塊が見える。

小山の深緑の稜線にかぶさるようにして積層雲がかかっており、雲の白で区切られた晴れ渡った秋晴れの紺碧は、緑の暗さと水面の銀色の輝きを際立たせていた。

神待ちセックスを終えたからといって、神待ち女性のMさんとすぐに別れてしまう理由もなかった。それに、Mさんは当座のあいだ住む場所を奪われている宿無しの神待ち女性でもあったから、しばらくの間は、彼女が生存していくために共生していく必要を感じてもいた。

ラブホテルでの充分な睡眠と入浴、冬に入る直前の最後の秋晴れになるのではないかと思われる心地よい陽気が、給水塔につながる橋を目指して、私よりも少しばかり前を早足で歩くMさんの心身を回復させたようであった。Mさんが大地を踏む足取りには、どこか軽やかな踊りを思わせる躍動があるように感じられた。

大館の神待ち掲示板において、宿無しの、家を失った神待ち女性というのは少なくなってきている。神待ちセックス中に「他人の領域を奪う」ということについて考えこんでしまったのは、彼女が、最近では珍しい、住む場所を他人によって奪われてしまったことがきっかけで神待ち掲示板を利用した神待ち女性であったからなのかもしれない。

私も、土地を持っているわけではなく賃貸のマンションに住んでいる身であるため、いつ自分の仮の休息の場を追い出されることになるか、わかったものではない。月々の家賃を払うたびにどうしても感じるのは、生存のための場所を確保するために他人に金銭を支払わなければならない理不尽についてであった。

これは、私が土地を持っている人間であったとしても事情は変わらないだろう。むしろ、家賃のかわりに固定資産税をしっかりと徴収されることを考えると、家賃を支払うこと以上に性質が悪い悪辣な理不尽に付き合うことになるようにも思う。税が生命を守るために使われるのではなく、むしろ生命を奪うために使われるのであれば、あらゆる徴税に対して否を表明しつづけなければならない。

理不尽に奪われ続けるために生まれてきたのではないはずだった。しかし、一つの肉体を与えられてしまった以上、その肉体をなんとか生存させるためには、自分の肉体を休めるためのわずかな領域を確保しなければならなかった。死なないように生きる。ただそれだけのことを欲望しているにも関わらず、理不尽から逃れることのなんと難しいことだろうか。

自分にできることは、他人の生存のための領域をなるべく奪わないことだけだろうと考えたこともあった。だが、自分が存在するということ、自分のための空間を確保することそれ自体が、誰かが生存するための私的領域を奪うことに繋がっていることも当然ながらあった。

自分もまた理不尽の加担者であるということを決して忘れてはならなかった。だから、人の居場所を強奪しようとする力に可能な限り抗うなどと口では言っていても、「なるべく」というような情けない態度になってしまう。

知らず知らずのうちに、直接手をくだすのではなく、自分が見知らぬ誰かを殺しているということもあるだろう。それはたとえば、電気を使って暖房で部屋を暖めているようなときにだって起こりうることだろう。あらゆるものが関わりを持っている。人は、だれもがみな、どこかで必ず無意識の人殺しなのではないか。歩きながら蟻を踏みつけることを日常のなかでさほど意識しないようにして。

神待ち掲示板という場所は、現在では解釈の幅があまりにも広がりすぎてしまって、いわば「なんでもあり」の様相を呈している。

だが、神待ち掲示板とは、そもそもは、休息をとる場所を失って路上を放浪する肉体だけが残されてしまった少女に対して宿泊場所を提供し、その見返りとして神待ちセックスをすることを目的にして利用されはじめた買春掲示板である。神待ちセックスとは、他人の居場所を奪う力によって路上に投げ出された神待ち女性という存在がいることではじめて成立するセックスだ。

「家を失ったのではない神待ち女性との神待ちセックス」という、現在の神待ち掲示板においては主流になりつつある、「起源」を喪失していると言わざるをえない倒錯した神待ちセックスにおいては、このようなことを考えることはほとんどない。

Mさんのような、生存を脅かされて貧困からやむなく神待ち掲示板を利用することになってしまった神待ち女性との交流のなかで、それは改めて考え直されることになる。「神」などと名乗っている自分こそが、まさに人の命を奪う勢力の手先であるのかもしれない。

「立ち入り禁止だったよ」

橋の入り口まで向かっていたMさんが、失意の表情を浮かべて私のいる東屋まですごすごと引き返してくる。あそこまで行けたら見晴らしよさそうだったのになあと呟いて橋の方を振り向くMさんの横顔にわずかな陰りの印象があらわれる。

釈迦池の給水塔の入り口のように、立ち入り禁止であることが明確に掲げられている場所もあるが、透明な立て看板によって暗黙のうちに立ち入りが禁止されている場所もある。とくに、路上を放浪するものの前には、そのような透明な立ち入り禁止区域はあらゆる場面で眼の前にあらわれてくるだろう。

ここは私たちが占有する領域なので、あなたのような人間は決して入ってきてはいけないのです。ここはあなたには許されていない場所なのです。休む場所を探し続ける人間の耳は、このような無言の警告の声をより鮮明に聞き取ることになるだろう。

ああ、やっと座ることができる。横たわることはできそうにないけれど、あの声が聞こえない休息の場所をようやく見つけることができた。そうして、腰をおろし、ついに安堵のため息をつこうと思ったその瞬間を狙いすますようにして、放浪者の肩は唐突に叩かれる。

あなたは一体ここで何をしてるんですか。いくら空いているからといって勝手に座っていいわけではありませんよ。長居は無論禁止です。一刻も早くここから立ち去っていただきたいものですね。さあ、いますぐに!放浪者の肩を軽く叩いた手は、やがて怒りの握り拳とともに振り上げられて、放浪者に殴りかかろうとさえするだろう。だから、わずかな休息も与えられないままに、追放された者はまた歩きださなければならない。やがて、足を前に運ぶ力を失って倒れ伏し、這いずり回ることもすっかりできなくなるその瞬間までは。

しかし、私たちは今のところ誰にも邪魔をされずに釈迦池の東屋に座ってぼんやりとした時間をゆっくりと過ごすことができた。橋の入口にある立入禁止の文字は、東屋に座って休息をとる私たちを厳しく睨み続けていた。池に突き出したしかめっ面の給水塔に向かって、私らはあんたの領域に侵入しようなどとは考えていないのだから何もそう厳しく睨みなさんな、とでも声をかけてやりたくなる。

それにしてもいい天気だね。うん。それから沈黙。そして、たくさん喋った。どうしようね。これから。うん。何も考えてないや。そうか。いや、ものすごくたくさんのことを考えていたはずなんだけど。そうなの。そう思っていたけど、天気がすごくよくて。もうどうでもいいなあ。そうだね。どうでもいい。どうしようか。どうしようもないよね。どうすることもできないね。気持ちいいね。うん。

私が神待ち掲示板を利用する「神」である以上、大館市の神待ち女性であるMさんにとって私という場所は仮の休憩所にすぎなかった。ここ、空いてますか。ええ、どうぞどうぞ。私は自分一人で休んでいた場所を可能な限りつめて、もうひとりだけ座れるわずかな空間を作った。ちょっと狭くて、すいませんね。いえいえ、とんでもない、むしろ、お邪魔してしまって申し訳ないくらいで。どうか、お気になさらず。

しかし、ずっとこうしているわけにはいかないだろう。ずっと一緒にいるわけにはいかないだろう。彼女を伴侶にでもするというのなら話は別だが、そうでないのならば、私には、彼女が自分一人の肉体を休めることができる次の休憩場所を見つけるまでの手伝いをすることしかできない。それに、私だって私の身を置く空間をたえまなく確保しつづけなければならないし。でも、しばらくは何も考えずにただただ東屋に座っていよう。

それから、二人で神待ち掲示板を開いた。神待ち女性Mさんと二人で、神待ち掲示板の書き込みを見ながら、ああでもないこうでもないと「神」を批評しあいながら、交渉を断ったり焦らしたりして、出会う「神」を選んで遊んだ。そして、私はいま、二人で選んだ「神」のもとへ、神待ち女性のMさんの肉体を運びつつある。

秋田の神待ち女性の危険日膣内で「神」の精子が舞い踊る

神待ち女性Hの子宮のなかに数度の奔出とともに注ぎ込まれた秋田県の「神」の数億匹の精子たちは、一心不乱に血眼になってたった一つの卵子を探し求めて駆け巡る。ああ、しかし、神待ち女性Hの卵管の先端にまで到達することなく数億の精子たちのほとんどは次々と膣の中で溺死することになるだろう。

卵子に到達することができるのはたった一匹の精子だ。それも、神待ち女性の卵管膨大部にひとつの成熟した卵子が排卵されている場合に限る。もし、神待ち女性Hの膣内で卵子がいなかった場合、「神」の陰茎から迸った数億の精子たちは、たった一匹の受精精子を出すこともできないまま、ことごとく死に絶えることになるだろう。

全滅を覚悟しながら、しかも、排卵されている卵子が卵管膨大部で待ってくれているかどうかもわからないままに、「神」の射精とともに数億の精子たちは神待ち女性Hの膣のなかに放たれる。神待ち女性Hの膣内でこれまでにどれほどの精子が全滅してきたことだろうか。

なにより、避妊具である。膣と陰茎の間にゴムかポリウレタンの膜がはられている神待ちセックスのほうがむしろ多かった。だから、「神」の精子たちは神待ち女性Hの子宮をかけめぐる以前の場所で遮られて堰き止められ、卵管を目指すことすらできないままに、無念にもコンドームをわずかに膨らませることしかできず、漏れぬように入り口を縛られさえもして、まとめて墓場に埋葬されてしまう。

せめて、膣内で滅びたかった。おれは、おれたちは、膣内で滅びることすらできなかったのだ。「神」から迸った精液たちは、屑箱のなかのコンドームという荒れ果てた墓場の奥から怨嗟の声をあげることしかできない。なんという悔しさ。なんという無念。ただいたずらに放たれて膣内を走ることさえ許されずに抹殺されていく無数の精子たち。

だが、お前たちは違う。いま、お前たちはコンドームを装着されていない男性器と女性器の結合のなかで放出された精子だ。神待ち女性Hとの神待ちセックスで膣内射精された精子だ。お前たちは、その死の瞬間まで思う存分に膣内を走り回るがいい。

乳頭山の絶壁のうえに立ち奥羽山脈を北上してくる野良犬たちの群れの足音に耳を澄ますようだった。野犬たちは命の限り膣内山脈を走ることを決してやめない「神」の精子たちの群れだ。

いけ、精子犬たちよ。弾丸のように真っ直ぐに迷わず走れ。生命を爆発させて暗黒膣中を疾駆するけものたちよ。膣内奥羽山脈を駆けぬける精液犬を遮る避妊具は取り払われた。「神」の精子の数億匹の前のめりの走行は、ほとんど狂気に接近している疾駆となるだろう。

子宮頸管の狭い門をくぐりぬけてそのトンネルをかけあがるとき、一匹の秋田精子犬がふいに立ち止まり、足元を見つめていた顔をあげて暗黒膣内空間の空を見上げた。そこには星の輝きの一つもなく、ただただ死と隣合わせの無限の暗闇だけが広がっていた。膣の肉壁から放たれる不可視の光を彼の全身は一心に受け止めて身震いしているようだった。生まれたばかりの秋田精子犬は狂気の疾駆を続けながらまなこを大きく見開いて咆哮する。おつきさまがとってもきれいだな!

神待ち女性のH

受精卵がめまぐるしく自転しました

神待ち女性Hの下着が経血で濡れてから二週間経っていた。神待ち女性Hの女性ホルモンのバランスは完璧であった。

毎日のあさごはんを決して欠かすことがなかった神待ち女性Hが手に持ったお箸は、ありがとう、いただきます、おいしい、もうしわけない、ありがたい、という食材に対する感謝と謝罪の繰り返しとともに味噌汁の湯気の奥に隠された木綿豆腐をつまもうとして何度も伸ばされる。そのとき、神待ち女性Hが味噌汁のなかに伸ばした箸は胎内の宇宙空間へと到達していた。

神待ち女性Hは、また、眠りのなかで夢を見ながら成長する。夢のなかで、小休止。そして、その休憩のなかで魂がすくすくと育つ。一度、すでに鬼籍に入っていた死者である祖母との語り合いがあった。祖母の胎内ではゆっくりと少しずつ人間のかたちを整えようとしている神待ち女性Hの母の胎児がいた。胎児の母をめぐって、祖母と神待ち女性Hの対話が夢のなかで行われる。

母という胎児を孕んだ祖母と神待ち女性Hは、人間のかたちを崩しながら、かつて魚類であったころの細胞の記憶をすべて思い出すようにして羊水の海底で鈍い光をはなつ二匹の鮟鱇に変貌して笑いあった。

夢を見る神待ち女性Hの深く上質な眠りは、チムジルバン通いによって整えられた自律神経によって支えられていた。チムジルバンの施設の館内着に袖を通し、汗蒸幕を利用するための麻布をかぶるとき、神待ち女性Hはむきだしになった魂を包みこむ衣装にくるまれるような安堵を味わっていた。

神待ち女性Hの毛穴という毛穴からぷつりぷつりと汗が吹き出すとき、神待ち女性Hの表皮は朝露のヴェールに覆われたような状態になり、蒸される彼女は神経の襞にまでしつこく絡みつく思考を解きほぐされて、一塊の岩として無心に黙り込んで充実していた。チムジルバンから出てきた汗だくの彼女のなんという清々しい顔だろうか。

こうして神待ち女性Hの胎内に分泌された女性ホルモンであるエストロゲンは、神待ち女性Hの卵巣のなかへ、卵胞に生命誕生の秘技と愛情を無言で教え込むようにして注ぎ込まれ、頼りなく小さかった卵胞は、確実な成熟へと導かれていた。

今度はどんな卵子が飛び出してくるのかしら!神待ち女性Hが経血を流してからというもの、神待ち女性Hの卵管の先端部に住む卵管采はその無脊椎動物を思わせる触手をうねうねと漂わせて、卵巣から成熟した卵子が飛び出してくる排卵の瞬間をいまかいまかと待ち構えていた。

一瞬たりとも気を抜いちゃいけない!だって、私が卵子をピックアップできなかったらコトですもの。卵子をピックアップできないなんてあってはならないこと。もしそんなことにでもなったら、卵管采としての名がすたるってものよ。

もう二週間も待った。そろそろ卵子が飛び出してくるはず。そのタイミングを見逃しちゃいけない。私には恩寵の瞬間に天に手を差しむけるようにしてこのうねうねの手を卵巣に向けて精一杯開くことしかできない。きっと、いや、ぜったいに、卵子を受け止めてみせるんだから。

幾多の死者を出しながら、子宮頸管の隘路をかけあがることに成功した生き残りの数十匹の精子犬たちが、続々と卵管膨大部へと走り込んできていた。わずか数分にも満たない疾走であったが、その数分間には、生きることのすべてともいえる濃密な時間があった。

だが、ここが行き止まりだ。もうこれ以上は走ることはできない。卵管采によってピックアップされた卵子が飛び出してくる瞬間をただひたすらに待つことだけが精子たちには許されていて、あとは何もすることができない。

明日の夜を越えて、それでも卵子が飛び出してこなかったら、卵管膨大部にたどりついたすべての精子は息絶えることになるだろう。生き残った精子同士には何も話題はないというのに、残された待機の時間に、いったい何を話しながら卵子を待ち続けたらいいというのだろうか。

走りながら不可視の月を見上げて感嘆の咆哮をあげていた一匹の秋田精子犬は、無事に卵管膨大部へと到達していた。卵管膨大部に到達したことにまるで気づかなかったのは、ずっと暗黒のなかで月を見つめており、おつきさま、おつきさま、と繰り返し呟きながらわきめもふらず月のうつくしさを追いかけるようにして走っていたからに違いない。

卵管膨大部に到達した秋田精子犬はふと我に帰ってその疾走をようやく止めた。停止とともに、ひたすらに月を追いかけていた眼は、期待に震えるように開かれた卵管采の触手の広がりをまっすぐにとらえていた。そして、秋田精子犬は、あんなふうに手を広げることができるものなのか!という感嘆の遠吠えを胎内海底のアネモネへと捧げた。

子宮の形状が十字架に磔にされる救い主の肉体と同じ形をしているように見えるのは、卵管の先端部にあたる卵管采の触手が、グリューネヴァルトによって描かれた救い主の手とまったく同じ開かれ方をしていたからなのかもしれない。

膣内射精をした「神」による神待ち女性Hの受難

膣内射精をした「神」による神待ち女性Hの受難

天地創造に比肩しうる奇跡といわれる胎内における生命誕生のプロセスは、神待ち女性Hの判断による人工妊娠中絶手術によって終了することになった。

人工妊娠中絶手術は、酔っ払った勢いで神待ち女性Hの膣内に射精した「神」には一切知らせずに、十ヶ月と十日のそのはじまりのときに密やかに遂行された。

手術自体は想像していたよりもずっとあっけなく終わったのだが、手術の終了と同時に、神待ち女性Hのなかでは、あっけなく終わることを決して許さないような時間がはじまった。

手術を担当する女医には、秋田市内のラブホテル「IKINA HOTEL」の神待ちセックス中に「神」の男性が不意をつくようにしてコンドームを外したことによる膣内射精であることや、その「神」とはすでに連絡がとれないのだ、というような状況を説明する羽目になった。

その言葉が女医にはおそらく伝わらないであろうということを懸念したというよりも、自分が神待ち女性であるという恥ずかしさを隠したいという羞恥のほうが強かったから、事情を説明するにあたって、「神待ち掲示板」や「神」といった言葉を使うことは避けた。

居酒屋で出会った男性にラブホテルに連れ込まれて、という軽い嘘の説明をしながらも、自分の口から声としては発されていない「神待ち掲示板」や「神」や「神待ち女性」といった言葉はHの脳裏にたえず貼りついていて、神待ち掲示板などを使ってしまったがために人工妊娠中絶手術の手続きをとっている自分の愚かさや情けなさに呆れたのだし、胚胎した新たな一つの生命の芽をつむという事実はやはり悲しかった。それに、何よりも、胎児に対する途方もない申し訳なさがあった。

身勝手な神待ちセックスなどをしてしまった自分が胎児のかわりに死んでしまったほうがよかっただろうとも考えたが、より無責任なのは膣内射精をした「神」の男性なのだと言い聞かせて、中絶を決意した自分のことをあまり責めすぎないように充分に気をつけなければならなかった。子宮にラミナリアが挿入されるとき、この痛みが少しでも罪滅ぼしになれば、などと一瞬でも都合よく考えてしまった自分を恥じた。

生命の胚胎にのみ眼を向けた場合、健康な精子と卵子の出会いによる受精、着床、そして、胎内における胎児の成長、および出産といった母胎をめぐって起こる生命誕生の様々な出来事と、母と胎児が二人で過ごす時間は、どれも確かに奇跡であるとしか言いようがないだろう。

しかし、それが「神」によって中出しされた精子である場合、妊娠それ自体は奇跡であることは疑えないとしても、それは「感動的な奇跡」ではなく、「歓迎できない奇跡」ということになるのではないだろうか。

起こらないほうがいい奇跡。このような奇跡があることを身をもって知ることができたのは少しはよかったのかもしれないが、その程度の認識をえるために胎児を殺さなければならなかったということは神待ち女性Hをじわじわと苦しめた。

素晴らしい生命、だけれども、歓迎されなかった奇跡は、子宮内に挿入されたスプーン状の器具によって掻き出されていった。

人工妊娠中絶手術が終わってから多少のホルモンバランスの乱れはあったものの、神待ち女性Hのもとにしっかりと月経はやってきた。それも、数ヶ月にわたって、定期的に何度も。それは、加齢による閉経や、子宮にまつわる病気などに罹患するまでは、ずっと変わりなく続くように思われた。

ああ、私の卵巣のなかではまた卵胞が育ち始めているんだ、生命誕生という天地創造の奇跡を起こすための周到な準備が、また、再開されようとしているんだ、と思いながら、神待ち女性Hはナプキンを装着する。

十ヶ月と十日の受胎のプロセス、奇跡の完遂を、今後の自分が経験することはもう許されていないというような感覚を、神待ち女性Hは抱いていた。排卵は原始卵胞が完全な老化を迎えるまでは行われつづけ、卵管采はピックアップの能力がある限りは卵子を受け止めて卵管膨大部に卵子を送りこみ続けるのだろうけれども、排卵されて消えていくだけの卵子には悪いけれど、もう、自分の胎内で卵子と精子を出会わせてはいけないような気がする、とHは考えていた。

奇跡を、感動的な奇跡として慈しみながらじっくりと胎内で育てていくことを決意させてくれるような妊娠も、今後あるかもしれないけれども、そのような妊娠のときにも、いっときでも神待ち女性などをやってしまったがために起こしてしまったこの奇跡の扼殺のことを少しも考えずに受胎の季節を穏やかに感受できるとは到底思えなかった。

それまではまるで意識もしたことがなかった秋田駅近くのカトリック秋田教会が急に自分を厳しく睨みつけてくる建築物に感じられて、教会の前を歩くことを避けるような時期もあった。しかし、時が経つにつれて、神待ち女性Hのなかに、次第に、教会ごときが自分を裁くことができるものか、という感情が芽生えた。

月経が十回ほど繰り返されたころ、神待ち女性Hは、この身体を引き受けていくことだ、と単純に考えた。

奇跡を掻き出して胎児を抹殺したこの身体とともに、奇跡のプロセスを中断して自らの胎内から追放したこの身体の記憶とともに生きていくことしかできないのだ。奇跡を追放した私にも、妊娠以外の奇跡を起こすことは可能であるはずだ。性行為なしで奇跡を起こすこと。出産ではない天地創造。肉体における胎内においてではなく、眼の前にある世界という母胎のなかに排卵された不可視の卵子を受胎させるというようなやりかたを探ってみること。そのような選択肢や可能性が、私にはまだ残されている。胎内以外の場所で、私はなんだって産み育てることができるはずだ。

すでに神待ち女性ではなくなっていたHの卵管采が、卵巣から飛び出した卵子をふたたび受け止めていた。一匹の精子もいない卵管膨大部に、卵子が投げ出されている。Hの卵子は何度も繰り返し二十四時間後には成熟した命を失うだろう。そのサイクルのなかで、Hはこれからの自分のことを無根拠に信じてみることにした。

Hが見上げた空に、早送りの映像を見るような速度で満月が速やかにするするとのぼっていくのが見えた。Hは、おつきさまがとてもきれい、と呟いた。彼女が見上げた空は一面の雲に覆われていたのだし、それに、昼時であったのだが。

神待ち掲示板では秋田の女性たちが神を探している

神待ち掲示板を使ってみると次第に明らかになってくるのですが、秋田で神待ちをしている女性の数は想像以上に多いと言わざるを得ません。

秋田の神待ち女性たちは、神待ち掲示板で神の登場をひたすら待ちわびているのです。

傾向としては、「神待ち女性」の数に比して「神」である男性の供給が足りない状況が続いているようにも感じられます。

秋田の神待ち掲示板を使う神待ちの女性たちを放っておくわけにはいきません。

一人の男性であるという前に「神待ち女性」の「神」である私たちは、率先して神待ち女性にアプローチをしかけて、彼女たちに救いの手を差し伸べるべきなのではないでしょうか。

秋田の神待ち掲示板をさまよう神待ち女性と出会って「神」になるタイミングは今をおいて他にはないかもしれません。

神待ち女性と泊まりたい秋田のラブホテル

秋田の神待ち掲示板で神待ち女性と出会った場合、自宅に泊めるというのもアリなのですが、個人情報漏洩や盗難被害などの危険性を考えると、ラブホテルを利用するに越したことはありません。

秋田市にはラブホテルが密集したホテル街というものがなく、ちょっと車を走らせた場所にラブホテルが点々と散らばっていますから、神待ちの女性とラブホテルに向かう際は車移動をオススメします。

とはいえ、“Pinkのおもち”のような、秋田駅から歩いて行ける距離にあるラブホテルもありますから、車を使わなくても神待ち女性を一泊させてセックスすることは充分に可能です。

秋田市内でオススメのラブホテルは“どるふぃんカリビア”になるでしょうか。ここは、宿泊費が安いにも関わらず、設備やサービスなどが充実しており、利用後の満足度が高いラブホテルとなっています。

少し車を走らせる必要がありますが“ジャルダン”の独特な雰囲気も、神待ち女性とセックスするためのラブホテルとして捨てがたい魅力があります。コテージ型の北欧的な建築物のなかで、神待ち女性もベッドの上で眠れる森の美女の様相を呈するかもしれませんし、あなたのペニスはピノキオの鼻のように硬く長く屹立することになるでしょう。

“プリンセスプリンセス秋田大町”は、近年流行っている「ラブホテルでの女子会」などを想定しているラブホテルですので、神待ち女性が路上生活のなかでしばし見失っていた「女子」の部分をくすぐり、再び目覚めさせることになるでしょう。「女子」としての自覚を取り戻した神待ち女性とのセックスが素晴らしいものになることは言うまでもありません。

経済的に余裕があるならば、神待ち女性を“M’S CACHE”のスイートルームに誘うというのもアリかと思います。露天風呂につかりながら神待ち女性と星空を眺める時間は、神待ち女性が日々過酷な自然として捉えてきた「野外」の感覚を慰め、路上で苦渋をなめるように眺めてきた星空の記憶を、肯定しうる愛おしい記憶へと変えてくれるはずです。

“ホテルデジャヴー”に神待ち女性と入室すると、初めてセックスをするはずの神待ち女性との時間も既視感にとらわれるものになるかもしれません。これは、秋田市内の神待ち掲示板で出会い、“ホテルデジャヴー”の一室でセックスをしてきた「神」と「神待ち女性」の記憶が、“ホテルデジャヴー”というホテルの室内の隅々にまで残り香として染みついており、部屋のなかで記憶が混じり合っているということなのかもしれません。

“HAYAN秋田”はコスパを考えるとかなり安いラブホテルなのではないかと思います。秋田市内で神待ち女性を宿泊させるホテルに迷ったら、“HAYAN秋田”を選んでおけばまず間違いありません。