和歌山の神待ち掲示板で「神」になろう

和歌山の神待ち掲示板で「神」になろう 和歌山の神待ち掲示板に、神待ちの女性が続々と集まっているのをご存知でしょうか。

神待ちが「神待ち少女」だけを指す言葉ではなくなり、むしろ18歳以上の「大人の神待ち女性」のことを指す言葉になって以来、神待ち掲示板を利用する「神待ちの女性」の数は増加の一途をたどっているといっても過言ではないでしょう。

何らかの事情によって家がなくなってしまい泊まる場所がない女性、一時的な「家出」などで一夜の宿を探している女性などが、神待ち掲示板で神待ちをするという行為は今後もなくなることはないでしょうし、それは和歌山の神待ち掲示板においても例外ではありません。

むしろ、例外どころではなく、和歌山の神待ち掲示板は、神待ち女性たちのホットスポットにさえなりつつあると言うことができるかもしれません。

和歌山の神待ち掲示板では、神待ち女性たちが「神」の登場をいまかいまかと待ち構えている状況が続いていますから、このチャンスを逃すという手はありません。

和歌山の神待ち掲示板を使って、いますぐ神待ち女性の「神」になりましょう。

和歌山の神待ち掲示板の「神」による紀伊半島周遊計画

和歌山の神待ち掲示板を利用するときはおもに和歌山駅近辺の神待ち女性を検索している。紀伊半島方面、たとえば、和歌山市の反対に位置する新宮市などで神待ち女性を探した経験は一度もない。

紀伊半島方面は同じ和歌山県内であってもどうしても遠く感じられてしまう。同程度の距離を移動することを考えると、堺や大阪などの神待ち掲示板を利用して大阪の神待ち女性と神待ちセックスをするという選択肢をとるほうがいくらか負担が少ない。

和歌山の神待ち掲示板を利用している「神」なのだから、和歌山市の反対側に位置する新宮市近辺の神待ち女性と一度くらいは接触してみてもいいのではないかとはたびたび思わされるのだが、そうは思ってもなかなか足は向かない。

和歌山の神待ち体験談というが、「神」としてのおれの活動範囲は極端に狭い限られたものに過ぎない。和歌山の神待ち掲示板の氷山の一角に触れているに過ぎないおれに、和歌山の神待ち掲示板の全容を語る資格も能力もないだろう。

もしおれに数ヶ月の休暇などが与えられたのであれば、時間と金が許すかぎり、その数ヶ月を利用して紀伊半島をゆっくりと周遊し、行く先々で神待ち掲示板を開き、その土地に住む神待ち女性に出会いの交渉をしかけて土着的神待ちセックスをするということもあるいは可能であるのかもしれない。

実際、和歌山の神待ち掲示板を利用して神待ちセックスをするための費用を稼ぐためだけに働いているのだ、というような実感に襲われる無為な労働のさなかに、ときおり、おれは、数ヶ月の余暇を与えられて紀伊半島の輪郭を愛撫するように移動しながら神待ちセックスの旅をする自分を夢想することがある。

紀伊半島をめぐり和歌山の神待ち掲示板の最深部に陰茎を挿入するために今日限りで仕事を辞めさせていただくことにしました、と突然の辞職を申し出て踵を返して職場から去っていくおれの姿を想像しながら、おれは得意先へと頭を下げ、革靴のなかで次第に蒸れて悪臭を放っていく靴下の不快なぬくもりとともに次の得意先へと移動し、朝方に眠気をこらえて丁寧に剃り落としたはずの頬髯が昼過ぎにはもうすでに青くなってきているのを土気色の肌の上に感じて疲れ果て、訓練された朗らかな発声と作られた笑顔の裏で暗澹たる感情に支配される。

和歌山市内のラブホテル「ホテルパスティ」などに神待ち女性を連れ込んで神待ちセックスをしている間、明日こそいよいよ仕事をやめておれは紀伊半島に身を潜めるあらゆる神待ち女性の膣という膣に挿入するセックス行脚をついに開始するのだ、などと考えながら思わず射精をするのだが、その決意もどこへやら、一晩もたつと、身だしなみを整えて窮屈なスーツを着込み神待ち掲示板を利用する費用を稼ぐためだけの労働へときっちりと定時で出かけていく従順さを見せつけるのである。

神待ち女性のKちゃん

熊野川が女性器のようにあるだなんて失礼しちゃうわね

「神待ち体験談」という文字が表紙に乱雑に書き殴られた大学ノートにここまでを書き記すとノートの上でペンを走らせていた私の手がぴたりと止まった。それから、紙に触れるか触れないかという地点でペンがためらいがちにふらふらと揺れはじめ、次の一語を書き込むのではないかという気配とともにペン先が紙に接近するものの、書き込むための次の一語が何一つ見当たらないということに気付いては紙から少し離れることを何度も繰り返し、しばらく宙空をさまよった。

和歌山の神待ち掲示板における神待ち体験談、その神待ちセックスの快楽、と呟きながら、私はひとまずペン先を紙の上に置いてみる。インクが少しばかり紙に滲む。しかし、紙の上に置かれたペンは点をぽつりと描くのみで、そこから文字を形成する動きを一向に開始しようとはしない。私は紙の上にペン先を押し付けたまま手首を罫線と平行に右方向へとスライドさせてみる。罫線に挟まれて紙の上に一本の線が引かれていく。

ある程度の直線がひけたあたりで私はペン先を浮かして紙から引き離した。罫線の滑走路を走り抜けたペンがノートの上空へと離陸していく。離陸に成功したペンを私は螺旋状に回転させながら少しずつ高みへと登らせていく。

ペンが飛び立った場所がもし関西国際空港であるならば、私のペンは上昇を続けながら和歌山の上空を紀伊半島の周囲を回り込む軌道で飛んでいるということになるのかもしれない。鳶の飛行のようにゆるやかな円の軌道を描いて上昇させたペンを、今度は同じ円運動のなかで螺旋下降させ、しばし空中遊泳を楽しんだペンをまだ何も書かれてはいないノート下部の白紙の部分へと不時着させる。

飛び立った場所が関西国際空港だとするならば、不時着したのはちょうど新宮市あたりである。私はノート上の滑走路から不時着の地点までをぼんやりと記憶している紀伊半島の輪郭でつないでみる。たちまち、神待ち体験談ノートの上に和歌山県の姿が現れる。

もちろん、和歌山県ということをまったく意識しないで見るものには、なにやらぐねぐねとうねる珍妙な線が引かれているようにしか見えないだろう。とはいえ、孤立した静かな暮らしをしている現在、私以外にこのノートを覗き見る者もこっそりと盗み読みする者も誰一人としていない。私の孤独死のあと、清掃に入った見知らぬ誰かによってこの神待ち体験談ノートが発見されるということはもしかするとあるのかもしれないが。

引かれた線の一方の極に和歌山市、もう一方の不時着の極に新宮市と書き記してから、私は、神待ち体験談の続きを書くでもなく、滑走路の直線のうえに大小二つの同心円を描いた。それから、同心円のうち大きいほうの円の外側に六本の短い線を等間隔で書き込んだ。その絵は工場の地図記号に似ているが、いうまでもなく女性器の下品な落書きである。和歌山の神待ち体験談は一行も進んではいないが、一つの女性器と、和歌山県の簡単な略図だけはノートの上に描かれることにはなったわけだ。これを大いなる前進などと言い張ることも可能ではあるだろう。私はひとまずの満足を得て大学ノートを閉じた。どこまで威勢よく前進したところで、この足取りはどこにも向かってはいないのだが。

書き進めた神待ち体験談を読むと、和歌山の神待ち掲示板を使う「神」の私は、神待ち掲示板を利用する費用を稼ぐために営業職という走狗として耐え難い労働の日々を過ごしているというが、そのような「神」の私を書きつつある私は、というと、営業職の人間でもなんでもない。そもそも「神」ですらないのだし和歌山という場所を訪れたこともない。和歌山市内のラブホテル「ホテルパスティ」での神待ちセックスなど当然していない。もっというならば、和歌山に限らず、神待ち掲示板というものを開いたことすらない。

私は福岡市のサウナ施設の休憩室のリクライニングシートに横たわり仮眠をとる他人たちのイビキのポリフォニックな音を聞きながらこの神待ち体験談ノートにペンを走らせていた。そして、営業職の人間として得意先をまわり顧客に頭をぺこぺこと下げて、退勤後や週末などに神待ちセックスすることを人生における唯一のささやかな楽しみとしている和歌山の「神」のことを書きはじめるやいなや、すっかり途方にくれてしまったのだった。

大学ノートをぱらぱらとめくりかえすと、和歌山駅近辺にある居酒屋の名前やメニューが細かくメモされている。これらのメモは、訪ねたこともない和歌山の居酒屋の味わったこともない名物料理を、この世に存在しない和歌山の神待ち女性と二人で味わうことを目的にして書き残されている。現実には存在しない架空の神待ち女性と、文字情報と写真でしか知らない居酒屋での会話を大いに楽しみ、どういうわけか断られることがほとんどない性交渉にすんなりと成功したあとは、入ったことがないラブホテルにチェックインしてお楽しみの神待ちセックスが開始される。そして、「神」の射精や、神待ち女性の絶頂などがあり、神待ち体験談の幕が閉じられる。そんなふうにして、私は、体験していない神待ち体験談を無数に書き残すことによって、全国に散らばった無数の神待ち女性たちとの神待ちセックスを繰り返し行ってきた。神待ち体験談を書くことによって増えていった経験人数は、私の実際の性的な経験人数をすでにはるかに上回ってしまっている状態にある。

身も蓋もないことを書いてしまうが、私は神待ち掲示板を利用して神待ち少女や神待ち女性に欲情する「神」という人たちの性欲がさっぱり理解できない。それに、神待ち少女という、法によって接触が禁じられている十代の家出少女などは神待ち掲示板と呼ばれる場所には一人もいないと考えている。また、神待ち女性と呼ばれる二十代以上の素人売春婦に金銭を支払ってする神待ちセックスという買春行為などを、自分はまったくしたいとは思わない。セックスを根本的に馬鹿らしいものだと考えているフシもある。神待ち体験談のなかで男性器を女性器に挿入するというような非常にわかりやすい安直な快楽の記述をするたびに、男性器を女性器に挿入することに対する自分の興味関心の希薄さを痛感する。

しかし、和歌山の神待ち掲示板の「神」としてテキストの上で動き始めた途端に、記述の中断により停滞を余儀なくされた「おれ」がそうであるように、男性器を女性器に挿入することだけが生きる喜びであり目的であるというような男性は、どうやら一定数、というよりも、私の想像以上に大量にいるようなのだ。

それだけではない。男性器を女性器に挿入することばかり考えている男性のなかには、出会い系サイトの言い換えでしかない神待ち掲示板という捏造された場所でのみ出会うことが可能とされている神待ち女性という限定された存在を相手にした神待ちセックスというものでしか興奮できないという性癖を持った「神」の男性さえいるのである。和歌山の「おれ」のような「神」の男性が。

私には、神待ち体験談を書くことを通して、このような「神」の男性が無事に神待ち女性の女性器のなかに男性器を挿入できるようにと、しっかりと言葉で運んでやるという義務だけがあるらしい。

再び、神待ち体験談ノートにおける和歌山の神待ち体験談のなかの、中断した地点まで戻ってみると、私によって語られつつあった「神」の男性が、一刻も早く次の神待ち女性の女性器のなかに男性器を挿入したいのにおまえのせいでさっきからまったく身動きがとれんのだ、勃起した陰茎をしぼますことも精液をはなつこともできないまま、こうして宙吊りのままずっと待たされているおれの身にもなってくれ、というような悲鳴をあげているのが聞こえてくるようであった。

和歌山市内のラブホテル「ホテルパスティ」で神待ちセックスを済ませたのだからもうそれで満足するということにはなりませんか、と問いかけると、私によって語られつつある和歌山の「神」の男性は、いいや、おれはあのような一文で済まされた神待ちセックスでは決して満足はしない、といって首を横にふる。その否定の身振りとともに、むきだしになった「神」のいきりたった男根のカリ首もぶるんぶるんと横揺れを見せる。

その揺れる陰茎の実に見事な屹立。この金剛石のごとき硬度を維持する男性器でもし膣内を奥まで貫かれ激しいピストン運動をされようものなら、神待ち女性のエクスタシーはまず間違いあるまいと思われる。彼は、自身の陰茎について、私によってそのように書かれることを疑いなく期待しているのかもしれない。だが、私は、彼の男性器について次のように書くことだってできるのだ。とても勃起しているとは思えないようなその短小包茎の男根の怒張は、挿入の瞬間に、挿入したことを神待ち女性にまるで気づかせないかもしれない。それ以前に、包茎の分厚い皮にくるまれた亀頭まわりにたまった悪臭を放つ不潔なチンカスが、神待ち女性の拒否反応を引き起こし、神待ちセックスに到達できない可能性を考慮したほうがよさそうだ、と。

「神」の男性は、一文で済まされるのではない、実際のセックスではおよそ感知しえないような女体と快楽の細密描写に満ちた濃厚な神待ちセックスの末の脳を焦がすような射精を求めているようだった。そうすることは、もちろん可能であった。しかし、そのような常軌を逸した快楽に満ちた神待ちセックスを「神」の男性に体験させることと同様に、私は、いますぐにでも彼を梅毒や淋病などの性病に感染させて性行為が二度とできない身体にしてしまうことだってできるのである。

どうしたものか、と思いながら、私は神待ち体験談ノートに描かれた女性器の落書きと和歌山県の地形の線を眺めた。そして、しばらくペンを弄んでから、よろしい、そんなにも、このとるにたらない女性器とやらへの挿入を欲しているのであるならば、うまくいくかどうかはわからないが、「神」の男性の男性器がしっかりと和歌山の神待ち女性の女性器へと挿入される方向へと体験談を書き進めてやろうではないか、と決めた。そして、女性器と和歌山の地図の上にペンを這わせて、私は神待ち体験談の続きを書き足していった。

――身だしなみを整えて窮屈なスーツを着込み神待ち掲示板を利用する費用を稼ぐためだけの労働へときっちりと定時で出かけていく従順さを見せつけるのである。だが、その数日後、おれは本当に辞表を出していた。そして、退職までのわずかな引き継ぎの仕事などを二週間ほどこなしてから、いよいよ紀伊半島へと向かったのである。紀伊半島をまわりこむ無職のおれは和歌山の神待ち掲示板の神武だ。これは神待ちセックスの東征なのだ。

神を待つ神待ち女性と神になった「神」の那智勝浦での邂逅

神を待つ神待ち女性と神になった「神」の那智勝浦での邂逅

われらが神待ち体験談の主人公、和歌山県の「神」の男性である「おれ」は、紀伊半島を海沿いにぐるりと南下しながら熊野を目指したようだ。だが、その道のりは一筋縄ではいかなかった。

海南で三人、有田で二人、吉備で一人、湯浅で五人、由良で三人、御防で二人、印南で五人、田辺で一人、白浜で十五人、日置で八人、和深で六人、串本で三人、紀伊大島で二人、古座で十三人、太地で一人、那智勝浦で四人、天満で七人、新宮で三十八人と、総勢百十九人にも及ぶ紀伊半島の神待ち女性たちとの神待ちセックスを終えて、まさに精根尽き果てたといった状態で、和歌山の神待ち掲示板の「神」である「おれ」が熊野に到着するためには、およそ五年ほどの時間が必要であった。この時間が、和歌山の神待ち掲示板の「神」である「おれ」が労働者のころに想定していたあの数ヶ月の余暇という時間を大幅に超えていたことは言うまでもあるまい。

紀伊半島を南下していく間、和歌山の神待ち掲示板の「神」である「おれ」は、神待ち女性を相手にして四十八手の体位を可能な限り試すことになった。寄り添い、鶯の谷渡り、立ち花菱、岩清水、鵯越えの逆落とし、雁が首、千鳥の曲、二つ巴、椋鳥、しめ小股、しがらみ、こたつ隠れ、だるま返し、深山、吊り橋、松葉崩し、テコがかり、千鳥、 後櫓、鵯越え、将棋攻め、仏壇返し、つばめ返し、抱き上げ、押し車、立ち松葉、獅子舞、首引き恋慕、帆かけ茶臼、抱き地蔵、本駒駆け、しぼり芙蓉、乱れ牡丹、鳴門、こたつかがり、手がけ、浮橋、百閉、茶臼のばし、流鏑馬、時雨茶臼、宝船、御所車、菊一文字、撞木ぞり、窓の月、立ち鼎、理非知らずといった潤沢な体位を、「おれ」は、まずは逐語的なやり方で実践することを楽しんだようだ。

はじめは、記述した順番通りに、一人の神待ち女性に対して新しく挑戦する体位は一つ、といったルールで四十八手に取り組んでいた「おれ」であったが、四十八人目の神待ち女性(和深の神待ち女性である)を相手にして四十八手をひととおり試し終えると、次は、一回の神待ちセックスのなかに四十八手をすべて組み込むというプレイに没入することになった。そして、寄り添いから始まり理非知らずへと向かって順繰りに体位を試していく神待ちセックスを終えたあとは、「おれ」は、理非知らずから寄り添いへと遡行するような順番で神待ちセックスを行った。

それから、「おれ」は、四十八手を「クンニリングス」「フェラチオ」「シックスナイン」「正常位」「後背位」「対面座位」「後背座位」「男性/女性上位」「騎乗位」「臥位・立ち居」などのカテゴリーに分類し、これら分類別の体位の組み合わせの一つの流れを「主題を持った旋律」として捉え、その「主題を持った旋律」の一つを上下に反転したり拡大縮小をしたり変形させたりしたものを複雑に組み合わせた、バッハのフーガの技法から着想を得たと思われる対位法的神待ちセックスに取り組むことになった。

しかし、「神」である「おれ」の肉体が一つである以上、神待ちセックスを通して「主題」の単純な反転や変形などは可能であっても、複数の旋律を調和させて重ね合わせていく対位法的神待ちセックスの実現は難しい。古座に突入するあたりまでの神待ちセックスで、カテゴリー別体位の一つ一つのユニットをフーガの素材として組み替える実践を一通り終えたあと、「おれ」は、ひとりの「神」として神待ちセックスをすることの限界に直面することになった。

そこで「おれ」は、和歌山の神待ち掲示板を利用する紀伊半島の「神」たちとの共同作業を試みることにした。「おれ」は対位法的神待ちセックスのプランと、その自作の譜面をたずさえて、和歌山の神待ち掲示板で同志を募った。しかし、直線的な単純な快楽を目指すのではなくエクスタシーの瞬間からたえず逃げ去るような遁走セックスを!という「おれ」の呼びかけに賛同する和歌山の神待ち掲示板の「神」は、当然ながらなかなか現れなかった。

太地の一人の神待ち女性を相手にした神待ちセックスでは、対位法的神待ちセックスなどくそくらえだといわんばかりに、これまでの神待ちセックス行脚のなかで習得してきたあらゆる体位を乱暴なまでに即興的に組み合わせる神待ちセックスが敢行されることになったが、その体位の変更の速度たるや凄まじく、およそ人間の身体能力の限界に挑戦しているのではないかとさえ思えるほどの壮絶な神待ちセックスを終えたあと、「おれ」や神待ち女性の全身が無事であろうはずもなく、身体の節々に捻挫や脱臼、打ち身などのダメージが残った。

しかし、プレイ中は、神待ちセックスを通して全身をかけめぐる強烈な快楽が麻酔のごとき役割を果たしていたようで、「おれ」と神待ち女性のそれぞれに肉体の痛みをまるで感知させることがなかったというのだから驚きである。

それに、なんといっても、「おれ」が、肉体の限界を超えた神待ちセックスの最中に陰茎折症を回避することができたというのは、まったく、不幸中の幸いであったと言わねばなるまい。もし、ここで陰茎が折れようものなら、「おれ」は、対位法神待ちセックスの構想どころか、最悪の場合は、通常の素朴なセックスさえも不可能な身体になり、志半ばで和歌山の神待ち掲示板の「神」を引退することになっていただろう。

和歌山の神待ち掲示板の「神」である「おれ」にとって、対位法的神待ちセックスのパートナーとなる紀伊半島の「神」がなかなか見つからないことと同様に、あるいはそれ以上に大きな問題であったのは、和歌山の神待ち掲示板を利用して神待ちセックスをするための神待ち資金が底をつきかけていたということであった。

神待ち資金を念頭におくと、日置を過ぎたあたりで「おれ」は交通費や宿泊費などが捻出できなくなった。それからの移動は徒歩が中心であった。運がよければ土方の運転するトラックなどをヒッチハイクでつかまえて移動することもできたが、そのような機会にめぐりあうことは稀であった。

宿泊は野宿である。神待ち女性との神待ちセックスに備えて、生命を維持する最低限の食費とラブホテル代、神待ち掲示板にアクセスするための端末費だけはなんとか確保していたが、このなけなしの金を、神待ちセックスをするわけでもない宿泊費として使うわけにはいかなかった。

和歌山の神待ち掲示板の「神」である無職の「おれ」は、旅が長引くにつれて、「神」というよりも、次第に、家を失った神待ち女性に近い存在へと変貌していくことになった。

那智勝浦に到着するころ、「おれ」は、いよいよ、神待ち女性と神待ちセックスをするための神待ち資金のすべてを使い果たすことになってしまった。

長らく続けられた神待ち放浪生活のなかで靴底に穴があくほどに履きつぶされ、雨風にさらされながら泥や岩場やコンクリートの上を歩き続けた「おれ」のスニーカーは、すでに靴の形状を保つこともできず、路上に落ちていた紐などでぐるぐる巻きに足に固定された即席のサンダルのごとき履かれ方をしており、それがかつてはバレンシアガのスニーカーであったという面影をすっかり消していた。

「おれ」が着ている垢まみれの服も、イッセイミヤケがいうところの「一枚の布」ではない襤褸切れの一枚の布になりはてていて、「おれ」の全身にまとわりつく漂白された海藻といったその襤褸切れを果たして服と呼べるかどうかは心もとなかった。

伸び放題の髪の毛と髭は枯木灘海岸や熊野灘の潮風を受けてごわごわに傷んでいたばかりでなく、当然ながらシラミと寄生虫の温床とも化しており、ポーランド糾髪病の症状が出ていたことは疑いようがなかった。

和歌山の神待ち掲示板の「神」である無職の「おれ」は、神待ち掲示板を使うこともできず泊まる場所もなく、また、家に戻るための方法もなく、ただただ放浪以外にはなにもすることができない那智勝浦の路上生活者になってしまったのだ。

「おれ」は、襤褸切れと化した一枚布をちぎって作った巾着袋のなかに少ない手荷物を入れていた。その巾着袋のなかには電池が切れて電源が落ちてからどれほどの時間が経過したのかもう思い出すことができない無能のスマートフォンと、対位法的神待ちセックスについての構想と、そのセックスを実行するにあたって必要となる「神待ちセックスにおける舞踊譜」とでも呼ぶしかない言葉のみで構成された譜面のメモ、海岸沿いの釣り人たちが落としていったルアー、那智黒石などが乱雑につめこまれていた。

もはや「神」と呼ぶことが難しい浮浪者の「おれ」は、お蛇浦海岸の岩場の目立たない「くぼみ」のなかに身を潜めて、蟹や魚などを食べながら日がな一日暮らしていた。そのような暮らしのなかでも、対位法的神待ちセックスという野望を諦める「おれ」ではなかったらしく、巾着袋から那智黒石とルアーを取り出すと、それらを「神」と神待ち女性になぞらえて、四組の神待ちカップルに仕立て上げ、巾着袋の、「おれ」以外には解読することができないであろう神待ちセックスのための舞踊譜を千畳敷の岩の上に広げて、対位法的神待ちセックスのシミュレーションに明け暮れた。

神待ち掲示板を使えなくなった「おれ」が岩場の上で対位法的神待ちセックスの夢想にふけって半年ほどの月日が過ぎたころ、救い主によく似た見た目の浮浪者が何やらぶつぶつと独り言をいいながらお蛇浦海岸で一日中石ころ遊びをしている、お蛇浦海岸にどうやら神がいるらしい、という噂はすでに那智勝浦ではある程度知られたものになっていた。

那智勝浦の神待ち女性Kは、神待ち掲示板を使って「神」からいくばくかの金銭を得て神待ちセックスを提供する神待ち女性ではなかったが、救い主である神の到来をひたすら待ちわびるという意味においての神待ち女性であった。神待ち女性Kは、自分のもとにいつか神がやってきて自分を救ってくれるのだという予感をいだきながらも、それをひた隠しにしながら暮らしていた。

お蛇浦海岸に神があらわれた、という噂が神待ち女性Kのもとに届いたとき、神待ち女性Kの胸は高鳴った。とうとうこのときがきたんだわ!神待ち女性Kは誰にも明かしていなかった神待ちのヴィジョンがついに現実のものとして眼の前にあらわれようとしていることを思うと、燃えるような信心をともなったそのような歓喜の声をおさえることがどうしてもできなかった。

世捨て人となりはてた「おれ」が岩場の上で対位法的神待ちセックスの構築に夢中になっているとき、神待ち女性Kは、足繁くお蛇浦海岸を訪れて、岩場のうえで一人遊びを続けている「おれ」の姿を遠巻きに眺めた。千畳敷の岩場は、隔てられた「神」と神待ち女性が出会うための交通の場である神待ち掲示板になりつつあったのだ。

蟹や魚などを食べていただけの「おれ」の寝床の近くにおむすびが置かれているということに「おれ」はしばらく気が付かなかったようである。対位法的神待ちセックスの構想を練りながら、手近にあったおむすびに手を伸ばして口に含んだとき、それが蟹や魚などではなく、人の手で握られた塩の味がするおむすびであるということに「おれ」は驚き、対位法的神待ちセックスの構想に支配されていた意識が、急速に「人間」であるとか「生」の方へと揺り戻されたようだった。

数日ほど差し入れを続けていたおむすびを「おれ」がはじめて口にしたことを確認すると、岩場の遠くから、一人の女性が、巾着袋をかたわらにルアーと那智黒石とメモ書きを散乱させてあぐらをかく「おれ」のもとへと向かってくるのを、「おれ」が見た。その足取りに迷いはなく、太陽を背中に後光をさすように「おれ」の前にすっくと立ち、「おれ」に手を差し伸べた女性は、もちろん、神待ち女性Kである。

半年に及ぶ放浪生活の果てに神待ち女性Kによって保護された「おれ」は、和歌山の神待ち掲示板を使う「神」ではなくて、地上に降りたった神として手厚い扱いをされた。身は清められ、ポーランド糾髪病におかされていた毛髪は念入りな洗浄の上で剃り落とされ、垢だらけの布から、洗濯がほどこされて清潔な袈裟に着替えさせられた「おれ」は、それまでの救い主としての見た目を失ったかわりに、仏に接近することになった。

狂気に隣接した独自の信心により神待ち女性Kによって神として扱われた「おれ」は、それから神待ち女性Kの家に滞在しながら、神待ち掲示板の利用を再開することになった。那智勝浦の四人、天満の七人、そして、新宮の三十八人との神待ちセックスは、すべて、この神待ち女性Kの助力のもとに行われた神待ちセックスである。

神待ち女性Kは、「おれ」の巾着袋のなかから出てきた対位法的神待ちセックスの、「おれ」以外にはおよそ解読ができないメモ書きを、何か、神から与えられた極秘の指令のように受け取ったようだ。神待ち女性Kは、対位法的神待ちセックスという性的な秘儀を達成させることこそが、「おれ」という肉体化した神を通して天上へと至る道だと考えたようである。

数組の「神」と神待ち女性のカップルの斡旋は、すべて、神待ち女性Kが取り計らうことになった。神となった「おれ」は、期せずして、お膳立てされるようにして、構想でしかなかった対位法的神待ちセックスを、実際の「神」と神待ち女性を演出するようにしてプレイする機会を得たのである。

那智勝浦、天満、新宮の神待ちセックスは、この対位法的神待ちセックスの実践によって執拗に数を重ねることになった。はじめは一つの主題を持つ神待ちセックスを二声、三声、四声と少しずつ声部を増やしながら実践した。

「クンニリングス」「フェラチオ」「シックスナイン」「正常位」「後背位」「対面座位」「後背座位」「男性/女性上位」「騎乗位」「臥位・立ち居」といった十の主題は、まずは、一つの主題を持つ遁走セックスとして、数組の神待ちカップルをプレイヤーとして、一つ一つ丹念に譜面通りにプレイされていった。

それから、一つの主題を持つ遁走セックスは、やがて、二つの主題を持つ遁走セックス、三つの主題を持つ遁走セックス、といった形で、それぞれの主題を組み合わせながら悪夢の順列組み合わせの様相を呈しながら能う限り実現されていくことになった。

クンニリングス、フェラチオ、シックスナイン、正常位、後背位、対面座位、後背座位、男性/女性上位、騎乗位、臥位・立ち居、これらの一つの主題を持つ、それぞれに二声、三声、四声のバーションがくわえられた遁走セックス。

クンニリングスとフェラチオ、クンニリングスとシックスナイン、クンニリングスと正常位、クンニリングスと後背位、クンニリングスと対面座位、クンニリングスと後背座位、クンニリングスと男性/女性上位、クンニリングスと騎乗位、クンニリングスと臥位・立ち居、フェラチオとシックスナイン、フェラチオと正常位、フェラチオと後背位、フェラチオと対面座位、フェラチオと後背座位、フェラチオと男性/女性上位、フェラチオと騎乗位、フェラチオと臥位・立ち居、正常位と後背位、正常位と対面座位、正常位と後背座位、正常位と男性/女性上位、正常位と騎乗位、正常位と臥位・立ち居、後背位と対面座位、後背位と後背座位、後背位と男性/女性上位、後背位と騎乗位、後背位と臥位・立ち居、対面座位と後背座位、対面座位と男性/女性上位、対面座位と騎乗位、対面座位と臥位・立ち居、後背座位と男性/女性上位、後背座位と騎乗位、後背座位と臥位・立ち居、男性/女性上位と騎乗位、男性/女性上位と臥位・立ち居、騎乗位と臥位・立ち居、これらの二つの主題を持つ、それぞれに二声、三声、四声のバーションがくわえられた二重遁走セックス。

これらの多重フーガによる神待ちセックスを、「おれ」は、神待ち女性Kと、彼女によって呼び集められた「神」と神待ち女性のカップルたちとともに大いに楽しんだ。この遁走セックスの日々と、そのバリエーションは、どこまでも組み合わせを増殖させて延長していくことが可能であるように思われた。

だが、新宮市のラブホテルで、クンニリングスとフェラチオとシックスナインによる三つの主題を持つ二声遁走セックスを行っているときに、「おれ」は、視界がぼやけてものがよく見えないという違和感から、果てしなく続くかと思われた絶頂からの遁走セックスを中断することになった。

「おれ」は梅毒に感染していたのだった。「おれ」と遁走セックスを交えて対位法的に身体を重ね合った神待ち女性たちも、また、それらの神待ち女性と交わった「神」もみな、梅毒に感染したようだった。「おれ」の眼は梅毒によってぶどう膜炎を起こしていたのである。

「おれ」の眼は、ぶどう膜炎以外にも様々な合併症を起こしていたようである。治療の甲斐なく、症状が進行していた神待ち掲示板の「神」である「おれ」の眼は失明した。もちろん、梅毒によって性的な能力も奪われた「おれ」は、今度こそ、いよいよ本当に和歌山の神待ち掲示板から撤退し、「神」を引退することになったのである。それから、「おれ」は失明のショックから弱り果て、神待ち女性Kに寄り添われながら息を引き取った。

残されたわずかな遺品である「おれ」の巾着袋のなかには、当時の名残としての那智黒石とルアーにくわえて、三つの主題を持つ遁走セックスまでの神待ち譜面がすべて収まっていた。神待ち女性Kは、その遺品のなかに、書きかけの一枚のメモ書きがあるのを発見した。そのメモ書きには、四重遁走セックスを目指したと思われる対位法的神待ちセックスの構想が未完成の状態で書き残されていた。

和歌山の神待ち掲示板を利用する「神」であった「おれ」は、四重遁走セックスというこれまで誰も経験したことがない快楽をもたらすであろう神待ちセックスを見据えて、千畳敷の岩場の上で一体どのようなヴィジョンを描いていたのだろうか。しかし、和歌山の神待ち掲示板を使う「おれ」が死んでしまった以上、もうそれを知ることはできない。

私は、この和歌山の神待ち掲示板の「神」による神待ち体験談を、和歌山に隣接する三重県熊野市に住む神待ち掲示板を個人的に研究している友人から伝え聞いたのである。だが、私には友人が一人もいない。

和歌山の神待ち掲示板によって産み落とされた「神」の神待ち体験談

「神」の活動は神待ち掲示板と切り離すことができない。「神」は神待ち掲示板とともにしか生きることができず、神待ち掲示板によって辛うじてその存在を許されている。「神」というのは神待ち掲示板という限定された水質を持つ渓流のなかでしか泳ぐことができない鮎のようなものであるのかもしれない、と神介は思う。

全身の毛穴から汗を吹き出しているお互いの肉体の皮膚をすりあわせ、和歌山の神待ち掲示板で出会った神待ち女性の膣中に男性器を挿入して夢中になって腰を振っているとき、神介は神待ち掲示板という場所とみずからの身体が一体化して自分が消えていくような感覚を味わう。

マチオカシンスケという名前を持った一人の人間である以上に、神待ち掲示板を利用する「神」の男性である自分。神待ち掲示板を構成するための景色の一つ、破片のようなものでありながら、神待ち掲示板全体を成立させる要素の一つとして欠かすことができない自分は、マチオカシンスケという関係性の網目のなかで雁字搦めになっている一人の人間よりもずっと大きな存在のなかへと神待ちセックスを通して溶け込んでいき、自分を取り巻くうんざりするような雁字搦めからいっときでも逃れているように感じられるのだ。

もし神待ち掲示板の稼働が完全に止まってしまったらば、おれはその瞬間から「神」ではなくなるだろう、と神介は考えた。しかし、おれが「神」である限り、おれが神待ち掲示板という川のなかを「神」として泳ぎ続ける限り、神待ち掲示板というものの稼働が完全に止まるということはおそらくないはずだ。だから、おれは生きている限りは神待ちセックスをやめてしまうわけにはいかない、と神介は自分に言い聞かせた。

それに、おれ以外の無数の「神」が神待ち掲示板を使う別のおれとして、「神」として、神待ちセックスをしていることは疑いようがない、と神介は考える。

神待ちセックスによって額から滴り落ちてきた汗の大きな粒が眼のなかに流れ込んできた痛みに耐えながら次々と落ちてくる汗の粒を拭うこともせずに取り憑かれたように腰を振り続ける神介は、おれが神待ちセックスをしていないときも、どこかで、おれではないおれが、「神」として神待ち掲示板を利用して神待ちセックスをしている、そのとき、神待ち女性の肉体という大地を通して、おれと、名前も姿も知らないおれ以外の「神」は、神待ち掲示板のうえで見えない繋がりを獲得しているのだ、という確信を、それが錯覚であると知りながら抱いていた。

新宮市のラブホテル「クリスタル」で、神待ち女性Mの膣を突くための神介の腰の動きはいよいよ激しさを増してゆき、肉と肉がぶつかりあう音が、後背位によって尻から全身へと広がる一突きごとの衝撃が神待ち女性Mのだらしない嬌声にブレを与えながらラブホテル「クリスタル」の108号室に響き渡る。

神介は高速ピストンを繰り広げていた腰の動きを少しばかり緩めていき、わずかに静止すると、今度は一転して、先端を円錐状に削り上げた木杭の上に大きく振り上げた掛矢を叩きつけ、その掛矢の一振りごとに木杭を地中深くへと突き刺し、人の手の力では二度と抜けなくなるほどの深さにまで木杭を埋め込んでいこうとするときに似た慎重ではあるが大胆なリズムで、神待ち女性Mの子宮口を狙い定めるようにして、陰茎の重い一撃を確実に執拗に神待ち女性Mの膣へと強かに打ち込んでいく。

それまでの高速ピストンにおいてはやむことのない野獣の咆哮のごとき喘ぎ声をたえまなく垂れ流していた神待ち女性Mは、挿入のリズムが変わると、途方もない力を込めて一息に最奥部まで到達する陰茎によって子宮口が突かれるたびに短い喘ぎ声をあげて身体を跳ね上げるようになった。神介は、性的快楽に対する神待ち女性Mの肉体の反応の変化を眺めながら、ハンマーで頭部を殴られて屠殺されるときの家畜のような喘ぎ方をする女だと感じて、再び腰の動きを速めていく。

喘ぎ声はふたたび空間の余白を埋め尽くそうという意志に満ちた連続性を帯びただらしない響きを取り戻し、四つん這いになった神待ち女性Mの腕は自らの肉体の崩壊を支えるようにしてしばらくは突っぱねられて上半身を支えていたのだが、やがて、ピストン運動の激しさに耐えられなくなり、肘から崩れ落ちて自身の折り曲げた腕のうえに突っ伏すようにして顔を埋めていく。そして、慟哭の声をあげながら神待ち女性Mの肉体は激しい痙攣を引き起こしながらのたうちまわる。しかし、神介は腰の動きをまったく緩めることはなかった。神介には、神待ち女性Mの膣内で射精をするのはまだまだ先のことのように思われたのだ。

神待ち女性のMさん

あたしがボニタ・セニョリータだって?お世辞でも嬉しいわねー。いいよ、おまんこ使わしてあげる

「神」の父と神待ち女性の母のあいだに産まれた待岡神介は、神待ち掲示板という場所によって産み落とされた人間であった。

和歌山の神待ち女性であった母を孕ませた「神」の父は、神待ちセックスをした神待ち女性が自分のセックスが原因で妊娠したということを知るやいなや、責任の一切を放棄して脱兎のごとく逃亡した。その逃亡先は大阪とも名古屋とも言われているが、それは憶測でしかなく、はっきりとした逃亡先は誰も知らなかった。

神介をこの地上へと産み落とした神待ち女性の母も、神介が三歳のころに神介を捨てた。出産後も、とても育児とは呼べないような育児中も依然として使い続けていた神待ち掲示板で知り合った別の「神」の男性に入れ込んでしまった神待ち女性の母は、駆け落ちするかたちで和歌山から失踪し、幼い神介を置いたままどこか見知らぬ場所へと消えてしまった。もしかすると、駆け落ちした「神」と心中でもしてしまったのかもしれないが、こちらも「神」の父と同様、その後の消息は杳として知れない。

「神」の父と神待ち女性の母という両親から捨てられた神介は、児童養護施設に預けられそうになっていたところを、なんど痛い目にあっても神待ち女性として神待ち掲示板を使うことがどうしてもやめられなかった神介の母の不埒で病的な性衝動に不快感を感じて眉をひそめてばかりいた母の妹、叔母によって引き取られ、叔母の子どもたちに混じって異母兄弟の養子として育てられることになった。

叔母は、姉が産んだ「神」の子供を産まれたその日からずっと不憫であると考えていた。神待ち女性の姉の無責任な出産によって、その前途にはただただ不幸な生が待ち受けているであろう神介のことを思うと、叔母は、なぜだか自分にも責任があるように感じられてくるのであった。

叔母はおれのことを実に大事によく育ててくれた、と神介はつねづね思う。新しく迎えられた家庭のなかで、血の繋がりのない異母兄弟たちとの間にもこれといった軋轢や不和を起こすこともなく、神介は神待ち掲示板などは一切使うことがない叔母の愛情を受けながら、たくましい青年へと成長していった。

だが、叔母によって実の息子であるかのように大事にされればされるほど、また、異母兄弟たちと良好な関係を築くほどに、神介のなかでは、自分は本来はこの家の人間ではないのだ、どこまでいっても自分はこの家ではよそ者なのだ、という感覚が強まっていった。他者の家のなかでぬるま湯に浸かってひっそりと違和感をいだくこのおれという人間は、では、一体どこの人間であるというのだろうか、という考えは、幼いころから神介には何をしているときでもずっと意識に貼り付いていた。

それは、人はどこから来てどこへ行くのか、そして私は何者なのか、という実に単純でありふれた、だからこそなかなか答えを出すことができないたぐいの問いへと神介を導くことになった。

このような問いに対して、神介は、一応の結論としてではあるものの、力強い彼なりの答えを持っている。おれは神待ち掲示板から来て神待ち掲示板へと行く「神」だ、おれは神待ち掲示板の「神」以外の何者でもない。これが問いに対する神介の返答である。この返答は、神待ち掲示板の利用を通して何度もリフレインされながら、神待ちセックスの射精のほとばしりのたびに神介のなかで少しずつ力強い声になっていった。

とはいえ、神待ちセックスの反復によって鍛えられ力強く放たれる神介の返答の声は、やはり、根本的な部分では、無根拠と不安と怯えによってどこか震えてもいた。その喉と唇の震えを隠して直視を避けるために、神介は表面上の力強さを自分の声の上に無理矢理に与えていたのだといえる。神介の一応の答えは、生きていく上で自分をなんとか誤魔化し、気を抜くと自死へと向かう道へとふらふらと踏み込もうとする自分のおぼつかない足元を律するために唱える呪文でもあった。

おれは「神」だ、神待ち掲示板から来て神待ち掲示板へと行く「神」なのだという呪文を陰茎に刺青を彫るようにして繰り返しつぶやく濃厚神待ちセックスを終えて、神待ち女性と別れたあとの一人の帰り道、神待ち掲示板という自分を成立させている場所と一体化し自分がマチオカシンスケとしてではなく神待ち掲示板の「神」として無思考に存在することができるあの世界との調和の時間、あの神待ちセックスの時間が、自分からすっかり遠ざかってすでに過ぎ去っていることに気付かされる瞬間、神介は自分の足元に真っ黒な穴があき、その穴が自分を永遠に落下させつづけるばかりの着地点のない暗闇へと引きずり込もうとしているというような、自分の何かが崩れ去るような感覚に襲われることがある。

神待ち掲示板という場所がおれをこの世に産み落としこの世は神待ち掲示板でありおれがいまや「神」であるということは明らかだ、というような神介の確信は、神介の確信を裏切るように、支柱の根本から腐っていた。人差し指で軽く勘所をつつかれて押されたり、ちょっとした風が吹いたぐらいのわずかな力が作用するだけで、この根本が腐った支柱はぐらぐらと傾きはじめ、やがて、柱によって支えられていたすべてのハリボテを巻き込みながら大仰に倒れていき、全面的な崩壊をむかえることになるだろう。

もちろん、神介がこのことに気付いていないわけがなかった。神介は、神待ち掲示板から来て神待ち掲示板へと行く「神」のおれなどという存在は、長続きすることはなく、おれはいずれ神待ち掲示板ゆえに崩壊して破滅することになるだろう、という予感を持ちあわせてもいた。

むしろ、その予感のために、きたるべき崩壊に向けて、崩壊したものが跡形もなくことごとく汚濁の肥溜のなかに飲み込まれて沈みながら消えていくことを期待して、神介は神待ち掲示板を過剰に利用していたのかもしれない。

「おれは呪われた場所から来た。そして、どこに行くこともできない。おれが来た場所はやがて消え去ることになるだろう。だから、おれはおれが来た場所に帰ることはできない。その呪われた場所は神待ち掲示板と呼ばれている。おれは神待ち掲示板にかつて君臨した蝿の王が神待ち女とアナルファックをしたときの名残りでしかない。蝿の王の陰茎には神待ち女の糞便が付着し、その糞まみれの陰茎はそのまま神待ち女性の膣内へとねじこまれた。アナルファックの最中に神待ち女の糞便に蝿の王が産みつけた卵を愛液と精液で洗い落としながら膣内に流し込んで、神待ち女の膣のなかでおずおずと顔を出していた卵子と結託させて孵化したのがおれだ。おれは『神』の蛆であり、神待ち掲示板の王子だ。」

これは、神待ち掲示板における神介のアカウントの自己紹介である。そして、神介のアカウントには、神待ち掲示板にきたところで自分はどこまでいっても結局よそ者でしかなく亡命先の神待ち掲示板にも自分の居場所などはどこにもないのだ、という意味をふくませた「クセニティス」というニックネームが記されている。

神待ち掲示板の記憶装置としての生を終えようとする和歌山の神待ち老婆

神待ち掲示板の記憶装置としての生を終えようとする和歌山の神待ち老婆

神介が自分の出生の秘密である神待ち掲示板のことを知ったのは、神介が小学校にあがったころに亡くなった祖母の葬儀のときである。祖父側の親族は、祖母の娘である神介の実の母が、神待ち掲示板などを使う神待ち女性であり、祖母の葬式にも顔を出さず、いまもどこかで「神」とやらと神待ちセックスをしているということを、どうしても許すことができなかったらしい。

祖父側の親族は、忌中払いの席で、神介が「神」と神待ち女の間に産まれた捨て子であり、叔母の本当の子供ではない、ということを、すでにその場には姿がない神待ち女性の母を罵る形で暴露した。その唐突な暴露、出生にまつわる秘密は、神介にそれほどショックを与えなかったようである。神介は、それ以上に、祖母の弔いの場で、何か自分が原因の理由で叔母が不当な攻撃に晒されているということに憤慨し、全身の血液が逆流するような怒りと申し訳なさにとらわれた。

祖父側の親族と叔母は少しのあいだ口論になった。年が離れていた異母兄弟の長女はその様子を眺め、ときおり神介に眼を向けて、さめざめと泣いていた。異母兄弟のなかで、彼女だけが神介の事情を知っていたのだろう。なにもこんな席でそんなことを持ち出してわざわざ言い争わんでも、という気まずさを感じながらも、仲裁にも入らず、ただ酒をすすっているだけの親族の無言の気配も忌中払いの席全体に濃厚に漂っていた。

神介は忌中払いの席で流れていた様々な感情が交差する空気を吸い込み、それから彼の人生にたえず同伴することになる深いため息を吐いて俯いていた。叔母を侮辱された怒りとともに、おれは産まれてきてはいけなかったのだ、という静かな感覚が全身に広がっていき、怒りとともに速まった鼓動が、その諦念のような感情を血液に乗せて指先の隅々にまで行き渡らせていくのを感じていた。

祖父側の親族の口から唾とともに吐き散らかされるカミマチケイジバン、カミマチオンナ、カミというような言葉が、その意味が理解されないままに自分に引っかかって沈殿する音として神介のなかに残った。

叔母が実の母ではないということにそれほどショックを感じなかったのは、やはり、叔母から受けていた愛情が神介にとって自分の身に余るようなありがたいものとして感じられていたからであろう。

とはいえ、出生の秘密を暴露されることによって、叔母の家のなかで漠然と感じていた、自分がよそものであるような気がするという神介の感覚について、なにか納得がいくような理由とはっきりとした輪郭が与えられてしまった、ということも一方では事実ではあった。

祖母の葬儀のあとも、神介と叔母、神介と異母兄弟の関係が壊れてぎくしゃくと歪むということはなかった。よそものである、ということが改めて自覚されたことで、むしろ、それを隠すために、叔母や異母兄弟との関係をなるべく良好にする方向に神介が動いていたともいえる。

だが、表面的にはあまり態度が変わらなかった神介の内部で、カミマチケイジバン、カミマチオンナ、カミという沈殿した音たちがときおり神介を遠くから呼ぶ声として聞こえていたということには、おそらく、神介と接する叔母も、異母兄弟たちもまったく気付いていなかっただろうと思われる。それらの呼び声と、神待ち掲示板への接近は、神介のなかでのみひっそりと進行していたことだったのである。

自分の出生にまつわる呪われた場所であると知りつつも神介が神待ち掲示板にたどりつき、さらに「神」にさえなってしまったことは、やはり宿命のようなものなのだろうか。しかし、神介には、自分と同様に、どこに行くあてもなく世間から見捨てられて、神待ち掲示板という掃き溜めにたどりつくことしかできなかったよそものの神待ち女性への共振という側面もあったように思われる。

性欲を満たすだけであれば、神介が神待ち掲示板を利用する理由はもちろんなかった。わざわざ「神」などを名乗って神待ち掲示板に参入し、神待ち女性との神待ちセックスにこだわるまでもなく、もっと手っ取り早く、性風俗を利用すればよかったのである。しかし、神介は性風俗ではなく神待ち掲示板を選び、みずから進んで「神」になることを決めたのだ。

神介が和歌山の神待ち掲示板で「神」をやっているということを、叔母も異母兄弟も知らない。串本に住む神介が、天満や新宮といった場所にまで車を走らせて「神」として行動するのは、「神」であるということを叔母や異母兄弟たちに知られないための、神介なりの配慮であったといえる。

しかし、神介には、神待ち掲示板を利用する「神」として神待ち女性と神待ちセックスをしている、ということが、いつか、叔母や異母兄弟にバレてほしいというような思いもあったようだった。天満や新宮などの下手すると叔母や異母兄弟の知人たちに目撃されかねない近場に車を走らせていたのは、神介のいたらない配慮であると同時に、「神」であることが叔母や異母兄弟たちに露呈することを期待した上での行動でもあった。

自分を捨てた「神」の父のように振る舞い、自分を捨てた神待ち女性の母と寝るようにして、和歌山の神待ち掲示板を通して出会った神待ち女性と神待ちセックスをする自分の存在を叔母や異母兄弟たちに知らしめ、やはりお前はよそものであり呪われた血筋から逃れられない人間であったのだ、と裁かれたいというような欲望が神介の奥底に根付いており、おそらくは、その欲望こそが神介を神待ち掲示板へと向かわせていた。

神介は、神待ちセックスをするにあたって、相手から要求されない限りは避妊をしない。相手の神待ち女性が安全日であるか危険日であるかの確認もとらず、容赦なく膣内射精をしていく。「神」であった父が、神待ち女性であった母にしたように、神介も神待ち女性の膣内に無責任に後先考えずに精子を注ぎ込んでいく。

神介は自分の神待ちセックスを通して神介のような人間をこの地上に再生産してはいけないと頭では理解しつつも、自分の父である「神」の行動を反復することをどうしてもやめられなかった。これもまた、叔母や異母兄弟に自分が「神」であることを知らしめてよそものとして追放されることを欲望しての行動であったのか。

神待ち女性に膣内射精をする神介の悪評は、和歌山の神待ち掲示板のなかである程度よく知られた噂になっており、神介は、和歌山の神待ち女性の一部からは警戒されていた。

神待ち掲示板という場所は、広大であると同時にきわめて狭いものでもある。神待ち掲示板はインターネット上にあり、それは全国津々浦々にまでネットワークを広げているが、ある特定の地域の神待ち掲示板を使う「神」や神待ち女性は、その特定の地域に縛りつけられながら暮らしている、肉体を持った限られた数の男女である。

そのため、東京や大阪などの大都市以外の、地域の神待ち掲示板は、どうしても閉鎖されたコミュニティ、ムラ社会のような様相を呈することになる。ムラ社会である神待ち掲示板において、「神」の噂は神待ち女性の間で共有されることになる。

暴力的な性行為を好むサディストの「神」、吝嗇の「神」、性病持ちでありながらセックスをやめられない「神」、不潔すぎて吐き気を催すような臭気を放っているような「神」、性的な方面にチャレンジされていてまともなセックスができないにも関わらず寂しさから神待ち掲示板を利用している「神」、膣内射精に異常なまでにこだわりを見せて無責任に逐電する「神」、管理売春の元締めとして斡旋できる違法風俗嬢を探すために神待ち掲示板を利用している「神」などの情報は、地域の神待ち掲示板という狭いムラに縛りつけられながらもその土地から離れることができない常連の神待ち女性たちのネットワークをかけめぐる。

悪評がついた「神」は、神待ち掲示板の土着的神待ち女性たちに共有されるそれらの情報をまだ知らない新参の神待ち女性を狙って、ネットワークの網目から逃れるような出会い交渉をしかける。そのような「神」と出会ってしまった新参の神待ち女性は、「神」によってその肉体と精神を傷つけられ、土着的神待ち女性はそれらの神待ち女性の被害を知ると、自分たちが住む神待ち掲示板という狭いムラのなかであった「神」と神待ち女性のトラブルに関する物語を語り、神待ちトラブルは新参の神待ち女性へと伝えられていく。

その神待ちネットワークの情報網の先端は、カリュウビョウノオバと呼ばれる神待ち老婆へと繋がっている。カリュウビョウノオバは、神介が利用する地域の神待ち掲示板で繰り返し行われてきた愛液を精液で洗うような神待ちセックスの歴史をすべて記憶しているといわれる古老である。

カリュウビョウノオバは若かりし頃に神待ちセックスによって感染した性病と加齢による閉経によってすでに神待ち掲示板を使う身ではなくなっていたが、寿命を待ちながらうつらうつらと瞼を落として深い眠りにつく日々を過ごすばかりのカリュウビョウノオバの意識には、和歌山の「神」による神待ち体験談や神待ち女性たちの嘆きの声がたえず流れ込んでくる。

カリュウビョウノオバが眠りにつくとき、カリュウビョウノオバはその眠りのなかで千人以上の神待ち体験を記憶することになる。何度も繰り返し吟味するように体験する神待ち体験談もあれば、その眠りのなかではじめて立ち会い記憶させられる神待ち体験談もあり、それらの神待ち体験談は、愛液と涙の混じり合った神待ち女性たちの快楽と嘆きがいりまじった洪水とともにカリュウビョウノオバの意識のなかに無尽蔵に流れ込んでくる。

性的にも年齢的にも神待ち掲示板を使うことができないカリュウビョウノオバが神待ち老婆であるのは、カリュウビョウノオバが現役の「神」や神待ち女性同士の一回の神待ち体験談より多くの濃密な神待ち体験談を網羅するように記憶しており、また、日々の眠りのなかで、神待ち女性としてのみでなく、性別を超えた「神」としても生々しく神待ちセックスをしつづけ、カリュウビョウノオバの身体を通して新たな神待ち体験談を語り直し続けているからに他ならない。

カリュウビョウノオバの睡眠サイクルは二日眠り二日起きるというかまとバアと同じものである。カリュウビョウノオバは二日間の深い眠りのなかでめくるめく神待ちセックスを体験し、目覚めの二日のうちに眠りのなかで体験した神待ちセックスを神待ち体験談として語り直す。

カリュウビョウノオバのなかではただ流れ込んできたままの神待ち体験談としてはまだ語られていない神待ち体験談が、ただただ記憶のままに大量に残っている。渾然一体となってカリュウビョウノオバの意識のなかに流れ込んだ神待ちセックスの記憶は、カリュウビョウノオバの身体のなかでまじりあい、目覚めてから語り直されるときには、その神待ち体験談は、カリュウビョウノオバの意識のなかに流れ込んできた神待ちセックスとはまるで違う神待ちセックスとなっているように思われる。

カリュウビョウノオバが目覚めてから語り始める断片的な神待ち体験談に耳を傾け、それを書きとめて記録していくのが、カリュウビョウノオバの介護をしながらともに暮らす曾孫である私の役割である。

私は、カリュウビョウノオバの介護をはじめ、深い眠りから目覚めたカリュウビョウノオバの口から「カミマチケイジバン」という言葉がはじめて出てくる日まで、神待ち掲示板という場所のことをまるで知らない人間であった。「神」という言葉だけは認識できたが、その「神」という言葉が通常の神を指す言葉ではなく、神待ち掲示板を利用して宿泊場所を提供するかわりに性行為を行う男性を指す言葉であることを理解するまでには時間を要した。

子供のころから年老いて穏やかな隠居の印象が強い「ひいばあちゃん」と呼んでいた存在が、二日間の眠りから覚めたあとに「神」や「神待ち女性」や「神待ち掲示板」について唐突に喋りだし、自らを「カリュウビョウノオバ」と名乗り始めたとき、当然ながら私はまずは曾祖母のボケや発狂などを疑った。しかし、「神」や「神待ち女性」や「神待ち掲示板」という言葉を使う以外の面において、曾祖母の言動はまともであった。それは九十歳を超える老体であることを考えると、まともすぎるほどに健康的な言動であった。足腰が弱っていて介護を必要とするものの、曾祖母の頭脳はむしろ冴え渡っていたのだし、神待ち体験談を聞きながらその記憶力に驚かされることにもなった。

「神」や「神待ち女性」や「神待ち掲示板」といった聞き慣れない言葉がカリュウビョウノオバとしてしゃべる曾祖母の口からぽつぽつと発されるのを耳にするはじまりの二日間を終えたあと、私は、それらの不可解な言葉を調べ、それらの言葉が何を指し示しているのかを知った。「ひいばあちゃん」と呼んでいたあの曾祖母が、老境に至って神待ち掲示板という買春掲示板にまつわる性行為の体験談を話しているということは、私に驚きとわずかな不快感を与えた。

祖母が二日間は眠り続ける部屋の隣で、私は、自分は神待ち女性の曾孫であったのか、と考え込んだが、もしそうであったとしても自分自身に流れている血を呪うような方向へと自分が動くことはないであろうと思った。それから、二日間の睡眠と覚醒のサイクルを数回ほど繰り返したころに、カリュウビョウノオバとして語り始められた曾祖母による神待ち体験談が、自分自身の身に起こった神待ち体験談ばかりではなく、自分の意識に流れ込んでくる様々な「神」や神待ち女性を巡るものであることが段々とわかってきた。

曾祖母が、神待ち掲示板という場所が成立する以前からその実質としては神待ち女性であったということ、そして、曾祖母が若年女性であった当時にはいまだ「神」とは名付けられていなかったがその実態においては「神」と呼ぶしかない男性との性行為を通して性病をうつされた経験があるということは、事実であるようだった。

インターネット上に神待ち掲示板という場所が成立するころには、すでに曾祖母は閉経していた。しかし、そうであるにも関わらず、曾祖母は神待ち掲示板を利用しつづけていたのだ。意識に流れ込んでくる神待ち掲示板の記憶にアクセスし、自分以外の「神」や神待ち女性と出会い、彼らの神待ちセックスを体験談として受け止めるカリュウビョウノオバとして。

次第に、私も曾祖母のことを「ひいばあちゃん」ではなく「カリュウビョウノオバ」と呼ぶようになっていた。二人きりの介護暮らしの様子を電話で聞いてくる母には「ひいばあちゃん」と言っていたが、私と曾祖母が二人きりになるとき、私は曾祖母のことをカリュウビョウノオバと呼んでいたのだし、また、直接的な言葉には出さなかったが、曾祖母が私にそう呼ばれることを望んでいた。

カリュウビョウノオバは、これまで家族の誰にも話してこなかった神待ち掲示板の記憶装置としての自分のことを、今もまだ意識のなかに神待ち掲示板の記憶が流れ込み続けている以上、そのすべてを語ることは不可能だとは知りつつも、介護の相手である曾孫の私にだけは、曾祖母としてではなく、神待ち掲示板のカリュウビョウノオバとして可能な限り語り伝え、この世を去っていくつもりでいるのだ。

前提を無視して思い出されるままに不連続に神待ち体験談を話すカリュウビョウノオバの眼差しには、そのような意志の光が静かに宿っているように私には感じられた。こうして、私の暮らしは、身体を満足に動かすことができない寝たきりの曾祖母の食事や排泄の世話と、カリュウビョウノオバの神待ち体験談の記録という二つの役割を持つことになった。

カリュウビョウノオバによって語られる神待ち体験談は、一つの物語であることを拒否するようなやり方で語られた。それは、ある神待ちセックスの一部の細密描写だけであることもあったし、「神」と神待ち女性が和歌山の居酒屋で交わした何気ない会話だけが取り出されることもあったし、登場する「神」や神待ち女性の固有名詞は入り乱れた。「神」の目線から神待ち体験が話されることもあれば、神待ち女性の境遇だけが延々と語られるということもあり、主体は統一されなかった。

溶岩のように熱く煮えたぎった「神」の精液が暴発し気道を塞ぐイラマチオによってえずくことも許されなかったわたしの呼吸困難の喉に注ぎ込まれた精液を防ぐすべもなくわたしは「神」の精液をことごとく飲み干すことしかできなかった、といって、頭をおさえつけられて「神」の陰茎を喉の奥にねじこまれていた神待ち女性の「わたし」の視点で喋ってから、しばらく黙り込んだカリュウビョウノオバは、ふいに思い出したようにして口を再び開くと、今度は、出会い交渉に成功した神待ち女性のもとへ向かう車のなかに差し込んできた午後の日差しや、川面に照りかえる光、風に揺れる木々や、開け放った窓にすべりこんで鼻腔を刺激する草いきれについての描写などを「神」の目線から語り始める。

イラマチオをされる神待ち女性と、窓をあけて車を走らせる「神」の関係は断絶しているのだが、カリュウビョウノオバの話のなかにおいてはフィルムをつなぐようにして連結している。カリュウビョウノオバによって語られる神待ち体験談は、つねに、このような飛躍を基本にしていた。

カリュウビョウノオバが二日間の眠りに落ちて神待ち掲示板の記憶を体験しているとき、私はカリュウビョウノオバの隣の寝室で録音を聞き返しながらノートのうえに神待ち体験談の断片を書き留めていった。

ふいに思い出されて語られた一部を集めていくと、別の日に語られた神待ちエピソードの細部同士が連結することがあった。カリュウビョウノオバによる神待ち体験談をメモするノートは、まずは、録音したものをすべて書き記したものが一冊用意された。それから、固有名詞が明らかになった「神」や神待ち女性ごとにわけられた編集用のノートを用意して、録音を書き記したベースとなるノートから編集用のノートへと、バラバラに語られたもののどうやら関わりがあるだろうと思われるエピソードを書き記し、散逸した神待ち体験談に繋がりを与えていく作業が加わった。

和歌山の「神」である待岡神介という顔も知らない男の神待ち体験談は、カリュウビョウノオバの口から断片的に不連続に話される神待ちエピソードの破片をかきあつめて、まとまった神待ち体験談として物語ることが可能であるように思われる地点にまでようやく溜まってきたものを、私が行間を少しずつ埋めながらなんとか整理してみた神待ち体験談のうちの一つである。

私は、途中まで書き上がった和歌山の「神」である待岡神介の神待ち体験談を、まとまった神待ち体験談としてカリュウビョウノオバに改めて語り聞かせてみた。私によってまとめられつつあった待岡神介の書きかけの神待ち体験談のなかには、もしかすると、待岡神介以外の「神」のエピソードも混じってしまっているかもしれない。それに、断片と断片を強引に結びつかせるために私が働かせた想像力のようなもので、カリュウビョウノオバに語られたのではない部分をも含んでいたのは確かである。だが、カリュウビョウノオバは、そのまとめられた神待ち体験談が、神待ち体験談の集積として合っているとも間違っているとも言わなかった。

待岡神介の神待ち体験談を聞き終えたカリュウビョウノオバは、しばらく黙り込んで私をじっと見つめていたが、ゆっくりと口を開いて、マチオカシンスケという「神」の名前は彼が「神」になるずっと以前の彼の幼少期のころから神待ち掲示板を通してカリュウビョウノオバの記憶のなかに流れ込んできていた名前である、ということだけを私に告げた。それから、「熊野の味処紀伊ikki」で「神」におごってもらったミンク鯨ウネスは美味しかった、と待岡神介とはおそらくまるで関係ないと思われる神待ちエピソードの取るに足らない細部を呟くと、眠りながら神待ち女性として食べた鯨の味を思い出したのか、わずかに微笑むような表情になった。

二日間の睡眠と覚醒のサイクルは、私が神待ち体験談をカリュウビョウノオバに語り聞かせたあとも数ヶ月にわたって続いているが、待岡神介のものと思われる神待ち体験談の破片がカリュウビョウノオバの口から出ることは一度もなかった。

固有名詞がないままに語られる神待ちセックスの快楽の細部に関する記憶は、もしかすると、待岡神介が体験した神待ちセックスの細部を切り取ったものであったのかもしれないのだが、それを裏付けるものはなにもなかった。

カリュウビョウノオバの口からは、新たな「神」と神待ち女性の固有名詞が続々と登場する。そのなかで、待岡神介という「神」のエピソードだけがたまたま集まりやすく、また、その集積が他の「神」や神待ち女性よりもはやく統一性を見せ始めたというだけにすぎない。

神待ち掲示板という全容をつかむことがほぼ不可能な存在の記憶を眠りながら一身に受け止めて体験しているカリュウビョウノオバにとって、待岡神介などは無数にいる「神」の一人に過ぎないのであって、自分の曾孫が、まるで特権的な「神」の物語を発見したかのように待岡神介の神待ち体験談を語り聞かせたことを意外に思ったかもしれない。ともすると、私の語り直しを聞きながら、どうして豊かな散逸をしている解体された神待ち体験談に、わざわざ一つの方向性を与えようとしてしまったのか、というような不快感さえ感じていたかもしれない。しかし、それをたしなめるようなカリュウビョウノオバではなかった。

カリュウビョウノオバは、今日も、というより、二日にわたって、断片的で不連続な神待ち体験談を話していた。話し終えるどころか眠りのたびに増えていく神待ち体験談を、あまり饒舌にではなく、年老いたカリュウビョウノオバが構成可能な長さの短い断絶したセンテンスとして、間をおいて少しずつ語り続けた。

二日間の覚醒という長くゆるやかな時間を、食事と排泄の世話をしながら、私とカリュウビョウノオバはそんなふうにして過ごしてきた。神待ち掲示板によって語らされるのを促されるままに話していたカリュウビョウノオバの眠気をこらえる眼は段々と蕩けるような印象になっていき、やがて深い眠りへと落ちていく。

また二日間の眠りに入る。神待ち掲示板の記憶が流れ込んでくる二日間の眠り。だが、その眠りは、二日間の眠りではなく、永遠の眠りへと繋がっている眠りでもあった。神待ち掲示板の記憶とともに眠る神待ち老婆が眠りながら最後に体験する神待ちセックスの快楽を、神待ち体験談としてを知ることができるものは一人もいない。

神待ち掲示板では和歌山の女性たちが神を探している

神待ち掲示板を使ってみると次第に明らかになってくるのですが、和歌山で神待ちをしている女性の数は想像以上に多いと言わざるを得ません。

和歌山の神待ち女性たちは、神待ち掲示板で神の登場をひたすら待ちわびているのです。

傾向としては、「神待ち女性」の数に比して「神」である男性の供給が足りない状況が続いているようにも感じられます。

和歌山の神待ち掲示板を使う神待ちの女性たちを放っておくわけにはいきません。

一人の男性であるという前に「神待ち女性」の「神」である私たちは、率先して神待ち女性にアプローチをしかけて、彼女たちに救いの手を差し伸べるべきなのではないでしょうか。

和歌山の神待ち掲示板をさまよう神待ち女性と出会って「神」になるタイミングは今をおいて他にはないかもしれません。

神待ち女性と泊まりたい和歌山のラブホテル

和歌山の神待ち掲示板で神待ち女性と出会った場合、自宅に泊めるというのもアリなのですが、個人情報漏洩や盗難被害などの危険性を考えると、ラブホテルを利用するに越したことはありません。

和歌山市での神待ち掲示板の利用においては、使いやすいラブホテルが多数存在することによって、かなりセックスがしやすい状況にあるように思われます。

駅からのアクセスもよく、宿泊費もお得な“和歌山リトルチャペルクリスマス”は、和歌山市で神待ち女性とセックスする場面で頻繁に利用することになるラブホテルでしょう。

クリスマスムードに包まれて、神待ち女性も枕元に靴下を置いて暖房の暖かさに包まれて眠っていたあの幸福な幼少期を思い出すことになるでしょうし、煙突からおりてきたススまみれの「神」の男性はというと、そんな神待ち女性の夢見る靴下にご自慢のペニスをギュウギュウにねじ込むというわけです。

イタリア語で「前進」という意味を持つ“ホテル アバンティ”が、その名前で何を指し示しているかというと、神待ち掲示板で出会った神待ち女性の膣の奥底へと向かっていく、「神」の男性の陰茎の持つ迷いなき「前進」への意志に他なりません。

たとえ陰茎が左右いずれかに湾曲していたとしても、そのセックスが「前進」であることに変わりはありませんから、心ゆくまで神待ち女性にピストン運動を行いましょう。

“ホテル ナポレオン”を利用する段階にいたれば、「神」の男性の辞書から「不可能」の文字が削除されることになりますし、宿泊プランの長時間滞在であったとしても、わずかに三時間ほどの睡眠をとれば、あとはハメっぱなしという革命的なセックスを敢行することができるのではないかと思います。

“アダム&イブ”を利用するにあたっては、ラブホテルの利用時間終了と同時に退室、つまり「楽園」を追放されることになりますが、ホテル滞在中は、賢しい蛇にそそのかされて禁断の果実をかじってしまい、「裸」である状態に恥じ入っていちじくの葉を股間にあてがうようになり原罪を抱える前の、創造主に愛されていた季節の幸福なアダムとイブとして神待ち女性とセックスすることができるでしょう。

神待ち掲示板は巨大なセックスの「山脈」である、ということを思い知らせてくれるのが、フランスのヴォージュ地方の名前を冠するラブホテル“リアンヴォージュ”です。このラブホテルでは、「神」の声を聞いて啓示を受けて神待ち掲示板の利用を始めた「オルレアンの神待ち乙女」との出会いがあるかもしれません。

最後に、和歌山市内でオススメのラブホテルは“ちろりん村”です。名前がとってもかわいいですよね。

和歌山, 近畿

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