千葉の神待ち掲示板で「神」になろう

2018年11月14日

千葉の神待ち掲示板で「神」になろう

千葉の神待ち掲示板に、神待ちの女性が続々と集まっているのをご存知でしょうか。

神待ちが「神待ち少女」だけを指す言葉ではなくなり、むしろ18歳以上の「大人の神待ち女性」のことを指す言葉になって以来、神待ち掲示板を利用する「神待ちの女性」の数は増加の一途をたどっているといっても過言ではないでしょう。

何らかの事情によって家がなくなってしまい泊まる場所がない女性、一時的な「家出」などで一夜の宿を探している女性などが、神待ち掲示板で神待ちをするという行為は今後もなくなることはないでしょうし、それは千葉の神待ち掲示板においても例外ではありません。

むしろ、例外どころではなく、千葉の神待ち掲示板は、神待ち女性たちのホットスポットにさえなりつつあると言うことができるかもしれません。

千葉の神待ち掲示板では、神待ち女性たちが「神」の登場をいまかいまかと待ち構えている状況が続いていますから、このチャンスを逃すという手はありません。

千葉の神待ち掲示板を使って、いますぐ神待ち女性の「神」になりましょう。

松戸市でルームシェアをしている同居人が「神」をやっている

小雨が降っていた。深夜から早朝にかけてのジョギングを終えてアパートの鉄階段を登り、かぶっていたウインドブレーカーのフードをあげ、イヤホンを外しながらドアに手をかけると、室内から快楽に乱れる女の喘ぎ声とベッドがリズミカルに軋む音が聞こえてくる。

千葉県の神待ち掲示板を利用している「神」である同居人が神待ち女性を連れ込んでいるのだとすぐにわかって、開きかけたドアから手を離し、フードをかぶりなおしなるべく音を立てないようにしながら鉄階段を降り、小雨のなかを再び走りはじめた。

きっと、松戸市内のラブホテル「松戸Couples in HAPPY」で神待ちセックスでもした帰りなのだろう。神待ち女性との肉体の相性の良さに味をしめた同居人が、一晩だけの神待ちセックスだけでは満足できず、二人でルームシェアをしているアパートに神待ち女性を連れ込んでいるのだ。

「神」をやっている同居人による神待ち女性の連れ込みは、一度や二度のことではなく、日常茶飯事といってもいいくらいの頻繁な行動であるから、もうすっかり慣れてしまっている。

同居人が神待ちセックスをしている最中だけは、なるべくその性行為を邪魔せずに二人きりにしてやるというのが同居人に対するささやかな配慮である。別に、それを苦だと感じたことはない。

江戸川を渡って松戸駅の近辺を軽く一周してからアパートに戻れば、ラブホテルから始まったであろう長丁場の神待ちセックスの延長戦も終わって、二人とも心地よい疲れのなかで眠りに落ちていることだろう。東金町運動場の多目的広場のまわりを何周も走るのもいいかもしれない。

家でゆっくり休んでいるときに同居人が神待ち女性を連れて帰宅してくることもあるし、帰宅すると同居人と神待ち女性が神待ちセックスではない時間を過ごしているところに鉢合ったりもする。そんなときは、同居人に神待ち女性を紹介されて、自分も挨拶を返す。

居酒屋に移動して「神」である同居人と神待ち女性と自分の三人で飲むこともあるし、家飲みをすることもある。酒を飲みながら強かに酔っ払った神待ち女性と意気投合することもあるけれど、神待ちセックスのときだけは、神待ち女性と「神」である同居人だけを部屋に残して席を外す。

神待ち女性のYちゃん

性欲が強すぎるという自覚はあります(笑)

ジョギングをするようになったのは、同居人が神待ち掲示板を使う「神」であり、神待ち女性と神待ちセックスをすることがやめられないという異常性欲があることを共同生活のなかで知ってからのことだ。

仕事が長続きせず、最低限の家賃や共同の生活費を稼ぐための短期や日雇いのアルバイトが中心の生活で、どちらかというと無職であると言わざるをえないぼんやりとした時間の方が多かったから、どんな時間に走り出してもいつ部屋に戻ってきてもまるで問題はなかった。

ジョギングをしていると、何もしていない暮らしであっても何かをしているつもりになれる。そう考えると、神待ち掲示板を使って神待ち女性と神待ちセックスをすることばかり考えている「神」の同居人に感謝してもいいくらいなのかもしれない。

スマートフォンに「ちょっと長引くかもしれない」というような連絡が入っていたら、クレスト松戸や湯楽の里あたりまで走って、ジョギングでかいた汗をスパで流して休憩をとればいくらでも時間を潰すことができる。

同居人は、神待ち掲示板を利用し、神待ち女性と神待ちセックスをする費用を捻出するためだけに働いているような男だった。「神」である同居人がふらふらと定まらない暮らしをしている自分以上の社会性を保てているのは、彼に神待ちセックスという大きな目的があるためである。

神待ち女性と神待ちセックスをこなした翌日も、数回におよぶ射精によって疲れ果てているはずなのに、同居人が定時には必ず起き出して出勤していることには毎度ながら感心させられる。昼過ぎにのそのそと起きだしたときに、同居人の「神」が連れ込んだ神待ち女性と自分だけが二人きりでアパートに取り残されている、というのもよくあることだった。

取り残されて手持ち無沙汰になっている神待ち女性の話し相手になったり、遅めの朝食を作ってやったり、同居人である「神」が帰宅するまでの間、天気がよければ気晴らしに午後の散歩をしたりと、神待ち女性の暇つぶしに付き合うことも屡々ある。

同居人が連れ込んだ神待ち女性と、同居人がいない間に神待ちセックスをするということは、まったくないというわけではないが、ほとんどない。

バレたら怒り狂うというような性格の同居人でもないのは知っているので、なにも同居人との仲が険悪になることを恐れて神待ち女性に手を出さないのではない。 甲斐甲斐しく料理を作ったり話し相手になったりするくせに、その肉体には手を出さないということに対して、何か、特別な理由を見出すことは難しいように思われる。なんとなく、神待ち女性との神待ちセックスというものに興味が持てないだけなのだ。

神待ち女性のほうから強いアプローチがあり、断りきれず事に及んでしまったことはあるが、そういう場合、たいていは失敗に終わり、自分はセックスには向いていないのだという苦手意識が増幅されるばかりの時間を過ごすことになる。

おもに不慣れで不器用な愛撫を施すばかりで、男性器の挿入は、自分の快楽のためというよりも、求めてくる相手に快楽を与えるためだけに行う。しかし、挿入とは言ったものの、そもそも勃起をすることさえ難しいのだが。

同居人との神待ちセックスがそれほどよかったのか性行為への熱い期待に煽られているようであった神待ち女性は、ほとんど不能であるという誹りを免れることができない性欲の弱さをあらわにする男性器を前にして落胆の表情を浮かべる。

水元公園のなかをゆるく走って多目的広場に向かいながら、自分はどうしてこんなにも勃起ができないのか、ということをあらためて考える。「神」である同居人が連れてくる神待ち女性が自分の好みとは外れているから、というのはもちろんあるだろう。だが、どうも、それだけが理由ではない。

根本的な問題として、自分には、女性を見たら性的に興奮するという自明の回路のようなものがないのだと思う。たとえば、眼差しを向けるだけでなく、女性の豊満な乳房を揉みしだいているようなときでも、自分には、柔らかいものに触れているという感触はあるものの、「通常」とされている男性が抱くであろう性的な感動が、ない。

このような傾向は、性的に目覚めはじめた初期の段階から一貫して続いていることであった。クラスの男子らのくだらない猥談をなんとなく聞いているときに、女性を見たら男性はかならず性的な欲望を抱くものだ、ということが一つのコードになっていることをはじめて知った。

女性を見たら性的に興奮し、その結果として、しっかり勃起もすること。この自明とされている「反応」のルールは、自分にとっては「異常」として捉えられた。だが、むしろ、社会的に「異常」とされるのは自分の方なのであった。

女性を見て勃起をするためには、「女性を見たら勃起をする」と自分に強く思い込ませていく必要があった。最近ではそのような努力を全面的に放棄しているのだが、「女性を見て勃起しないのは、いけないことなのかもしれない」などと考えていた時期は、それこそ必死になって勃起のために努力したものである。

アダルトビデオやグラビアアイドルの映像などを大量に見て、勃起の訓練をした。「勃起をするぞ」「女性を見たのだから、勃起をすることになっているのだ」と自分に言い聞かせることを忘れてしまった場合、性的な映像は、自分の眼の前でぼんやりと車窓から眺める風景のように流れていくだけであった。

映像の女性、あるいは、眼の前にいる女性を見ながら、美しい、かわいい、きれいだ、と感じる。そう感じることだけは、できた。しかし、その、美しい、というような感覚と勃起を結びつけるには、自分には、なにか「飛躍」のような作業が必要とされた。

無論、たゆまぬ訓練の末に、なんてエロいんだ、と、性的に男性を刺激するであろう女性を前にして、そのようなことを「判断」できるようにさえなった。しかし、それは、そう感じる限りで「判断」で終わった。なんてエロいのだろう、という「判断」が、努力なしでは、「勃起」へと繋がっていかないのである。

エロい、エロすぎる、いやはや、とんでもないエロさだ、などといくら口で言えるようになったとしても、「エロいのだから、勃起するのだ」という回路をなんとか捏造してその回路に相当のエネルギーを注ぎ込まなければ、勃起に到達することはできなかった。勃起維持の難しさが、勃起到達の比ではないのは言うまでもないだろう。

生理現象として朝勃ちはするのだから、インポテンツというわけではなかった。ただ、女性という存在が、自分にとっては、多くの男性にとって自明であるような「性癖」ではなかっただけなのだろう。

かといって、男性が好きなのだ、というわけではない。むしろ、男性と女性を比べた場合、自分は男性のことが積極的に嫌いでさえあると思う。ルームシェアをしているのも、男色的な目的があったわけではない。二人の同居は、同居人と性的には真逆でありながらその気質が不思議と合った結果であり、また、お互いの経済や精神面での助け合いを目的としていた。二人のあいだに性愛にまつわる欲望はない。

「いつか性癖がちゃんと見つかるといいよな」というのは同居人がときおり自分に言うことであった。自分は「まあ、別に見つからなくても満足してるけど、もしあるのなら、それがどんなものか知ってみたい気持ちはあるよね」と答える。

神待ち女性Yちゃんのあからさまなエロさをめぐって

神待ち女性Yちゃんのあからさまなエロさをめぐって

同居人は、神待ち掲示板で出会った神待ち女性を松戸駅まで送ったあとの帰り道などに、少し寂しそうな眼になって「神待ち女性を相手に勃起しすぎる『神』の自分は、やっぱり、性的には異常者だと思うんだ」ということを不意に呟くことがあった。そのようなときの同居人は、彼の影というか、全身の輪郭が、どこか薄く、曖昧にぼやけはじめるような印象になる。

同居人の横を歩きながら「今日の神待ち女性のYちゃんは、蛙を想起させる口元が絶妙に歪んでいて性的な魅力を強めていたし、茶色のブラウスを立体的な丸みへと変形させて、眼差しを向けただけで眼が射精してしまうというか、まだ触れてもいないのに手に取るようにわかってしまうような乳房の弾力や柔らかさがものすごかったじゃないか。彼女の首元から垂れた金のネックレスが彼女の胸の膨らみの上に乗っかって彼女の乳房の豊満さを際立たせていたのを、君も当然見ただろうし。

それに話し声もぜんぜん下品じゃなかった。下品じゃないのに、それでいて、卑猥で甘い響きを携えていた。君が神待ちセックスをしている間、自分は外を走っていたから、彼女の喘ぎ声を聞くことはなかったけれども、君が彼女の膣を突くたびに、あるいは、彼女の乳房を左手で揉みしだき、口内に無理矢理に舌をねじこみながら、女性器の割れ目に右手の中指を侵入させるなどし、その侵入させた中指を膣内でカギ状に曲げて神秘の奥底にある性感帯を探り出して刺激する三点攻撃のときに、喉元から絞り出されるようにして思わず漏れてしまった彼女のあられもない嬌声を耳にし、また、その性的にそそる音声と同期するような痙攣や躍動を見せる媚態を前にして、君が興奮したり勃起をしたり射精をしてしまうというのは、正直、仕方のないことじゃないのかな。

今日の神待ち女性はあまりにもエロすぎたんだ。その誰が見ても明らかなエロさに対して素直であるっていうのは、おれみたいなひねくれた人間からすると、なんだか、美徳でさえあると思うよ」というと、同居人は軽く苦笑する。神待ちセックスもしていないのに、言葉が過ぎたようだった。

「確かに、今日のYちゃんはエロかった。それも、すさまじく。まったく、言うとおりだよ。まあ、神待ちセックス中、口と乳頭と陰唇を同時に刺激する三点同時攻撃はしなかったが。

だけれども、自分はYちゃんのようなエロすぎる神待ち女性を相手にした場合じゃなくても勃起をしてしまう。神待ち女性であれば誰でも性的に興奮し、勃起がおさえられなくなって、神待ちセックスをしてしまうだろ。松戸中の『神』が手をつけようとさえしない神待ち女性を相手にしてさえ、即座に勃ってしまうんだよ、俺は。それが神待ち女性だと思っただけで、どうしようもなく勃ってしまうんだ。そして、神待ちセックスの衝動を抑えられないんだ。

これはやっぱりどこかが異常なんだろうと思う。最近では、松戸の神待ち掲示板にアクセスし、神待ち女性を検索している段階でもうフルボッキなんだ。カウパー漏れまくりなんだ。なんなら、交渉しながら一回シコったりもしてしまうほどなんだ。それでも、神待ち女性との交渉が成立するとわかったら、射精したばかりなのにもうペニスがギンギンにおったってる。痛いくらいに膨張して、あー神待ち女性とセックスしたいよーはやく神待ち女性の膣に挿入したいよーって幼児性に満ちたわがままな悲鳴をあげつづけてる。

神待ち女性と待ち合わせ場所に向かうときなんて、一歩ごとにズボンのなかでチンコが擦れまくってて射精しそうなんだぜ。笑えてくるよな。なんなら、歩きながら射精してしまったこともある。神待ち女性の待ち合わせ場所まであと数百メートルってところで、みっともなくな、びゅっ、びゅっ、どぴゅっと、パンツのなかで迸る精液を、俺は止められなかったよ。

で、電柱にもたれかかって射精の余韻を落ち着かせて、なんとか歩行を再開する頃には、神待ち女性に向かっている、って思ってまた勃起してるんだ。あのときは、このままだと、百メートルごとに射精してしまうかもしれないって恐怖にかられもした。そのたびに電柱に精液のマーキングしたら俺はまったく犬畜生以下だななんて思ったりしながら、なんとか射精をこらえて神待ち女性のもとまでたどり着いたけどな。

ところが、その神待ち女性が年齢を二十もサバを読んでたんだ。とんでもない神待ち婆だよ。まったく、してやられたよ。だけど、そんな神待ち婆を前にしてさえも勃起は決しておさまらず、むしろ、陰茎はどんどん雄渾になっていくようで――」

東金町運動場多目的広場のまわりをもう何周走っているのか、数えていない。幸福なことに、走り始めてから誰ともすれ違っていない。誰もいない円という場所に、惹かれている自分がいた。もし誰かとすれ違ったら、そのときは、走るのをやめてすぐにアパートに戻ろうと考えた。

多目的広場の円形は三メートルほどの高さを持つフェンスでぐるりと覆われていた。それは「境界線」だった。自分が走っているのは閉じられた円形の外部である。走りながら、この「境界線」のことをひとまず「神待ち掲示板」と呼ぶことにした。すると、走行中に特有の、あらぬ方向へと逸脱するように動き始める思考のなかで、『意味の変容』と『人べらし役』のなかで扱われた二つの空間が粗雑に乱暴に混じり合いはじめた。

自分は「神待ち掲示板」という境界線に遮られた外側の人間であり、同居人は、「神待ち掲示板」という境界線に囲われた円の一点で、「神待ち掲示板」という閉じられた世界のなかでのみ出会える神待ち女性と神待ちセックスを行っている。

性に対する感性が欠如している自分と、性の過剰のままに動き続ける同居人の間には、同居しながらも、「神待ち掲示板」という境界線に遮られた断絶があった。同居人の神待ちセックス中に自分がアパートの外を走るようにしているのは、この「境界線」を大事にしているからなのかもしれなかった。

神待ちセックスが終わりアパートに戻ったあと、同居人と神待ち女性の存在を感じながら眠りに落ちていく時間や、同居人が労働にでかけて、自分が神待ち女性と二人きりになってしまうような時間は、「神待ち掲示板」という「境界線」が曖昧になる時間であるように思われる。

神待ち女性と「神」である同居人と自分が一緒にいる時間、あるいは、神待ち女性と自分が二人きりになる時間は、「境界線」が曖昧になる、というより、自分が、その「境界線の上に立つ」時間であるのかもしれない。勃起や射精は難しいが、同居人が連れ込んだ神待ち女性に愛撫を施しているようなとき、自分は、この「境界線」の上に立つどころか、越境しつつあるのかもしれない。

多目的広場の円周を走りながら、「神待ち掲示板」という「境界線」の外側を走っている自分を強く意識する。それは自分の内部空間を走るということだった。自分の外部、つまり、「神待ち掲示板」という「境界線」の内側で、アパートの同居人は、いまごろ、神待ち女性に何度目かのエクスタシーを与えているに違いない。

自分の外部空間であり、同居人にとっては内部空間である「神待ち掲示板」という巨大な円筒のなかで、「神」と神待ち女性が、たえず、出会いを求めて走り回っている。一方は、陰茎を屹立させ、その先端から我慢汁を垂れ流しながら、かたや、顔を上気させて膣をしとどに濡らしながら。

「神待ち掲示板」という円筒のなかには、性欲のままにせわしなく走り回る「神」や神待ち女性の他に、「交渉」や「出会い」を諦めてしまった「もと神」の姿も見える。

かつて、神待ち少女を探して「神待ち掲示板」の境界線の内側を走り回ったにも関わらず、ついに神待ち少女と出会うことができず、陰茎を勃たせる能力を失い、すべてを諦めて円筒の壁面に背中をつけて座り込んでしまい、自分の陰茎を見つめるような姿勢で動けなくなってしまった「もと神」の男性が、「境界線」の縁に溜まっている。

「神待ち掲示板」という「境界線」の内側に一度でも足を踏み入れてしまい、座り込んだ不動の姿勢のまま硬直した彼らに、高くそびえ立つ円筒の外壁を乗り越えるための力はない。

また、「境界線」の内側に迷い込んでしまったものの、「神待ち掲示板」の広大さに動揺し、また、目まぐるしく走りまくる大量の「神」や「神待ち女性」を前にして、どの方向に走り出したらいいのか、そして、この止まることなく走り続ける「神待ち女性」たちをどのように引き止めたらいいのかわからず、勃起した陰茎をきつく握り締めながら不安げな顔で右往左往している新入りの「神」の姿も目立つ。

しかし、やがて彼らも、円筒の内部でせわしなく走り回っては衝突するようにして出会った神待ち女性と即座に性的交接を開始する「神」たちのように、やがて、威勢よく走りはじめ、陰茎が勃たなくなってついに走れなくなるまでは、走り続けることになるだろう。

つがいになっていた「神」と「神待ち女性」は、一つの場所にとどまるということがない。「神」が「神待ち女性」の膣内に射精をすると、陰茎を拭う間も惜しいというように「神」は次の「神待ち女性」を探して放浪の疾走をただちに開始する。「神待ち女性」も股間から白濁を垂れ流しながら走り出す。

一度交接した二人がもう一度出会う確率はかなり低いと言わざるをえない。しかし、一度性交をした「神」と「神待ち女性」が再び衝突し、性行為を開始する可能性がまるでないと言い切れるわけではない。

「神待ち掲示板」の「境界線」のまわりを走りながら、高いフェンス越しに同居人の姿を探そうとした。しかし、「神待ち掲示板」という「境界線」の内部は、外側を走っている自分のような人間には、抽象化されたヴィジョンとしてしか捉えることができない。辛うじて、たえず出会い交渉と性行為が行われているということだけがわかるだけだ。

もし、神待ちセックス中の同居人を見つけ出そうとするのならば、「境界線」の内側へと、自分の外部へと侵入する必要があった。だが、「境界線」を超えた途端、自分は、円筒の壁にもたれかかって微動だにしない「もと神」と同じ姿勢をとることになり、動き続ける同居人を見つけることはついにできないだろう。

だから、慎重に「境界線」を回避しつつ、外側を走り続ける。同居人がアパートで神待ちセックスをしている間、自分はジョギングを続けなければならない。神待ち女性との不意の接触により、境界線の存在を身体で意識するようなときも、必ず、自分の内部空間である「神待ち掲示板の外側」に逃げられるように、いつでも、走り始めなければならない。

左側にカーブを描きながら果てしなく道が続いていくように見える多目的広場の曲線の切れ目から、犬を連れたジョガーが走ってくるのが、見えた。だらしなく真っ赤な舌を垂らしてはっはっはっはっという小刻みな呼吸を漏らしながら走る犬と、愛犬と寄り添うように走るジョガーの姿とすれ違いながら、思考は中断された。帰宅のタイミングがきたようだ。

思考が中断されるまで、いつもの何倍もの距離を走っていたことにも、いつの間にやら雨があがって雲の塊が流れていき朝日が差し込みつつあることにもまるで気付いていなかった。全身が雨と汗で外側と内側からそれぞれに濡れていた。

いまごろ、アパートのなかで神待ちセックスの射精をしているであろう同居人も、全身に自分と同じくらいの汗をかいて、神待ち女性のあらゆる体液も浴びて、それぞれの体液を皮膚の上で混じり合わせながら、同じように、全身を濡らしているのかもしれなかった。

多目的広場から抜けてアパートに戻る道のりを走りながら、自分は、全身の湿り気を通して、「境界線」の内部と外部という隔たれた別の場所にいながら、同居人と同じ空間、神待ち掲示板のなかにいるような感覚にとらわれていた。

千葉市の「神」による神待ち掲示板の買春遠征

千葉市(チバ・シティ)の「神」であるペニスが神待ち女性Lと神待ちセックスを終えた朝、千葉市のラブホテル「関所」の窓から見える曇り空は、交渉が難航している神待ち掲示板の色をしていた。

「関所」を世間の眼から隠すための塀のうえに覆いかぶさる枯れてしなびた棕櫚の葉を見つめながらペニスが考えていたのは、つい数時間ほど前に神待ち女性Lとのセックスで精液を放ってからずっと股間のあいだに力なくぶらさがって、朝勃ちもせずに柔らかくしなびたままでいる「肉体の付属品としての陰茎」のことではなく、去勢されたディジタル・ディックのことであった。

ディジタル・ディックさえ健在であれば、千葉市の神待ち掲示板を使うこともなく、千葉市の神待ち女性の女性器に男性器を挿入して射精するだけの単調なセックスなどという下等な性行為に及ぶ必要もなかったのだが、とペニスは自身が落ち込んでいる境遇にあらためて憂いを感じていた。

日本円を換金して確保したいくばくかの掲示板円(ケイジバン・イェン)は、精神的な自傷行為ともいえる神待ちセックスのための出会い交渉によって苛立ちとともに消費され、底をつきかけていた。

掲示板円が使えるうちに、千葉市の神待ち掲示板に身を潜めていると噂されているサイバネティックス・オーガニズムのエキスパート、ディジタル・ディックの修理者である神待ち女性とめぐりあわなければならなかったのだが、ペニスの前途は暗かった。

そもそも、そのような神待ち女性が本当に存在するのかどうかの確証もなかったのだし、噂話以上の情報はほとんどなかった。なかば最後の賭けに臨むようにして、ペニスは意を決して千葉市の神待ち掲示板を訪れたのである。

与えられた数回のオルガスムスの心地よい疲労からパンツを履くのも忘れて気を失うような眠りに落ち、聞くに耐えない下品ないびきをかく神待ち女性Lのぶくぶくと太った締まりのない染みだらけの女体、大きく開かれた股ぐらからのぞく、セルライトによる凹凸が醜い太ももの奥の女性器を見て、ペニスの表情が嫌悪で歪んだ。

神待ち女性Lのいびきは、生々しい肉体女性器の子宮奥深くに生息する手負いの獣のうなり声であるようにも感じられた。ペニスの耳は、いびきといびきの合間にときおり訪れる無呼吸の時間に神待ち女性Lの女性器が歯ぎしりをする音を幻聴として聞き取ってさえいた。

ディジタル・ディックとディジタル・ヴァギナ同士で行われる快楽拡張ファックに対する郷愁でペニスの胸は押しつぶされそうになった。

ペニスは、タブレットケースのシルデナフィル錠を乱雑に手に取ると、水も使わずにぼりぼりと噛み砕いた。そして、メタリックな鈍い光をはなつヒップフラスコを懐中から取り出し、噛み砕いた錠剤を粗悪なウイスキーで胃の中へと流し込んだ。

その服用方法は明らかに間違った危険なものであり、また、服用量もシルデナフィル錠の規定量を超えていたから、嚥下されたシルデナフィル錠は、ペニスの陰茎だけでなく、ペニスの心臓に対しても、すさまじい負荷を与えることになるだろう。

ディジタル・ディックを去勢されてしまった以上、ペニスは、もう電脳空間(Bulletin board of waiting for god)のなかで無数に開かれたディジタル・ヴァギナたちに挿入(アクセス)することはできない。ディジタル・ヴァギナとの快楽拡張ファックによるエクスタシーがのぞめないのであれば、どうして惨めに生きながらえる必要があるのだろうか。

ペニスは、快楽の可能性を奪われたことによる無力状態のなかで、死の衝動にかられていたのである。

神待ち女性のLさん

「神」が想像できるセックスは、「神」が必ず実現できる

宿泊場所がない神待ち女性に出会いの交渉をしかけ、生活費や宿泊場所などを提供し、その見返りとして神待ち女性とセックスをするという神待ち掲示板は、いわば、神待ち掲示板の「表の顔」である。「表」の神待ち掲示板は、現実空間における男女の肉体的セックスを最終目的にしている。

ディジタル・ディック、ディジタル・ヴァギナによる快楽拡張ファックは、神待ち掲示板の「裏の顔」でおこなわれる電脳空間性交のことである。

「裏」の神待ち掲示板においては、その最終目的は、男性器を女性器にねじこんで行われる肉体的なセックスにあるのではなく、テクノロジーを用いた身体感覚の拡張、脳が受け取った刺激を陰茎の刺激へと変換させることで生まれるまったく新しい快楽を増幅させることにこそある。

ディジタル・ディック、ディジタル・ヴァギナは、拡張機能を与えられたサイボーグ化された性器のことである。男根、および、女陰をサイボーグ化することによって、「裏」の神待ち掲示板を利用する「神」と神待ち女性たちの受容する快楽のステージは、新たなフェイズへと突入することになった。

それは、性の創造であった。快楽拡張ファックの場においては、男性器を女性器にねじ込むというような従来のステレオタイプな快楽は必ずしも必要ではなかった。 マルキ・ド・サドが「書く」ことを通して、それまでは「快楽」としては認識されていなかったような「切断」というものを、自分自身の「快楽」として創造していったようなことが、快楽拡張ファックの場においては求められた。

「脳」が受け取ることになるあらゆる刺激が、すべて「陰茎」の快楽として増幅されることになるディジタル・ディックの快楽拡張オナニーにおいては、たとえば、「日差しを浴びながら風にそよぐ木々や空を飛び交う鳥を見つめる」という映像を延々と見続けながら無限のエクスタシーに到達する者もいたし、「遠い昔に亡くなった祖母の背中を優しく撫でながら縁側に座る」という失われた時間を再生させ、その穏やかな時間の回想のなかで射精をする者もいた。

極上の料理を食べ続けながらその味覚と満腹感によって射精する者もいたし、バッハの旋律に耽溺して沈思黙考しながら射精する者もいたし、エリオットの詩を暗唱しながら射精する者もいたし、もちろん、ノーマルなセックスの最上級のものという陳腐なヴィジョンを疑似体験しながら射精するものもいた。

「脳」が受ける刺激の数だけ、快楽拡張によるエクスタシーがあった。人の「脳」の数だけ快楽の拡張の選択肢がある。その選択肢の例を、もしことごとく挙げていくとしたならば、おそらくは、途方もなく膨大な、決して完成しない果てしない性癖のリストが書かれ続けることになるに違いない。

快楽拡張ファック、というのは、ディジタル・ディック、および、ディジタル・ヴァギナを実装した二人以上の人間(それが、ディック同士、ヴァギナ同士という組み合わせでも問題がないのは、いうまでもない)が電脳空間のなかでやりとりをしながら快楽拡張の余地を探り、ともにエクスタシーに到達していく共同作業の営みである。

快楽拡張ファックも、快楽拡張オナニーと同様に例を挙げていけばキリがないのだが、その一つのサンプルとして、「コロッセオ・プレイ」というものを紹介してみるのもいいかもしれない。

「コロッセオ・プレイ」というのは、それぞれのファッカーが暴君・妻君となり、権力者の座席にすわり手を重ね合ったりひそひそ話などをしながら、見下ろす闘技場で無力な奴隷と獰猛な虎などを戦わせ、虎に人間が無残に食い殺されていく様を陶然と眺めながら愛と権力を確かめあい、そのときに発生する「脳」の充足感を、それぞれのディジタル・性器の快楽へと変換させていく、というプレイである。

「ノブナガ」といわれるタイプのものが代表的である「死の危険が迫りくるなかで最後の時間を過ごす」というような類の二人用の快楽拡張ファックも、ファッカーたちからの人気を博している。

「ノブナガ」で遊ぶ場合、本能寺に火をつけられる状況のなかで、ファッカーがそれぞれ「ノブナガ」と「ランマル」に扮し、死の危険が迫りいままさに大きな野望が自分の命とともに潰えようとしているときに、肛門姦をするもよし忠義を確かめあうもよし、死へと向かっていく甘美な時間のなかで炎の美しさを眺めるもよしで、どこに「刺激」を感じるかはファッカー次第なのだが、とにかく「脳」になんらかの刺激を感じ、電脳空間で出会ったもの同士が極限状況のなかで同時にエクスタシーに達するのである。「ノブナガ」を愛好するファッカーたちのなかには「ミツヒデ」の立場にたって3Pを楽しむ層もいるようだ。

さて、快楽拡張ファックを愛するファッカーであったペニスのお気に入りのプレイは、「クライスト・プレイ」と呼ばれる、聖書のテクストを、キリストの立場で追体験し、そのことごとくを快楽へと変換させていく一連のプレイであった。

裏の神待ち掲示板にアクセスし、「クライスト・プレイ」をともに楽しむことができる同好の士を見つけ出し、電脳空間のなかで聖書を再現する時間を過ごしながら、救世主になりきったペニスのディジタル・ディックは、果てしなく永遠に続くような千年王国に比肩しうる快楽を体験することになった。

「クライスト・プレイ」は、快楽拡張ファックにも快楽拡張オナニーにも適していた。「神の子の信者」であるということ、その「信心」を「快楽」に変換したい、という神待ち女性のパートナーと裏の神待ち掲示板で出会えなかったとしても、ディジタル・ディックを持っている限り、ペニスには無数の「快楽」の選択肢があった。

手かざしで皮膚病を治すイエスとして「奇跡」を起こし、「奇跡」で人を救うという行為を「快楽」に変換させたり、「荒野の誘惑」といわれる「悪魔からの三つの誘惑」を鮮やかな言葉で次々と乗り越えていくすべての過程を「快楽」に変換させるなどして、ペニスは、改造されたディジタル・ディックを通してたえまない連続射精を繰り広げていた。

ペニスの「快楽」はイエス一人に限定されることはなかった。旧約聖書をひもとけば、「快楽」の幅はさらに広がったのだし、ペニスは「創造主」の立場が味わうことになる「刺激」を「快楽」に変換させることを、ときには、イエスであるとき以上に大いに楽しんでいた。

とくに「ヨブ記・プレイ」を通して味わった快楽は、快楽拡張ファックのキャリアのなかでも最高度の快楽をペニスのディジタル・ディックに与えたのだった。

ペニスが創造主、「神」の友人がサタン、神待ち女性がヨブの役割を引き受け、ペニスは「自分の僕の信心深さを証明する」、サタンの「神」は「神の僕の信心をたえず疑い続ける」、ヨブの「神待ち女性」は「あらゆる理不尽な苦難に耐える」、これらがことごとく「快楽」に変換させられ、射精や絶頂へとつながっていく「ヨブ記・プレイ」のような快楽拡張ファックを体験してしまうと、もう、普通の神待ちセックスなどの単調な肉体的快楽では満足できなくなってしまう。

サイボーグ化された陰茎であるディジタル・ディックを持ち、裏の神待ち掲示板にアクセスし、快楽拡張ファックをすることは、ペニスにとって「生きること」そのものになっていった。もはや、ペニスは、快楽拡張ファックによって創造される新しい性的刺激なしでは少しも生きていけない身体になっていた。

ペニスは、裏の神待ち掲示板という電脳阿片窟でディジタル・ディックに依存する阿片中毒者のような男であった。

神待ち女性のディジタル・ヴァギナは電脳性病の巣窟であった

神待ち女性のディジタル・ヴァギナは電脳性病の巣窟であった

ラブホテル「関所」での退屈に支配された肉体的セックスを終え、充分な睡眠から目覚めた神待ち女性Lと別れたペニスは、千葉市のバー「ダンディライオン」でアイリッシュ・ピュアポットスティルのグラスを傾けながら、もし自分のディジタル・ディックが機能不全に陥っていなかったら、この口に含んだレッドブレストの味わいから受け取る「脳」の刺激のすべてが「快楽」に変換されただろうに、という悲しみに暮れていた。

このレッドブレストを味わうことによる「快楽」は、とペニスは、バーテンダーに裏の神待ち掲示板で快楽拡張ファックを繰り広げていた「神」であったことは微塵も悟られることがないであろう寡黙さとともに考え込んでいた。そう、その「快楽」は、生身の神待ち女性のクリトリスを舐めて喘ぎ声を引き出すときとは比較にもならないような「快楽」として与えられて、ウイスキーの華やかで芳醇な香りが絹にふれるような舌触りとともに口内に広がるときに、自分の全身を痙攣せしめたはずなのだ。

ペニスの失敗は、快楽拡張ファックをあまりにも盲目に追い続け、快楽を追求したがために、電脳性病の対策をせず、その危険性をまったく無視していたことにあった。

快楽拡張オナニーだけに耽溺する限りにおいては、電脳性病を気にかける必要はなかった。だが、裏の神待ち掲示板という電脳空間でディジタル・ディックとディジタル・ヴァギナをアクセスしあう状態に置くのであれば、電脳性病に感染する可能性をまるで考慮しないというのは、はっきりいって「命知らず」でしかない。

不特定多数の「神」と快楽拡張ファックを行ってきたディジタル・ヴァギナを持つ神待ち女性を相手にする場合、その危険性や、電脳性病感染確率は飛躍的に上昇すると言わざるをえない。

もちろん、電脳性病に感染しても、早期に発見し、適切な処置を行い、快楽拡張ファックを控えれば、ディジタル・ディックの機能は完全に停止するということはない。

それに、電脳性病の感染を防ぐソフトウェアをインストールし、ディジタル・ディックに実装すれば、電脳性病感染リスクは多少なり軽減される。しかし、電脳性病対策のためのソフトウェアをインストールすると、ディジタル・ディックの機能がやや低下し、快楽拡張ファックから得られる快楽が弱まるというデメリットがあった。

ペニスは、電脳性病に感染する恐怖よりも、快楽拡張ファックの快楽を最大限に味わうことを選んだのである。

電脳性病のデパートといえるような劣悪なディジタル・ヴァギナを持つ神待ち女性と快楽拡張ファックをした結果として同時に七種類もの電脳性病に感染するということさえなければ、あるいは、ペニスのディジタル・ディックも完全なる機能不全を避けることができたのかもしれない。

ペニスが七種類の電脳性病に同時感染したとき、ペニスは、裏の神待ち掲示板で出会った神待ち女性と、イスカリオテのユダとの『ユダの接吻』をモチーフにした快楽拡張ファックを行っていた。

キリストとユダのそれぞれの「愛のかたち」、使徒の裏切りと、神の子として避けられない運命の受容などは、接吻の瞬間にその「脳」に与える「刺激」を最高度に高め、ディジタル・ディックに途方もない「快楽」を送り込んだものだった。だが、ペニスは、その裏切り者の使徒との接吻のさなかに、脳の回路が焦げてショートするような「快楽」に包まれながら、複合的な電脳性病に感染していたのである。

電脳性病は、肉体が感染する性病を参考にしながら悪意を持って作られたコンピューターウイルスのようなものである。電脳性病対策のソフトウェアを実装していない場合、快楽拡張ファックによるエクスタシーの瞬間、眼の前に浮かび上がる白濁のきのこ雲のホログラフィーを見ているときに、ディジタル・性器の持ち主たちは、自分たちが電脳性病に感染したかどうかを知ることができない。

電脳性病は、ディジタル・性器のなかに滑り込み、ファッカーたちに感染を気づかせないようにして少しずつディジタル・性器の機能の襞へと侵入し、潜伏する。そして、快楽拡張ファックによる感染拡大を一通り見届けるのを待つかのような一定の潜伏期間を経て、ついにその猛威をふるうのである。

バイナリ梅毒、端末ヘルペス、プロキシコンジローマ、トロイのトリコモナス、マルウェアトラコマチス、ディレクトリ淋病、セキュリティ免疫不全症候群といった各種電脳性病群は、ペニスのディジタル・ディックに対して複合的に絡み合ったダメージを与え、再起不能の性的不全状態へと追い込んでいった。

電脳性病科のサイバードクターは、ペニスのディジタル・ディックに同時多発的に発生している電脳性病の重篤な症状を見て、即座に匙を投げた。これほどひどい電脳性病の感染ケースは見たことがない、というのが、日々電脳性病の患者を大量に見てきている現場のサイバードクターからの意見であり、それはまた、きわめて正しい見立てであった。

藪医者め、というサイバードクターに対するペニスの捨て台詞はまったく言いがかりでしかない。それは、電脳性病に罹患しているペニスがいちばんわかっていることであった。

電脳空間への挿入それ自体が危険であると見なされたディジタル・ディックは、挿入の権限を奪われる。電脳空間から追放されたペニスは、イチジクの葉の形をした電子葉脈基盤でディジタル・ディックを隠しながら楽園を泣く泣く立ち去ることしかできなかった。

自暴自棄になってシルデナフィル錠を服用していくら肉体の陰茎の機能を強めたところで、とレッドブレストのダブルを飲み干しながらペニスは考える。EDになってしまったディジタル・ディックがリブート(再勃起)することは二度とないのだ。

表の神待ち掲示板を利用する神待ち女性のほとんどは、ディジタル・ディックのことも、快楽拡張ファックのことも知らない。だが、ペニスは、藁にもすがる思いで、神待ちセックスをしたあとの千葉市の神待ち女性に「心当たりがあったらすぐに連絡してくれ」といって、サイバネティックス・オーガニズムのエキスパートであるディジタル・性器の修理者である神待ち女性の情報を探し続けた。

千葉市に来てからというもの、男根と女陰による肉体的神待ちセックスの体験だけが積み重なっていく。その肉体的神待ちセックスの回数はまもなく三桁の大台にまで到達しようとしていた。だが、ペニスが探している神待ち女性の情報に巡り会える気配は一向にない。

千葉市の神待ち女性との性行為を通して、肉体の陰茎のほうが性病に感染するリスクもあった。電脳性病のときの失敗がペニスを学ばせたのか、リアルセックスに快楽をそれほど感じていないからなのか、リアルセックスの場におけるペニスの性病対策や定期的な検査などは万全であった。

いくらディジタル・ディックからもたらされる快楽が優れているとはいっても、それがサイボーグであり拡張機能でしかない以上、土台である肉体の陰茎があってこそのディジタル・ディックである。ディジタル・ディックの機能を回復したところで、その土台となる肉体の陰茎が壊れてしまっていては、元も子もないのだ。

EDになったディジタル・ディックを回復させるのが先か、それとも、千葉市の神待ち女性の女性器への男性器の挿入によって肉体の陰茎が性病によって破壊されるのが先か。出会い交渉による掲示板円の減少と、リアル性病のリスクは、ディジタル・ディックの修理者である神待ち女性を探すペニスの頭を悩ませた。それは亀頭の悩みでもあった。

これから、「ダンディライオン」に神待ち掲示板で交渉に成功した千葉市の神待ち女性がくる予定だ。その神待ち女性がサイバネティックス・オーガニズムのエキスパートである可能性はかなり低い。期待値は可能な限りさげておくほうがいい。

相手が単なる神待ち女性であった場合(そして、この場合である可能性が濃厚なのだが)、その神待ち女性とは千葉市のラブホテルに移動し、肉体的神待ちセックスをする必要がある。

快楽拡張ファックによって性癖を全面的に書き換えてしまったペニスにとって、通常の神待ちセックスによって勃起、興奮、射精などを行い「快楽」を得るのは極めて困難になりつつあったのだが、シルデナフィル錠の力を借りればもうしばらくはベッド上で戦うことができるだろう。

手かざしで「奇跡」を起こしたあの男のように。ペニスは、グラスのなかで溶けていく氷の塊を見つめて、自分がかつては快楽拡張ファックのなかで模倣さえして尋常ではない精神的快楽を得ることにもなった、あのイエスに語りかけたくなるような気分になっていた。

とんでもないファックやりの妄想症救世主のように、このディジタル・ディックを手かざしで治してくれる神待ち女性ともしめぐりあうことができたならば、「神の子」のおまえの「奇跡」とやらを、「快楽」の道具としてではなく、確かな「信仰」として受け入れようと思うのだ。

神にだって誓ってやるさ。なんなら神のイチモツをしゃぶってやってもいい。勃起促進剤と酒がまわったペニスは、まわりの客が見えなくなったかのように二進法で点滅を繰り返す瞳孔を虚空に向けながら一人呟いていた。露骨に性的な独り言を聞き取ったバーテンダーが、わずかに眉をしかめた。

千葉市の夜は深まっていた。かつて、ダイアルアップ接続の時代に、ディジタル・性器の持ち主たちが快楽拡張ファックのためにインターネット・アンダーグラウンドを暗躍した、無法電話回線帯といわれる時間帯である。

いまでは昼夜問わずに快楽拡張ファックが行われている。精液のほとばしりよりも激しく遠くへ飛び去り、陰核に与えられた刺激が神経を走り脳に到達するよりもはやい光回線によって、ディジタル・性器の持ち主たちは時空を越えて快楽に溺れあう。

しかし、電脳空間への挿入の権限を失ったペニスには、地べたを這いずりまわって神待ち掲示板を通して女体へとたどりつき、粘液を絡みつかせあいながらする神待ちセックスをすることしか許されていなかった。

ペニスの視界の中心で、読み込み中を告げる画像が永遠の読み込みを続けながらぐるぐる回転していた。ディジタル・ディックの機能の全面的回復か、みずからの命を刈り取る再起動不能の強制終了の手続きをとらない限り、ペニスは、このローディングの牢獄に閉じ込められたまま死にながら生きなければならないのであった。

神待ち掲示板では千葉の女性たちが神を探している

神待ち掲示板を使ってみると次第に明らかになってくるのですが、千葉で神待ちをしている女性の数は想像以上に多いと言わざるを得ません。

千葉の神待ち女性たちは、神待ち掲示板で神の登場をひたすら待ちわびているのです。

傾向としては、「神待ち女性」の数に比して「神」である男性の供給が足りない状況が続いているようにも感じられます。

千葉の神待ち掲示板を使う神待ちの女性たちを放っておくわけにはいきません。

一人の男性であるという前に「神待ち女性」の「神」である私たちは、率先して神待ち女性にアプローチをしかけて、彼女たちに救いの手を差し伸べるべきなのではないでしょうか。

千葉の神待ち掲示板をさまよう神待ち女性と出会って「神」になるタイミングは今をおいて他にはないかもしれません。

神待ち女性と泊まりたい千葉のラブホテル

千葉の神待ち掲示板で神待ち女性と出会った場合、自宅に泊めるというのもアリなのですが、個人情報漏洩や盗難被害などの危険性を考えると、ラブホテルを利用するに越したことはありません。

松戸市での神待ちは、松戸駅、新松戸駅、北松戸駅など、様々な場所で神待ち女性と待ち合わせをすることになると思いますが、それぞれの駅の近辺に利用しやすいラブホテルがあるので、その点での心配は不要です。

“HOTEL LADY ASHLEY”は松戸駅から近すぎるので、神待ち女性と松戸駅で待ち合わせていた場合、このラブホテルを利用すれば、出会って十分後にセックスが始めることも可能でしょう。とはいえ、長時間滞在できるホテルですから、神待ち女性とのセックスにそこまで焦る必要もありません。

“松戸Couples in HAPPY”も松戸駅から非常に近いホテルで、部屋選びさえ厳選すれば、なかなか安い宿泊費で神待ち女性を泊められる上に、値段以上のサービスを受けることができるでしょう。

続いて“KSEA[HOTEL+SPIRITUAL]”は、新松戸駅からのアクセスが非常によいリーズナブルなラブホテルです。“KSEA[HOTEL+SPIRITUAL]”は、リーズナブルなだけでなく、スピリチュアルなラブホテルでもあるので、神待ち女性とのセックスを通して、なにか霊感に満ちたエクスタシーを体験することもできるかもしれません。

新松戸近辺で「日~木・祝日」で神待ち女性と出会うことになり、とにかく安い宿泊費でセックスをしたいのであれば、“オスカー”の存在は念頭に置いておきましょう。休日の前日は値段がやや高くなりますから要注意です。

“アルファ北松戸”は、神待ち女性を連れ込むのであればこれ以上ないような環境のラブホテルです。宿泊費から部屋の良さを考えると、コストパフォーマンスが抜群です。

広い松戸市内ですから、五香駅はちょっと遠くなってしまうのですが、移動が苦ではなく、宿泊費の安さで選ぶなら“ホテルCity”はかなりいいかもしれません。宿を持たない神待ち女性が再び路上に投げ出されることを考えると、一夜であっても、可能な限りゆっくりと休息する時間を与えてあげたいところです。

滞在時間と宿泊費のバランスを考えると、“ホテルエクセリーヌ”や“クライムジョイ”といったラブホテルは、神待ち女性に充分な休息を与えた上で、充分に体力を温存しながら落ち着いたセックスができるのではないかと思います。

千葉, 関東

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