茨城の神待ち掲示板で「神」になろう

茨城の神待ち掲示板で「神」になろう

茨城の神待ち掲示板に、神待ちの女性が続々と集まっているのをご存知でしょうか。

神待ちが「神待ち少女」だけを指す言葉ではなくなり、むしろ18歳以上の「大人の神待ち女性」のことを指す言葉になって以来、神待ち掲示板を利用する「神待ちの女性」の数は増加の一途をたどっているといっても過言ではないでしょう。

何らかの事情によって家がなくなってしまい泊まる場所がない女性、一時的な「家出」などで一夜の宿を探している女性などが、神待ち掲示板で神待ちをするという行為は今後もなくなることはないでしょうし、それは茨城の神待ち掲示板においても例外ではありません。

むしろ、例外どころではなく、茨城の神待ち掲示板は、神待ち女性たちのホットスポットにさえなりつつあると言うことができるかもしれません。

茨城の神待ち掲示板では、神待ち女性たちが「神」の登場をいまかいまかと待ち構えている状況が続いていますから、このチャンスを逃すという手はありません。

茨城の神待ち掲示板を使って、いますぐ神待ち女性の「神」になりましょう。

茨城の神待ち掲示板の「神」による神待ち体験談『膣』に就いて

茨城県の「神」である長ストゥーカー茎(ながすとぅーかーぺにす)くんのライフワーク的な神待ち体験談である『膣』が書き始められたのは一昨年のことである。

茨城県内の神待ち女性と神待ちセックスをしてばかりいた茎くんに、神待ちセックスをするばかりではなく神待ち体験談を継続的に執筆したらどうか、と勧めたのは私であった。

ところが、迂闊にも、私は『膣』の執筆開始とほぼ同時期に、茨城県内で不特定多数の「神」と寝てきた不衛生な女性器を持つ神待ち女性との神待ちセックスを通してB型肝炎に感染してしまい、その治療に専念するために神待ち掲示板全般の性的活動から遠ざかっていた。そのため、『膣』はもちろんのこと、『膣』の書き手である「神」である茎くんの存在もすっかり忘れていた。

私が性病で倒れるまでは、片手で数える程度の神待ち女性との神待ちセックスしか記述されていなかった『膣』は、早々にその執筆が打ち切られるだろうという私の予想に反して、意外にも、経験人数三桁の大台を超える膨大な量の神待ち体験談へと発達していた。

性病感染の恐怖から、神待ち掲示板の使い方を忘れ、神待ち女性との交流の機微や神待ちセックスの快楽を神待ち体験談を通して読み取る能力を失いつつあった私は、茎くんの『膣』を読みはじめる勇気を鼓舞することがなかなかできなかったものの、百五六十人にもおよぶ神待ちセックスを遂行してその体験談を書ききった茎くんの絶倫には驚きを隠すことができなかった。

神待ち女性のSさん

硬直したペニスは濡れそぼったヴァギナへ入れっぱなしだっけべな

性病感染への恐れを乗り越え、茨城の神待ち掲示板の利用を再開し、水戸市在住の20代前半の神待ち女性との神待ちセックスという復帰戦を充実した濃厚射精でもって終えた私は、ようやく茎くんの『膣』を読むことができるようになった。

なんせ三桁以上の神待ち女性との神待ちセックスの記述であるのだから、『膣』の読破には骨が折れるものがあった。『膣』を読むために、神待ち掲示板の検索の時間を削り、神待ち女性との交流や、神待ちセックスを行わない休日を作る必要があったほどである。

私は元来が勃起しやすい人間であるから、大抵の「神」の神待ち体験談を読むとすぐに我慢汁をにじませる癖があるのだが、この『膣』においては、まったくそうではなかった。

まず、何より先に、これは到底、私のような「神」に書ける神待ち体験談ではないと思った。次に、全国47都道府県の神待ち掲示板シーンを広く見渡し、長ストゥーカ茎くんを除いたら、どの「神」がこのような神待ち体験談を書けるのだろうと物色してみたところ、すると、やはり、どの「神」にも書けそうにない、という結論に達した。

もっとも、どのような「神」にも書けそうにないというのは、茎くんの神待ち女性に対する交渉術の巧みさであるとか、神待ちセックスの快楽を描写する天賦の文才などを指すのではない。それは、茎くんの神待ち体験談に書いてある神待ち女性なり神待ちセックスが、まだ、茎くん以外の「神」の神待ち体験談ではあまり見出されていない、重要なものとして研究されてこなかった、という意味なのである。

『膣』のなかに出てくる神待ち女性は、最も醜い神待ち女性であるか、年老いた神待ち女性である。

『膣』で書かれるのは、性的魅力もないままに、ただ膣を持つ女性として産まれてしまい、膣とともに成長はしたものの、加齢にともなってふくれあがる性欲を満たす方法もなく、神待ち掲示板に寄生し、金銭を対価にして底辺男性に肉体を差し出して身銭を稼ぐ、地雷と呼ばれるたぐいの神待ち女性との神待ちセックスである。

茨城県の豪族であった先祖から受け継いだ莫大な遺産を神待ち資金として用いて活動する「神」である茎くんは、その潤沢な神待ち資金を利用すれば、二十代前半から三十代くらいまでの若い肉体を抱くことも容易に可能であったにも関わらず、使命感によって、獣類に接近しているかのような恐るべき神待ち女性との神待ちセックスだけを選択し、とても勃起も挿入もできまいと思われる神待ち地雷女性に挿入し、また、彼女たちの肉体について一から十まで誠実にこの『膣』において書き尽くしたのである。

神待ち地雷女性たちの底知れない性欲、とてもセックスができそうにないにも関わらず金銭に細かくこだわる吝嗇さ、聞くに堪えないうんざりするような自分語り、「神」のおごりとしるや遠慮せずに料理を頼みまくるがめつい食欲、セックス中にあげる此の世のものとは思えぬおぞましい喘ぎ声や媚態、来世に及ぶまで性的不能になってしまうのではないかと不安になるほどに悪臭紛々たる女性器、私たちのような選りすぐりをする「神」の想像の領域を超えてしまっている苦痛に満ちた膣内射精などを、ありありと眼に映るように、読みながら彼女たちとセックスしているかのように描写してみせたのが『膣』である。

『膣』は、茎くん以外の「神」には何人たりとも手をつけられない、とてもセックスができそうにもない神待ち女性との最も獣に接近したセックスを、精細に直叙してみせたのだから、その点において、どの「神」も及ばないのである。

神待ち地雷女性の精神ばかりでなく、神待ち地雷女性の肉体のだらしなさについても、茎くんは神待ちセックスを通して綿密に研究している。

三段腹の神待ち女性の腹肉の質感や尻や太股のセルライト、肛門に繁茂した毛に付着したまま固形化した糞便やおりものなどの汚物、接吻のさいに舌の侵入を容易に許すところどころ抜けた歯、どこで購入したのかわからず最後に洗濯したのがいつなのかも不明な色褪せてぼろぼろのブラジャーやパンティーの色濃い染みや臭気、性行為中に何度もなされる意図的な放屁や無意識のマン屁の音など、茎くんの神待ち掲示板の領域にあらわれる神待ち地雷女性の特色は、一点一画の微にいたるまで悉く叙述の筆に上がっている。

だから、どの神待ち地雷女性との神待ちセックスが出てきても必ず独特である。そのセックスが独特である点を、性的欲望をそそる神待ち女性とだけ神待ちセックスをしてきた「神」の手による通常の神待ち体験談の描写の平凡なのに比べて、私は、茎くんの神待ち体験談には誰にも及ばない、というのである。

私は、茎くんの神待ち体験談が独特であることに敬服しながらも、あまりに精細すぎるがために体験談の筋を殺してしまっているという失敗を歎じてしまうほどであった。それくらい、彼は精緻な、神待ち地雷女性の肉体の観察者なのである。

神待ち体験談としての『膣』は、むしろ、苦しい読みものである。決して、神待ち掲示板が使いたくなるから読め、などとは言い難いものがある。

第一に、茎くんがセックスをすることになる神待ち地雷女性とのセックスがまったく羨ましくない、ということがある。第二に、まったくセックスしたくならない神待ち地雷女性の、とりわけセックスしたくならない原因である部分の描写がどこまでも果てしなく続いていき、体験談がなかなか前に進んでいかない、という傾向がある。

だから、茎くんの『膣』は、全体としては、読者に、神待ち掲示板を通して出会うことができる神待ち女性との神待ちセックスによってもたらされる快楽の加速、というような興味をあたえることがない。

「どうしてこんなにかわいい女の子が神待ち掲示板を?!」と思わず眼を疑うような神待ち女性の女性器に挿入するために「神」が命がけで行う綱渡り的な性交渉のプロセスで読者をぐいぐい引き込んでいくというよりも、いくらセックスがしたいとはいっても誰も交渉しようとは思わないたぐいの神待ち地雷女性に対する金銭の提示による平坦な出会い交渉、盛り上がりにかけた食事、ラブホテルへの移動などが丹念に叙述されていくうちに、気がつくと、ベッドに横たわる茎くんの上で神待ち地雷女性があられもなく腰を振っている、というような流れが『膣』の中心になっている。

『膣』において茎くんがセックスすることになる神待ち地雷女性の精神性なりセックスでの振る舞いなどは、ただ圧迫と不能と苦痛を読者にあたえるだけであり、「神」の男性であれば誰もがセックスしたくなるというような性的魅力を持つ神待ち女性の膣に陰茎を前後させるときの刺激と心地よい射精の感覚を毫もあたえないのである。

この『膣』には、カウパーさえ出ない苦しさがある。射精ができないうえに生涯勃起もできなくなった陰茎とおなじ苦痛がある。

ただただ膣のなかへ男根が滑り込むだけで、性的快楽からいっても、経済的支援という道義心からいっても、ほとんど、この苦痛の圧迫の代償としては何もあたえられることがない、ただただ膣のなかに陰茎を挿入して暗い精神のなかへ落ちていく感覚だけがある。

『膣』を読むものは、きっと、自分も悪臭に満ちたガバマンをしなびた陰茎でかきまわすような気がするだろう。私もそういう感じがした。ある「神」は、なぜ茎くんはこんなにも勃起につながらない神待ち体験談を書いたのだと疑うこともあるかもしれない。

そんな「神」に対して、私はただ一言、言いたいことがある。このような神待ち地雷女性が、私たちと同時代に、しかも、東京都からさして遠からぬ茨城県の神待ち掲示板に住んでいるというこの悲惨な事態を、私たちは、ひしひしと一度は胸の底に抱きしめたことがあるだろうか。この悲惨をしっかりと抱きしめることによって、私たちの神待ち観や、日常の神待ちセックスの上に、何かの参考になるような利益が与えられるのではないか。

私はとくに、若くてかわいらしい神待ち女性との神待ちセックスという快楽に憧憬を抱く「神」にこそ、苦しみを我慢してこの『膣』を読む勇気を持ってほしいと希望するのである。

神待ち掲示板を使えば神待ち少女という十代の肉体とセックスができるということを無前提に信じ切っているような「神」志望の男性にこそ、私はぜひこの『膣』を読ましたいと考えている。

「神」志望の男性はきっと嫌だというに違いない。より多くの、性的期待を煽り立ててくれるような神待ち体験談と取り替えてくれ、と懇願するに違いない。けれども、私はその「神」志望の男性にむかって、セックスがしたくなるから読めというのではない、勃たないから読めというのだ、と告げたいと思っている。

参考のためだから、神待ち掲示板の実態を知るためだから、知って自分が参入しようとしている神待ちセックスの上に恐ろしい影を反射させるためだから我慢して読め、と忠告したいと思っている。

何も考えずに神待ち少女という禁じられた肉体とセックスできるはずだと安直に考えていた「神」志望の男性の、神待ち掲示板に対する正しい認識と危険回避術は、このような暗い影の奥からしか射してこないものだ、と私は信じているからである。

茎くんは、私が書いた『満珍ところどころ』という神待ち体験談を読んで、結石(私の名前である)という「神」は神待ち掲示板を馬鹿にしている、といって大いに憤慨したそうである。なるほど、誰も積極的に書くことがなかった神待ち掲示板の一面を取り出し、ほとんど厳粛といってもいい筆致で『膣』を書ききった茎くんであれば、その憤慨はもっともである。

『満珍ところどころ』が茎くんの気分を害したのは当然であろう。しかしながら、茎くんから軽佻浮薄な「神」であるというそしりを受けた私にも、真面目な、『膣』を読む眼はあるのである。だから、こうして『膣』についての紹介文を書くのである。

茎くんは不幸にして梅毒にかかって、この間まで治療の日々を送っていたが、早期発見により全開し、現在では養生をかねた神待ち全国行脚の旅の途上にいる。先だって私が紹介しておいた福岡在住の「神」である尖圭コンジローム博士、通称イボ博士からの連絡で、茎くんが自分のパソコンで神待ち女性の検索をしているとあったから、いまごろは九州の神待ち掲示板で、若くてかわいい神待ち女性を狙っていることだろう。

私は、『膣』の執筆後に性病に倒れた茎くんが、茨城県の辛い神待ち地雷女性から少しばかり離れて、軽薄な「神」として九州の神待ち女性に性交渉をしかけられる余暇を喜ぶばかりである。

神待ち女Rの膣に犬の射精のような長い射精を行ったときのこと

神待ち女Rの膣内に犬の射精のような長い射精を行った

烈しいマン臭が目に見えぬざりがにの鋏となって鼻腔の奥に突き立てられては抜かれ、また突き立てられては抜かれを繰り返し、わたしの嗅覚を一晩中いじめとおした。

セックスの対価として金銭を貰えれば快楽は必要ないといわんばかりに、スマートフォンをいじりながら横たわっているだけであった神待ち女のRは、惰性で前後するわたしの陰茎が、ときどき感度の鋭い部分を通過するときに、そのオペラ歌手を彷彿とさせる肥満体から想像させるような美声ではなく、世のすべての男性を萎えさせるであろう下品なだみ声をあげた。おそらく、あれは喘ぎ声だったのだろう。

ホテルドマーニ水戸の503号室の照明は、相手である神待ち女性Rの姿がなるべく見えないように完全なる暗闇の一歩手前にまで光がしぼられていたのだが、神待ち女性のRがスマートフォンをいじっていることによって、顔面だけが浮かび上がっている光景がむしろ不気味であった。

液晶画面の光によって照らし出された神待ち女性Rの頭部は、ルーベンスによって描かれた断末魔の叫びのまま硬直したメデューサの生首を思い起こさせた。いつから洗っていないのかと聞くことも恐ろしい脂ぎって固まりつつある毛髪が、頭皮から生えた毒蛇の群れのごとく見えたのかもしれない。

ルーベンスの絵画と決定的に違っているのは、この神待ち女性Rの顔が端正に整っているのではないということである。わたしの陰茎によって膣をつかれている、この、神待ち掲示板のメデューサともいえる悪鬼の形相を浮かべた女の絵を、もしルーベンスに依頼するならば、わたしは、その顔面の上に死斑のように広がる染みや黒ずみ、開かれた口の黄色や茶色に変色しつつある乱杭歯などを正確な筆致でもって描写することを要求するに違いない。

わたしは神待ち女Rの女性器から陰茎を引き抜いた。わたしの陰茎は射精に向けて涙ぐましい努力はしていたものの、暗闇のなかに頭部だけが浮かび上がっているおぞましい光景と、性器をひと突きするごとに503号室全体にアウフグースの熱波のごとく広がる神待ち女性Rの全身から漂う異臭によって、その勃起の維持が困難になっていた。

わたしのしなびた陰茎は短いドリル状になっていて、装着したコンドームは、すっかり柔らかくなってしまった亀頭の先端にかろうじて引っかかるようにしてぶらさがっていた。切断されて息絶えていたはずのメデューサの生首のがさがさの血色がわるい唇がわずかにうごき、その黄色く濁った蜆の眼はスマートフォンからわたしの方へと向けられ、おわったのか、おわったのなら、大一枚……という声が聞こえた。

一万円をもらいたいのは、むしろこっちのほうだった。いや、一万円を支払ってこの場から脱出できるというのであれば、それは破格の提案だったのかもしれない。ああ、もう終わった、とっくの昔に終わっていたのだ、と一言だけいって、金だけを払ってさっさと逃げ出す。そのための代金としては、一万円というのは安すぎるといえるだろう。そして、この苦痛と圧迫に満ちた神待ちセックスから脱兎のごとく一目散に逃げ帰った自宅でオナニーでもしたほうがどう考えても満足した快楽が得られるはずだった。

いや、一万円を支払って逃げ帰ったとして、はたしてオナニーができたかどうかは怪しいところだ。オナニーをしようとして陰茎を掴み、激しくシコりあげ、いままさに射精をしようという瞬間、眼を閉じたわたしの脳裏には、切り落とされたメデューサの頭部のごとき神待ち女性Rの顔が哄笑する映像が浮かぶかもしれない。

神待ちRの映像がフラッシュバックするようにして脳裏に流れたならば、鈴口の手前にまでのぼりつめていたわたしの精液はすごすごと精嚢にまで戻っていき、わたしの陰茎は手の中でしなしなと萎えていくことになるだろう。

視覚、聴覚、嗅覚といった感覚を遮断して、触覚だけに特化すれば、この眼の前で横たわる無愛想で不潔な肥満体の持ち主である神待ち女Rとのセックスにおいて射精をすることも、あるいは可能なのかもしれない。しかし、わたしの二本の腕では、眼を閉じ、鼻の穴を人差し指と親指で挟み、耳を塞ぐことが完全にはできない。耳を塞ぐことに集中すれば鼻が、臭いから逃れようとすれば耳が、神待ち女Rの醜悪さを感じ取ることになるだろう。

わたしの喉元に、神待ち女Rと入った居酒屋「ととや」で食べた料理がせりあがってきているのを感じていた。どれほどの御馳走であっても、ともに食べる相手によって、御馳走は残飯のごときものに変貌せしめられてしまう。

神待ち女Rの前に置かれた様々な料理は、眼の前に座る神待ち女Rから放たれる障気によって、テーブルの上で腐臭を放つように感じられたものだった。好物であるはずのカツオの刺し身を一切れ口に運んだとき、わたしの味蕾は、かつてこの店で味わったはずのカツオの旨さというものを微塵も感じることができなくなっていた。それどころか、咀嚼や嚥下も難しい生臭さや粘質を感じるほどであった。

満漢全席であるかのごとくおかれた贅沢な料理を前にしながらも、すっかり食欲を失って、彷徨うように箸を宙に動かしてばかりいたわたしに反して、神待ち女Rの食欲は凄まじいものがあった。そもそも、満漢全席という言葉を使いたくなるほどの大量の料理の注文は、他でもない、神待ち女Rによってなされていたのである。

神待ち女Rの食べ方や咀嚼音の下品さにもひどく悩まされることになった。左手でてづから掴み上げた納豆ピザを口に含んだかと思ったら、間髪入れずに右手にもったスプーンでチャーハンをすくいあげ、噛みかけの納豆ピザがつまった口のなかにチャーハンを無理やり流し込むと、自慢の乱杭歯でぐちゃぐちゃと音をたてながら混ぜ合わせ、スプーンをテーブルの上に暴力的に投げ捨てるのとほぼ同時にホルモンを食べようとして箸へとのばされた腕は、八海山が注がれたコップにぶつかり、転倒したコップはテーブル一面に日本酒の水たまりをつくる。指に付着したこぼれた日本酒をねぶりまわすために、まだ咀嚼の途中にある口のなかへと指がつっこまれ、しばしなぶられた指先が引き抜かれると、指と唇の間でねっとりとした唾液の糸が引く。神待ち女Rの食事というのは、終始このような具合で進行されていた。

食い散らかすという言葉がそのまま可視化されたかのようなテーブルのうえの料理に、とても箸をつけようとは思えなかった。食欲の減退とともに生命力が削られていくようであった。箸をあいまいに動かして食べるふりをする程度の気力もなくなり、ピタリとその動きを止めたわたしの右手を切り取ってそのままギャラリーに展示をしたならば、高村光太郎による手の彫刻だと見なされることもあるいは可能であったかもしれない。

わたしは男女の性行為においては接吻というものをもっとも好む「神」であるのだが、食事後、爪楊枝などで歯と歯の隙間にはさまった食べカスをとる様子をまったく見せなかった乱杭歯の神待ち女Rとの接吻は遠慮することになった。ホテルに移動する道中、神待ち女Rが口を開くたびに車中にまきちらした口臭を考えると、とても接吻する気にはなれなかったのである。

せりあがってきた吐き気をなんとかおさえこみながら、わたしは、眼を閉じて、神待ち女Rとはまったく違う女性のイメージを思い浮かべる作業に集中した。声と臭いだけを我慢して、眼を閉じれば、勃起力を回復させて、なんとか性行為を遂行させることができるかもしれないと考えたからだ。

わたしの脳裏で、神待ち女Rの毒蛇を思わせる脂ぎった髪の毛ではなく、美容室でよく手入れされていることがわかる巻髪が踊りはじめた。暴飲暴食を重ねて醜く太ったのではない引き締まった女体、かたちのよい乳房や、ずっと撫で回していられるだろうと見ただけでわかるような滑らかさとともに輝く肌が躍動しはじめた。

わたしによって想像された女性は、鈴を転がすような声で語りかけ、わたしの鼓膜を愛撫するような声を届けてくれたその口のふくよかな唇でもって亀頭に軽い接吻をし、陰茎をくわえこみ、じゅぽじゅぽと烈しい音を立てて頭を前後させ、頬におちかかる巻髪を何度も手櫛で耳にかけなおしながら、わたしを極上の口内射精へと導いてくれるに違いない。

一度の射精では飽き足らず、彼女の口元から垂れ落ちる精液の光景を目の当たりにして即座に勃起を回復させたわたしは、自分自身の精液がまだ彼女の口元から完全には拭い去られていないということも意に介すことはなく、彼女の口のなかに舌をねじこむことになるだろう。

お互いの舌をからみあわせ、腰をぐいぐいと押し付けて、柔らかく滑らかな彼女のみずみずしい肌にみずからの硬直して敏感なペニスをこすりつけながら、かたちのよい乳房がわたしの胴体の圧によってひしゃげていくその豊満な感触や、乳首同士の不意の接触による電撃にも似た瞬間的な快楽に対して、わたしは、感動をすら覚えるのではないか。

想起によって勃起をむりやりに回復させ、想像上の女性との快楽と幸福に満ちたセックスのイメージを強固に保つことによって、わたしは、神待ち女Rの女性器への激しいピストンを再開させていた。

たえまなく襲いかかってくる体臭や、ときおりもれる喘ぎ声であるらしいだみ声は、勃起の継続と射精のために想起された女性のイメージを破壊させる可能性をつねに孕んでいたのだが、わたしは、この破壊の危機を、極度に高められた集中力によって脳裏で展開されるセックスの強度を高めることでなんとか乗り越えていった。

射精は間近であった。わたしの想像力は、いよいよ、目の前の神待ち女Rの存在をまるごと消去せしめる領域にまで及びつつあった。脳内の想像された女性の膣内へと中出し射精をする準備は万端だった。神待ち女Rを純粋に穴としてのみとらえた人力VRセックスは、そのエクスタシーへと確実に歩を進めていた。

神待ち女Rがげっぷをしたのは、まさに、精液が勢いよくほとばしろうとするその瞬間であった。

げええええぇぇ、という長いげっぷの音は、射精をするために抱いていた想像上の女性の愛おしい喘ぎ顔を、京劇の変面のように、瞬間的に、げっぷをする神待ち女Rの醜悪な顔面へと変貌させた。

射精の直前まで、神待ち女Rからの臭いの侵入を防いでくれていた防護壁のごとき空想女性のフェロモンは、げっぷの音という槍の一突きで裂け目をいれられ、その裂け目からは、神待ち女Rの全身の臭気が、放たれたげっぷの臭気と混じり合いながら容赦なく侵入してくることになった。

人力VRセックスは、たった一発の、狙いすましたかのようなげっぷによってすべてが台無しになったが、すでに亀頭から放たれつつあった精液の射出を止めることはできなかった。わたしは、無尽蔵の快楽を強い嫌悪感とともに味わっていた。

それまでのイメージによる作業によって射精のために充分なエネルギーを充填していたこともあって、嫌悪感をともなう射精は、自分の意志に反して長く続いていた。勢いよく何度も放出されたわたしの精液は、げっぷを放った神待ち女Rに絶頂をあたえることにもなったらしく、げっぷのあと、神待ち女Rは地の底から響くようなおぞましい喘ぎ声をあげながら何度か全身を痙攣させ、身悶えするあまりにスマートフォンを手から落としてさえいた。

精液を出し終わると、わたしは、胸元からせりあがってきていた吐き気をこらえることができず、わたしの陰茎と神待ち女Rの女性器が結合されている部分にむけてはげしく嘔吐してしまった。

それほど食事をとっていなかったために胃袋の中身はすぐに空っぽになっていたのだが、それでもわたしは胃液を吐き続けていた。その嘔吐は、わたしの精液と神待ち女Rの愛液が混じり合った陰茎を、汚濁した嘔吐物でもってなんとか洗い清めようとしているようにも感じられた。涙をにじませながらもどうしても止めることができない嘔吐によって、わたしは、嫌悪感をともなった射精だけでは出しきれなかった呪われた精液を体外にすべて出しきろうとしていたのかもしれなかった。

つくば市の「神」による蝦蟇女にまつわる筑波名物神待ち掲示板口上

私が茨城県の神待ち掲示板を利用する「神」になったのは、私が筑波山の麓で育ったからであったのかもしれない。

しかし、筑波山の麓で育った人間がすべて「神」になったかというと、決してそうではない。むしろ、茨城の「神」にならなかった人間のほうが多いのではないかと思われる。

となると、私が筑波山の麓で育ったということと、私が「神」になったということの間には、まったくなんの因果関係もないのだろうか。山そのものが神でもあるという筑波山という御神体にみおろされる暮らしから、少しの影響も受けなかったというのだろうか。

筑波山にまつわる習俗としては、「歌垣」というものがよく知られている。筑波山に集まった男女がたがいに求愛の歌を送りあって意気投合をしたら性的に睦みあう、という、いわば「乱交」が許されているような習俗が「歌垣」である。「歌垣」がもよおされる日、筑波山の頂上では、歌を通して男神と女神になった男女が身体を重ね合うのだ。

筑波山の「歌垣」と、つくば市の神待ち掲示板で行われる「神待ち」という営み。ここに共通する関係を見出している「神」はどうやら私だけらしい。

神の山で行われる男女の営みである「歌垣」は、飲食物を持参する必要があり、水辺で開催され、採録が不可能なほど多くの歌が歌われるといった諸特徴を持っているが、これらの諸特徴は、そのまま、「神待ち」の領域へと移行しているように思われる。

だが、そのような牽強付会な見方をする場合、神待ち掲示板という不可視の山の集合体を「御神体」としてとらえていかねばならないかもしれない。

全国各地からアクセスしてきた「神」たちと神待ち女性が集まる「神待ち掲示板」というシステムは、それ自体が神である。そう言い切ってしまえるほどの胆力が、果たして、いまの私にあるのだろうか。

神の掲示板で行われる男女の営みである「神待ち」においては、ラブホテルに移動するまえに居酒屋などで「神」と神待ち女性とが会食をするのだし、しけこんだラブホテルなどの入浴設備によって身を清めてからセックスが行われる。神待ち掲示板のうえで、一日にどの程度の「出会い」の交渉が行われているかという全貌の把握や、書かれたさきから散逸していく神待ち体験談の採録は完全には不可能である。

神待ち掲示板のこれらの諸特徴を書き連ねたうえで、だからといって、「神待ち」と「歌垣」というものを、安直に重ね合わせていいものか、どうか。

神待ち掲示板を利用する「神」の男性と神待ち女性たちは、不可視の筑波山ともいえる神の掲示板に見守られたセックスを通して、男神と女神になるなどということが本当に可能なのか。

つくば市の神待ち掲示板というものを使いはじめるまではただそこにあっただけの筑波山は、私が「神」になるやいなや、途端にその不気味な存在感を主張しはじめたのである。

神待ち女性のKさん

筑波嶺のこのもかのもに陰はあれどわが女陰にますかげはなし

つくば市のラブホテル「ハーフムーン」の209号室の畳の上で、私は神待ち女性のKさんに腰を浮かしたM字開脚の姿勢をとってもらっていた。一方の私はというと、M字開脚をするKさんの股ぐらの下にみずからの顔面を滑り込ませていた。

M字開脚をする全裸のKさんの四方は、私が個人的に持ち込んだ鏡が取り囲んでいた。Kさんの正面の鏡はKさんの左手、Kさんの右側の鏡はKさんの右手、Kさんの背面の鏡は私の右手、Kさんの左側の鏡は私の左手にそれぞれ握られており、四つの鏡が同一の高さになるようにして掲げられていた。

Kさんは、前後左右のどこに眼を向けても、蝦蟇のごとくM字開脚をする自分の鏡像を見ることになる。日本人離れしていると評されることも稀ではない高さを持つ私の天狗じみた鼻の先端と、Kさんの膣口とは、触れそうでありながら決して触れあうことがない関係を保っており、顔面騎乗になる直前で時間を止められて宙吊りになり、そのまま彫像になってしまったというような静止の様相を呈していた。

まぶたの真上には、蟻の門渡りをはさんだKさんの菊門が間近に迫っていた。しわの一つ一つを丹念に数えることさえできた菊門は、そのすぼまった入り口をかすかに震わせて、呼吸をしているように見えた。

生々しい尻の穴と女性器を交互に見つめていた私は、四方を鏡に取り囲まれて蝦蟇の姿勢をとるKさんの股間から、一滴、また、一滴と、愛液が滴り落ちてき、やがては洪水を起こすことにもなるかもしれないスコールとなって自分の顔面に降り注いでくる瞬間をひたすらに待ちわびていた。

鏡で四方を取り囲んで私の顔面が蝦蟇である彼女の膣の下にすべりこんでからは、それぞれ、女性器に直接触れてはいけない、というルールが、ラブホテルに移動するまえに食事を楽しんだ「タイ屋台つくばパクチー」における会話のなかで決められ、二人の間で、破ってはならない約束として交わされていた。

つくば市の神待ち女性は、蝦蟇を思わせる滑稽かつ卑猥な開脚の姿勢と、それを囲繞する鏡という羞恥心を煽る環境のみで、女性器から愛液をしとどに分泌させることができるのか、どうか。カオマンガイに舌鼓を打ちながら、そんなくだらないことを唐突に言い出した私に対して、Kさんは思いのほか協力的であった。

シンハービールを飲み干して頬を赤く上気させ、性的におおらかになっていたKさんは、どちらかというと濡れやすいほうだと自分では思いますけど、どうでしょうね、やってみる価値だけはありそうですよね、もしかしたら新しい性癖が開発されるきっかけになるかもしれませんしね、などと言っていたものだが、私の目と鼻の先にあるKさんの女性器は、一向に濡れる気配がなく、私の脳裏には「旱魃」という言葉がよぎった。

なにか、Kさんの快楽中枢を刺激する言葉などをかけるべきだったのかもしれない。たとえば、眼の前の女性器や肛門の形状や、付着したカス、嗅ぐことが避けられないそれぞれのにおいなどを、執拗な描写でもって淡々と告げ、羞恥責めのような言葉で、Kさんの女性器を濡らすことはおそらく可能であっただろう。

しかし、私たちの目標は、蝦蟇の姿勢で鏡を見つめているだけで愛液を分泌させるというところにあったのだから、そこに言葉による責めを介入させてしまったら、それは接触以上のルール違反ということになるように思われた。

全裸で蝦蟇の姿勢をとるKさんの太ももやふくらはぎなどの筋肉が、少しずつ限界に近づいていっていることは、姿勢を維持しようとする彼女の足の震えから伝わってきていた。もし、蝦蟇の姿勢を少しでも崩したならば、配線をむき出しにした電気コードを押し当てて彼女に強烈な電流を流してやるのもいいかもしれない。

不意に思いついた残酷なペナルティを彼女に伝えようとして口を開きかけたところで、私は踏みとどまった。彼女が苦痛を通して興奮を抱くタイプであったなら、自分にやがて訪れるであろう電流の痛みを想像するだけで、その痛みの期待から女性器を濡らしはじめてしまうかもしれない。また、彼女の性的嗜好が「痛み」にはなかったとしても、自分が受けることになる懲罰への恐怖から、股間を濡らしてしまう可能性もゼロであるとはいえない。

私も彼女も一言もしゃべるということがなかった。一方は蝦蟇の姿勢をとったまま鏡に四方を取り囲まれ、一方は全裸で横たわったまま女性器をひたすらに見つめ、どれほどの時間が経過したのかまるでわからなかった。もう一時間以上もこうしているようでもあったが、まだ十分程度のわずかな時間すらも経過していないようにも思われた。

彼女の女性器がカラカラに干からびていたように、横たわる私の陰茎もまたしなしなと萎えしぼんでいた。

至近距離でまじまじと女性器や菊門を見続けていたのだから、その半ば強制的に与えられる視覚的な刺激によって雄渾な勃起を維持しつづけられたのではないか、というような意見もあるかもしれない。しかし、Kさんの女性器を前にして、私の陰茎はまったく勃たなかったのである。

蝦蟇の姿勢をとったKさんにまたがられるだけの時間のなかで、私はこれまで生きてきて女性器というものをまともに「直視」したことなど、一度もなかったのではないか、ということを考えていた。

Kさんの女性器を眺めながら、女性器というものをきっかけにもたらされた数々の勃起の経験において、私は、いつも女性器の「直視」を避けていたのではないか、むしろ女性器そのものから巧妙に眼を背けることによって勃起してきたのではないか、ということを眼前に突きつけられているような思いがした。

Kさんの股間からぽたりぽたりと蝦蟇の油の愛液が滴る

Kさんの股間からぽたりぽたりと蝦蟇の油の愛液が滴る

そもそも「女性器を見たら勃起する」というような視覚的快楽の回路が、自分のなかにはもともとなかった、ということが次第に明らかになってきたのだった。その思考は、私がこれまで女性器というものを対象にした場合にどのようにして勃起してきたのだろうか?という新たな問いへと繋がっていった。

女性器に眼差しを向けることで勃起したと勘違いしていたとき、いつも、そこには、女性器以外のなにかが介在してはいなかっただろうか。

たとえば、パンティにおおわれた女性器が私に与えた性的興奮について考えてみるといいだろう。一枚の布きれによって女性器が隠されているということから発生するあらゆる視覚的刺激は、性的に未成熟であった初期の段階から現在にいたるまで、私に興奮を呼び起こしてやまないものだが、その性的興奮は、女性器そのものを「直視」することができない、ということを前提においた性的興奮ではなかったか。

「マンスジ」によってもたらされた初期の性的興奮というものを思い返してみるのも、決して無駄ではあるまい。下着や水着などの食い込みによって、隠されながら同時に可視化されることにもなった女性器のあの愛おしい一筋と対峙しながら、私はどれほどの興奮を抱き、そして、シコってきたことだろう。

だが、マンスジから与えられる性的興奮は、まずは、モザイクが取り払われた女性器の現実を裏物のメディアを通して見ることによって薄れていった。そして、童貞喪失にあたって初めて目の辺りにした生の女性器は、マンスジからもたらされる感動を完全に私から奪い去ったのである。

自分の指が女性器のなかに侵入していく、あるいは、女性器を押し広げ、陰茎を挿入したり、陰核を舐め回すような段階にまでいたると、私のなかにわずかに残存していたマンスジ幻想とも呼べるものはすっかり消え去っていたといえる。

生の女性器を見てからすでに悠久の時を生きてしまった現在の私は、かつて、あれほどまで感動していたマンスジを前にしても、もはや、まるで勃起することができなくなってしまっていた。すでに答えがわかっていて攻略済みのクイズにもう一度正解したところで、嬉しくもなんともないだろう。それは当たり前で退屈な、わかりきった「答え」でしかないのだ。

しかし、マンスジ幻想の消滅後も、パンチラによる興奮だけは、私のなかから消えなかったと見える。というより、近年はますますパンチラを求めている自分がいるようなのだ。女性器というものの実態を知れば知るほどに、私のなかでパンチラを求める感情が強くなっていくというのは、一体どういうことなのだろうか。

このパンチラに対する強い欲望の芽生えは、女性器の「直視」を避けることでしか勃起することができなくなった、定まった「答え」ではなく無数の答えや問いに発展しうる「問い」によってしか生きていくことができない私なりの、勃起を通した生存への意志であったのかもしれない。

パンチラは奇跡であった。脱がせば即座に明るみになり映像でも生身でもどこにでも転がっている女性器のつまらないリアルさと比べて、ひるがえったスカートからわずかに垣間見えるパンチラの光景の、なんと奇跡的なことか!

意図的になされる予定調和のパンチラのことを、私はパンモロと呼ぼう。パンモロとパンチラは峻別される必要がある。パンチラは、人の自由意志を超えているものでなければならないからだ。

パンチラでシコろうと思ったとき、すでにパンチラは眼の前から過ぎ去って見えなくなっているということが重要だ。つまり、パンチラで勃起したりシコったりするためには、私たちは、すでに眼の前には存在しない、過ぎ去ってしまった過去のわずかな時間を「想起」することで必死に「いま」を生成するプロセスを通ることになる。これこそ、まったくもって、「女性器の直視」から眼をそむける勃起というものではないか!

パンチラのことを考えていた私は、しばし、眼の前に神待ち女性のKさんの女性器があるということを、見ながらにして忘れていたらしい。つまり、眼前の女性器からは意識がはずれており、女性器を見ているようでまるで見ていなかったようなのだ。

その、女性器から眼が背けられていたわずかな時間、パンチラについて考え、記憶に残るパンチラ景の数々を思い出していた想起の時間を通して、私は、いつの間にかゆるやかに勃起をはじめていたのだった。

下半身に集まっていく血流による熱い脈動によって勃起が開始されると、私の視界一面を覆っていながらも、覆っていることによって見ることの不可能性を同時に突きつけてくるようでもあった眼の前のKさんの女性器に対する挿入欲のようなものが芽生えてくるのだから不思議である。

とすると、女性器という器官は、「直視」によって勃起を促すものではなくて、女性器の「直視」を巧妙に回避することでなされた勃起を経た後に、「挿入を促す」という欲望をかきたてる性質を持つものであったのか。

挿入後、勃起した陰茎によって刺し貫かれた女性器というものを、自ら見ることができないということについても考えが及んだ。

3Pや、撮影されたセックスなどで、自分以外のセックスを見ることはできるが、そのとき、その女性器は、「女性器そのもの」であるのではなく「男性器によって穴を塞がれた女性器」なのである。挿入においても、また、女性器の「直視」が回避されているというのか!

たとえば、私の亀頭の先端に胃カメラのような機能があるとして、私の亀頭が女性器のなかに侵入していく光景を、私が「視覚」として見た場合、私の陰茎は、果たして勃起を維持することができるのだろうか。

膣内、および、膣奥を「直視」しながら性行為をした場合、私たちは、きっと射精をすることができなくなるに違いない。亀頭の先端につけられたサードアイを静かに閉じ、亀頭が別の性的なイメージを思い浮かべることなしには、勃起も射精もできないのではないか。

Kさんの女性器を前にした思考のなかで不意にあらわれた「亀頭の先端に第三の目がある」というヴィジョンだけは気に入った。だから、私は、亀頭に眼がある場合、どのような視界が開けてくるのかを、横たわって勃起した自分の陰茎の角度から類推してみた。どうやら、自涜のしすぎで左曲がりに勃起する私の亀頭に備えられた第三の眼は、神待ち女性のKさんの左半身を仰ぎ見るように捉えることになるようだ。

神待ち女性のKさんの左半身は、ちょうど、Kさんの身体の正面にある鏡に映りこんでいる。私は、女性器の下で横たわった状態で、Kさんの女性器からKさんの左手が持っている正面の鏡へと視線をわずかに移動させるだけで、Kさんの鏡像を通して、「亀頭の眼差し」を獲得することができる。

女性器というものは、全体のなかの一部として調和をみせるときに、はじめて性的興奮を与えてくれる部位として機能しはじめるのではないだろうか。亀頭の眼を通して見つめることになった、蝦蟇の姿勢をとる神待ち女性Kさんの左半身を中心とした「女性器以外」の鏡像の肉体は、私のゆるやかな勃起を硬直した勃起に変える程度の性的魅力をたずさえていた。

局部をただ局部としてのみ見ることなかれ。局部というものを、たとえば彼女の乳房などの他の部位との関係において見よ。局部は全体であり全体は局部なのである。しかし、局部は局部として独立もしているのだし、ただ全体にくみするのではない。全体のなかにおいて見えてくる局部は、その局部として全体性を孕み、全体に対抗さえしてみせるのだ、女性器という局部もその例外ではない!

鏡に映りこむKさんの乳房を眺めているうちに、そのような煽り声が私の耳元に聞こえてきた。その煽り声は、私の耳から迸る血流として注ぎ込み、私の陰茎へと一気に集中していくようであった。

鏡越しのKさんの肉体の視覚的刺激と、自らの陰茎の勃起に私がその意識を集中しているとき、私の眼球にとつぜん鋭い痛みが走り抜けた。不意の痛みに短い悲鳴をあげながら眼を閉じると、私の閉ざされたまぶたのうえには、なにか、つぶてのようなものが叩きつけられる衝撃がはしり、その衝撃の直後には、私のまぶたの表皮にじわりと水分がにじみながら広がっていく感触が続いた。

涙ぐむ眼をおそるおそる見開いた私の視界には、依然として、見渡す限り一面のKさんの女性器があった。しかし、その女性器は、私が彼女の裸体とみずからの陰茎に意識を集中して眼をそらしているうちに、その景色を一変させていたのである。

ぽたり、ぽたりと、Kさんの女性器からは、水滴がこぼれはじめていた。その水滴の量は、一滴ごとにどんどん増していくようだった。私の眼を鋭く一突きしたのは、その最初の一滴であったらしい。

愛液が滴り落ちる前の、Kさんの女性器にじわじわと愛液が滲み出して濡れてくる光景を、私はすっかり見逃していたのだった。ぼたぼたぼたぼた、とKさんの愛液は大粒の水滴となって私の顔面のうえに落ちてきていた。さっと雨雲がかかり、これは降ってくるな、と思う隙間も与えないままに大粒の水滴とともに豪雨になる、そのような空模様が、彼女の女性器のうえにもまた広がっていた。

私が思考を巡らせている間に、四方の鏡に映された自らの裸体の鏡像を見つめながら、Kさんが何を考えていたのかはわからない。しかし、私が女性器の直視から導き出した快楽をめぐる思考により勃起したプロセスと同じようなことが、彼女の脳内と、そして、女性器の内奥でともに起こり、彼女が性的興奮の渦中に突入していたことは、もはや疑いようがなかった。

Kさんの女性器から溢れ出てくる愛液の豪雨を前に、横たわった私は、もう眼をあけていることができなかった。もし、この水滴から逃れようとして顔面を背けようものなら、私の耳から入り込んだ愛液が私に中耳炎などの症状を起こす原因となったはずである。

四方数百メートルに渡ってどこにも雨宿りをする場所が見いだせないような広大な大草原に横たわりながら降り注ぐ豪雨を一身に受け止めているような状態であった。

あっあっ、という短い快楽の叫び声が女性器のさらに上方から聞こえてくると、加圧式高性能水鉄砲の射出で顔面を至近距離で撃たれたような水圧が私の顔面に襲いかかった。びしゃーっ!びしゃーっ!という激しい音から察するに、おそらく、Kさんは、鏡像にうつる自分を眺めながら、私の顔面に向けて潮を噴いていたに違いない。その潮吹きが、私の顔面に容赦なく叩きつけられていたのだ。

そのわずかな土砂降りの時間がすぎると、そのあとは、ぴと、ぴと、しと、しと、と穏やかな量の愛液の滴りへと落ち着いていき、やがて、愛液は私の顔面の上に落ちることをやめた。

おそるおそる眼をあけると、上気して荒い息をはくKさんの肉体にあわせて、私の顔面の上で女性器もまた揺れていた。陰毛の先端には、わずかな水滴の名残があり、落ちてしまおうか、それともこの毛の中に浸透してしまおうか、と自分の行く末をはかりかねるようにしてしがみついていた。

雨上がりの景色を楽しむように陰毛の先端の愛液を眺めて、なにか風雅なものを感じ始めようとしていた私の余韻を遮るように、Kさんの尻が落下してきた。絶頂により蝦蟇の姿勢をとることが難しくなったKさんがその姿勢を崩したのだ。

視界は暗転し、私の鼻がKさんの膣口にはまりこみ、私は瞬間的に即座に窒息状態へと追い込まれていた。女体の山に覆われて呼吸が封じられると、暗い地下水脈であるみずからの陰茎が痙攣とともに白濁を放出しようとしている気配がざわつきはじめた。

顔面騎乗の姿勢をとって私を座布団にしたKさんが「さあさあさあ、お立ち会いお立ち会い!御用とお急ぎでない方はゆっくりと聞いておいで見ておいで!手前が持ち出したるは、常陸の神待ち掲示板は筑波山の麓、オフパコという甘露をすすって射精をする『神』の油だ!」と口上を早口でまくしたてる声を聞きながら、私の意識は少しずつ遠のき、やがて暗闇のなかへとゆっくりと沈み込んでいった。

神待ち掲示板では茨城の女性たちが神を探している

神待ち掲示板を使ってみると次第に明らかになってくるのですが、茨城で神待ちをしている女性の数は想像以上に多いと言わざるを得ません。

茨城の神待ち女性たちは、神待ち掲示板で神の登場をひたすら待ちわびているのです。

傾向としては、「神待ち女性」の数に比して「神」である男性の供給が足りない状況が続いているようにも感じられます。

茨城の神待ち掲示板を使う神待ちの女性たちを放っておくわけにはいきません。

一人の男性であるという前に「神待ち女性」の「神」である私たちは、率先して神待ち女性にアプローチをしかけて、彼女たちに救いの手を差し伸べるべきなのではないでしょうか。

茨城の神待ち掲示板をさまよう神待ち女性と出会って「神」になるタイミングは今をおいて他にはないかもしれません。

茨城の神待ち女性たち

神待ち女性と泊まりたい茨城のラブホテル

茨城の神待ち掲示板で神待ち女性と出会った場合、自宅に泊めるというのもアリなのですが、個人情報漏洩や盗難被害などの危険性を考えると、ラブホテルを利用するに越したことはありません。

水戸駅近辺にある徒歩圏内のラブホテルは、駅から近いにも関わらず、宿泊費が安くて使いやすいのがポイントです。

水戸市で神待ち女性と宿泊する場合、水戸駅から少し距離のあるラブホテルを使うことも多くなるでしょうから、神待ち女性とホテルに入室するにあたっては、車移動が必須となるかもしれません。

まずは水戸駅近辺でオススメのラブホテルをいくつかご紹介しましょう。

“ホテルドマーニ水戸”は、そのアクセスのよさと宿泊費の安さから非常に人気のラブホテルとなっています。水戸駅近辺でセックスしたい男女のホットスポットとも言えるラブホテルですから、満室で入室できない可能性も考慮して、第2候補のラブホテルを用意しておいたほうがよいでしょう。

“クロスウェイ”と“BE-FIVE”も、水戸市で出会った神待ち女性とセックスするなら覚えておきたいラブホテルですね。これらのラブホテルの利点は、宿泊費がかなり安めであるということ。その分、宿泊費に見合ったこざっぱりとした設備となっていますが、神待ち女性とセックスするならこれくらいのラブホテルがちょうどいいのではないでしょうか。

水戸市においては、水戸駅から少し離れたからといって、宿泊費が極端に安くなるというわけではありません。むしろ、土地の広さをいかして設備がゴージャスになっていく傾向が強くあるかもしれません。

水戸市の田園風景のなかに、突如サントリーニ島があらわれたのではないか、と錯覚させられる真っ白な外装と青色のアクセントが鮮烈な“ルヴィアーナ”は、サービスも内装も充実しており、家を失った神待ち女性たちに束の間のリゾート感覚を味合わせることができます。

続いて、イタリア語で「広い」という意味を持つ言葉を冠したラブホテル“アンピオ”は、その言葉に恥じずどの部屋も広いのが特徴で、神待ち女性とゆったり過ごすには最適です。雑木林の真ん中にたたずむこのラブホテルは、宿泊費が決して安いとは言えないのですが、水戸市の神待ち女性と贅沢な夜を過ごしたいのであればオススメです。

水戸駅から少し離れたラブホテルで、リーズナブルなラブホテルを探すのであれば“ホテルグランドール”の存在は把握しておいて損はないでしょう。地域最安値を目指しているだけあって、宿泊代がなかなか良心的な価格設定になっているように思われます。もちろん宿泊費が安いだけでなく居心地も抜群です。

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茨城, 関東

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