鹿児島の神待ち掲示板で「神」になろう

2018年11月1日

鹿児島の神待ち掲示板で「神」になろう

鹿児島の神待ち掲示板に、神待ちの女性が続々と集まっているのをご存知でしょうか。

神待ちが「神待ち少女」だけを指す言葉ではなくなり、むしろ18歳以上の「大人の神待ち女性」のことを指す言葉になって以来、神待ち掲示板を利用する「神待ちの女性」の数は増加の一途をたどっているといっても過言ではないでしょう。

何らかの事情によって家がなくなってしまい泊まる場所がない女性、一時的な「家出」などで一夜の宿を探している女性などが、神待ち掲示板で神待ちをするという行為は今後もなくなることはないでしょうし、それは鹿児島の神待ち掲示板においても例外ではありません。

むしろ、例外どころではなく、鹿児島の神待ち掲示板は、神待ち女性たちのホットスポットにさえなりつつあると言うことができるかもしれません。

鹿児島の神待ち掲示板では、神待ち女性たちが「神」の登場をいまかいまかと待ち構えている状況が続いていますから、このチャンスを逃すという手はありません。

鹿児島の神待ち掲示板を使って、いますぐ神待ち女性の「神」になりましょう。

鹿児島の神待ち掲示板に火山灰が降り積もる

錦江湾の輪郭はオナニーのしすぎで変形してしまった男性器に似ている。あるいは、男性器が挿入された膣の断面図のようでもある。姶良カルデラはさながら巨大な亀頭であるか、陰茎の挿入によって広げられた子宮口手前の膣空間のふくらみである。

錦江湾というものを、「男性器を上から眺めおろしたもの」として見た場合、湾口から湾奥にかけて、根本から左曲がりに著しく変形した男性器は、ちょうど、カリ首の位置にあたる桜島あたりからは急激な右曲がりへとその進路を変えている。

薩摩半島と大隅半島によって気が遠くなるような長い年月をかけてぎゅっと握りしめられてきた錦江湾というこの海面男性器は、いったい、二つの半島のはざまでどのようなしごかれかたをされたことによって、このような異形ともいえる男性器へと変形してしまったのだろうか。

錦江湾を「膣内挿入時の断面図」として見た場合、錦江湾という海面男性器は、女性器へと転化することになる。すると、九州という島全体は快楽で身をのけぞらせた性行為中の女体のトルソーとしての姿を途端にあらわしはじめる。

これが神待ちセックスであった場合、東シナ海に身を置く「神」の男性は、錦江湾という神待ち女性器にピストン運動をしかけていくにあたって、佐賀から長崎あたりのトルソーの二の腕をがっしりと掴みながら、錦江湾における子宮口であるところの鹿児島県霧島市を後背位の姿勢で激しく突き上げているということになる。後背位で挿入されながら、大分の国東半島はふくよかな乳房として陰茎の一突きごとに弾むように揺れている。

下付きの狭い膣口を持つ錦江湾の湾口にねじ込むようにして挿入された陰茎は、錦江湾という膣内を無理やりに押し広げながら、みずからのシルエットを誇示しはじめる。

「神」の陰茎を無理矢理にねじこまれた膣内はいかにも苦しそうで、その締めつけを想像するだけで脳天まで痺れさせる快楽が走って危うく射精してしまいそうになる。射精をこらえるために閉じた瞼のうらに赤潮によって鈍い血の色に染められた錦江湾の海面が映し出され、錦江湾というのは「神待ち少女」という禁じられた十代の肉体の膣であったのか、と思わされる。

不意に、姶良カルデラに囲まれた桜島の火口から、一筋の、白濁にも似た煙が溢れ出す。錦江湾の海底からさらに百キロ以上奥底にある精嚢から汲み上げられたマグマは、桜島のマグマだまりと合流し、寸止め射精の繰り返しのなかでいまかいまかと射精の機会をうかがっていたのだ。しかし、錦江湾という神待ち少女の窮屈な膣の締めつけに、桜島もついに耐えられなかったとみえる。

桜島から迸った噴煙の飛沫は、無数の粒子となって鹿児島市内へと容赦なく降り注ぐ。夜更けすぎ、神の癇癪のごとき火山灰は、天文館通をその白濁で覆い尽くすことになるだろう。

神待ち少女S

神待ち少女の脱ロリ宣言

「焼酎処みかん」は、鹿児島市電の天文館通駅にほど近い路地に入り、萩原通りと二本町通りを一つ過ぎた角を曲がったところにある居酒屋だ。この居酒屋の一角で、鹿児島の神待ち掲示板のある一人の「神」が、何合目であるのか自分ではもう把握できていない量の芋焼酎を飲み、したたかに酔っ払っていた。

アーケードによって守られていない路地には、火山灰が着々とつもりつつあった。「神」は、傍目からは、酔えば酔うほどにどんどん「しらふ」になっていくように見える男性であった。酒を飲むことでみっともない醜態をさらすような真似は決してしなかった。しかし、「神」の内部は、その「しらふ」のような様子と反して、酔いの進行とともに、少しずつ、確実に摩耗し、破壊されていた。

「神」は、まだ手元のグラスに飲みかけのロックが残っているというのに、さらに二合の蔓無源氏を追加注文していた。グラスを握りしめる「神」の手は小刻みに震えているのだが、焼酎を口に含んで飲み干すと、わずかな時間ではあるものの、永遠の静止であるかのようにその震動を止める。そして、「神」の意識は、アルコールを飲むことによって「明晰な混濁」といった状態へと突入していく。

「神」は深刻なアルコール中毒だった。しかし、「神」は、鹿児島の神待ち掲示板を利用する前は、「たしなむ程度」の酒を楽しむような人間であり、アルコールに依存するようなことはなかったのだ。「神」が現在のような末期のアルコール中毒になってしまったのは、「神」が鹿児島の神待ち掲示板で十代の神待ち少女と出会ってからのことである。

一人の「神待ち少女」と出会う前、「神」は、鹿児島市内の「成熟した神待ち女性たち」と呼ばれる成人女性たちとの交際のみを楽しんでいる「神」であった。

そもそも、「神」は、鹿児島市内の神待ち掲示板に「神待ち少女」がいるなどということをまるで信じてはいなかったのだし、二十代後半あたりの女性との後腐れのない神待ちセックスで充分に満足できている自分に対して「おれは神待ち掲示板を利用する『神』としてはかなりうまく遊んでいるほうなのではないか?」という自負を持ってさえいた。

「神」のもとに、注文した蔓無源氏が運ばれてきた。「神」は、飲みかけのグラスを一気に飲み干すと、運ばれてきた蔓無源氏へと手を伸ばした。外見的に「しらふ」であっても、泥酔した「神」の手元はあやうい。蔓無源氏を持ち上げようとしたときに、「神」はなみなみと注がれた蔓無源氏をわずかに傾けてしまう。

ロックであるためにほぼ原液に近い濃厚な蔓無源氏は、卓の上に水たまりとなってその面積を広げようとした。「神」は、卓の上に雑然と置かれていた手帳を侵攻してくる焼酎の水たまりから逃がすために、持ち上げてどかそうとした。すると、手帳の隙間から数枚の紙片がはらりと焼酎の水たまりに落ちた。

蟻が這うような、ボールペンの細かい文字がびっしりと書きこまれた数枚の紙片は、焼酎の水たまりに侵食されてその文字を滲ませようとしていた。蟻の群れの溺死。「神」は、しばらく濡れていく紙片を呆然と眺めていたが、その数枚の紙片に「神待ち少女Sとの神待ち体験談」が記されていることを思い出し、あわててその紙片をすくいあげて焼酎をぬぐった。ボールペンの文字はにじみかけていたが、まだなんとか、かろうじて読むことが可能な程度にはその文字としての形が保たれていた。

とはいえ、その「神待ち少女Sの神待ち体験談」は、現在の「神」のようにすっかり泥酔した状態で勢いに任せて書かれたものであったから、焼酎によって文字が滲んでしまうまえから、すでに解読が難しい乱れた筆跡であったことは言っておかねばならないだろう。

「神」による手記は、「神待ち少女Sとの神待ち体験談」というよりは、「性的接触をしなかった神待ち少女へ向けた決して届けることができない手紙」という性格を持っていた。「神」によって書かれた「神待ち少女Sへの手紙」は、なにも、この焼酎によって濡らされた数枚の紙片だけではない。「神」は、同じような「手紙」を、泥酔するたびに何度も繰り返し書いていた。

それらのなかには、書いている途中で「神」自身の手に握り締められてぐしゃぐしゃに丸められたり激情にかられて破り捨てられたものも多数あったのだから、いま「神」によって救い出された湿った紙片も、焼酎に濡らされるままにその文字を溶かし尽くしてもよかったのかもしれなかった。

紙の上に「神待ち少女Sへの手紙」を書いていないときでも、「神」は、意識がある間はつねに神待ち少女Sに向けて手紙を書いているような状態にあったといえる。浴びるように意識を失うまで「酒」を飲むということも、「神」にとっては「手紙を書くこと」と同じであった。泥酔し、意識が「明晰な混濁」に陥ると、それがどれほど無関係で支離滅裂な思考であっても、そのすべてが神待ち少女Sという二度と触れ得ない対象へと無理矢理に繋がっていくことになるからだ。

この日の「神」は、神待ち掲示板で出会いの交渉に成功した成熟した神待ち女性と、「ホテルパルクス」で神待ちセックスをしてきたばかりであった。

「神」は、「パフェが食べたい」という神待ち女性を「カフェ彼女の家」へと案内し、三種類のマンゴーソースで彩られたかき氷である「黄熊」を振る舞い、手慣れた交渉術でホテルへと巧妙に誘い込み、成熟した神待ち女性の膣にその陰茎を挿入することになったのだが、この「神待ちプロセス」の間、「神」は、眼の前にいる二十代の神待ち女性を通して、ずっと「神待ち少女S」のことを考えていたのだ。

「神待ち少女S」と出会ってから、「神」は、女体で勃起するという機能を喪失しつつあった。「神」が勃起するためには、すでに記憶から薄れつつある「神待ち少女S」の面影を回想するしかなかった。いや、性行為をして肉体に触れたわけでもなく、また、時間の経過とアルコールによって日々消えつつあった「神待ち少女S」で勃起をするというとき、「神」は、ただ「神待ち少女S」の名前を呼んでいただけなのかもしれない。

呪詛のように繰り返される「S」の連呼によって、「神」は自分のなかに「神待ち少女S」を辛うじて召喚していた。そして、脳裏で「S」の連呼をしていることをおくびにも出すことなく、まるで目の前の神待ち女性の肉体や、性的なアクションに反応しているのだ、といわんばかりの勃起をしてみせて、なおかつ、挿入もしていたのである。

繰り返された「S」の連呼が次第に「叫び」に近づくと、それは「神」の射精が近いということだった。眼を閉じながら、自分自身の陰茎が呼び続ける神待ち少女のイニシャルの「S」と同一化してしまったのではないか、というほどの「S」に到達すると、「神」はすさまじい量の精液を放出するのだ。

そして、射精後の倦怠感のなかで、触れることもできず、また、二度と会うこともできないであろう「神待ち少女S」との失われた時間を思い、書き終わらない手紙、出すことができない手紙、言葉ではない手紙を、また神待ちセックスを通して書き続けてしまったということに気づき、途端に心がふさぎこんでしまうのである。

また、神待ち少女Sという存在、その名前が、勃起や射精と結びついてしまった自分に対して、「神」は嫌悪感を抱いていた。

神待ち少女Sとの繋がりを実感するために、はじめは勃起も射精も不要であったのに、時間が過ぎて記憶が薄れていくとともに、「神」は、勃起や射精というものを通して無理矢理にでも神待ち少女Sを実感しなければ、その過ぎ去ってしまった手が届かない存在の破片と自分とを繋ぎ止めることができなくなっていったのである。

神待ち少女Sは「神」のなかから少しずつ消失しつつあった。やがて、彼女の名前を呼びながらも、「神」は自分が誰の名前を呼んでいるのかすっかりわからなくなってしまうだろう。明らかにそれが神待ち少女Sの名前でありながら、その言葉の響きが神待ち少女Sの存在や実感とは結びつかなくなっていくだろう。

「S」という名前を内部で絶叫しながらする勃起と射精の日々のなかで、「神」は、近い内に自分に訪れるであろう「神待ち少女Sの完全な消失」の予感に怯えていた。

精液は鈴口からゆっくりと精巣へと戻っていき、深く閉ざされた扉の内側に引きこもって、もう二度と、外に飛び出そうなどとは思うまい。勃起した陰茎の角度は、少しずつその角度を下げていき、やがて、しなびはてた陰茎は陰毛の密林の奥でひっそりと暮らす隠遁者となる。

擦り切れるほど呼び続ける名前から失われていく手触りから、「神」は、精液や陰茎たちのたどることになる末路が、すべて自分のものであるということを突きつけられていく。だが、いまは、まだ、辛うじて……。

水たまりを広げていくままにカウンターの縁から流れ落ちた焼酎が、「神」の太ももを濡らしはじめていた。しかし、「神」は、湿った手記を持った姿勢のままじっとうつむいて、神待ち少女Sのことを必死に思い出そうとしていた。その不動の姿勢は、鹿児島の神待ち掲示板のひとつの活人画であったのかもしれなかった。

神待ち少女を包んだ光が神待ち女性の暗黒膣内へと消えていく

神待ち少女を包んだ光が神待ち女性の暗黒膣内へと消えていく

鹿児島の神待ち掲示板。そして、出会い交渉のたびに繰り返されるうんざりするような爛れた性との格闘。はしたなく快楽に身悶えする神待ち中年女性の野獣の咆哮のごとき喘ぎ声で、壁が怯えによって震えているようであるラブホテルの一室。惰性でしかない膣外射精。

ラブホテルの窓の外からは、かすかに、太鼓や笛、乱雑に打ち鳴らされる鐘の音が聞こえてきました。人々のまばらな歓声も、寄せては返すさざなみのようで、すべての人が遠くへ去って散り散りになってしまったのかと寂しく感じていると、ふいに、わっと鬨の声があがり、僕を驚かせます。

神輿をかついだ男達が競い合うようにして畳み掛けるソイヤ!ソイヤ!の掛け声の重層的な響きは、練り歩きながら少しずつ接近してきているはずなのに、ずっと同じ曖昧な場所で足踏みをしているかのようです。路上整備のヒステリックなホイッスルが、天高く飛翔する雲雀のごとく鹿児島の空をつんざいていく鋭く短い音は、僕の身体を垂直に貫くようにしてはっきりと届いてくるというのに。

今年もおぎおんさあの季節がやってきました。でも、これから先、何度おぎおんさあが巡ってこようとも、あのとき、君と二人で過ごしたおぎおんさあの季節は、もう二度と僕のなかには帰ってはこないのです。

Sちゃん。君は、もう、神待ち少女ではなくなっていることでしょう。僕は、いまでもまだ鹿児島の神待ち掲示板で「神」をやっています。馬鹿みたいでしょう。いや、馬鹿そのものなのだと自分でも思います。

僕のなかで、君の姿は、君の記憶は、いつまでも、あのときの神待ち少女のままです。いや、それどころか、ますます神待ち少女としての印象が強まっているようにも感じられます。

僕は、二人で過ごしたあのとき、君の神待ち少女としての輝きをしっかりとは直視できていなかったのかもしれません。しかし、直視せずとも、僕はその途方もない輝きを全身で受けつづけてはいたのです。それが日焼けとなり、そして、そばかすになっていく過程で、僕は、はじめて君を神待ち少女としてはっきりと認識できたのかもしれません。それは、夏の喪失を知るということでもありました。

鹿児島の神待ち掲示板を通して出会っていながら、僕と君は神待ちセックスをしませんでした。だから、このラブホテル「パルクス」の一室で君と過ごしたという記憶は、僕のなかには一つもありません。

でも、おぎおんさあの喧騒から逃れて城山展望台へ向かおうとしているとき、僕たちがこのホテルの横を通り過ぎたということだけは、もしかするとあったのかもしれません。

今日、神待ち中年女性と「パルクス」に向かっているときに、君と二人で並んで歩いていた時間が鮮明に蘇ってくるということがありました。眠気を誘う陽気に包まれて、街中が浮かれているようなおぎおんさあの賑やかさを背後に置き去りにしつつ、甘美で気怠い散歩を君と二人でした穏やかな時間、眠りながら白昼夢のさなかを彷徨っていたようなあの時間が、不意に、胸元にせりあがってくるようにして。

17歳になったばかりの君は「成長痛で膝が痛い」といっていました。僕は、その日はじめて君と知り合ったのだから、それまでの君がどの程度の身長の女の子であったのかを知りません。君の年齢には不似合いな遅れてきた「成長痛」という言葉は、僕と出会うほんのわずか前の君が、すごく小柄な女の子であったということを僕に想像させました。だけど、成長痛に苦しむほど急に身長が伸びてしまった君の頭頂は、出会ったそのときには、もう僕の鼻のあたりの位置にありました。もし、僕と君がキスをしたならば、君は少しばかりつまさき立ちになって背を伸ばしたのかもしれません。二人の間に、そんなことは起こらなかったけれど。

曲がりくねりながら少しずつ傾斜を増していくようだった鹿児島城山遊歩道を君と二人で登り、城山展望台から桜島をぼんやりと眺め、そして、遊歩道を降りてそのまま別れてしまうまでの時間は、おそらくは、わずか二時間ほどでしかなかったのではないかと思います。しかし、僕は、その二時間ほどの時間のなかで、きっと、最良の時間を生きてしまったのだと思います。

その時間は、僕にとって特別な何かが起こったから最良であったのではありません。むしろ、特別なことなんて、二人の間にはなにも起こりませんでしたよね。それは、君がいちばんよく知っていることでしょう。

神待ち少女の君と二人でただ黙々と歩いた時間であったから。ただそれだけのことであったから、僕と君の時間は、僕にとって忘れがたい、最良の時間になったのではないでしょうか。少なくとも、鹿児島の神待ち掲示板を使っていて、僕は、君と過ごしたような充実した何もない時間を誰かと過ごすことは、もう二度とできなかったのです。

僕の「神」としての活動は、神待ち掲示板で出会う神待ち女性との神待ち体験は、いつも「何かが起こった」のです。というより、「何かが起こる」ということを前提に、それを目的にしているというのが正しいのかもしれません。その「何か」というのは、「男女の性行為にまつわるあらゆる出来事である」といってよいでしょう。

神待ちセックスを目的にして活動することが前提の「神」でありながら、こんなことを言い出すのですから、君は、細い首にはやや重すぎるように感じられる頭を傾げてこちらを上目遣いに見るあの仕草で、僕のことを見るかもしれません。

君が僕のことをそのような眼差しで見ることも、君の仕草に僕が眼差しを向けることも、もう二度とないのですが、僕は、そんな風に僕を見てきた君に見惚れていた自分のことを、いま、書きながら、思い出しているところなのです。

確か、僕は霧島神宮の話を君にしていたのではないかと思います。僕は霧島神宮にまつられている邇邇芸と天孫降臨に関する話をしながら一人で興奮していて、その話と僕の興奮が君の小首を傾げさせて、怪訝な表情を作らせてしまいました。そうだった気がするんだけれど、違ったかもしれません。

遊歩道を半分くらい登ったあたりだったと記憶しています。話の内容をおぼろげにしか思い出せないのは、遊歩道の両脇に鬱蒼と茂る木々の隙間から差し込んだ木漏れ日の光が、小首を傾げて僕を見つめる君の睫毛にあたっていて、君の睫毛が光のなかで微かに震える光景に心を奪われていたからでしょう。

それに、君の色素が少しばかり薄い眼は、その茶色の虹彩を光のなかでさらに透き通るものにしていたのです。君の眼の輝きを、君は知らなかったと思うけれど、僕は、君の虹彩の眩しさを前にして陶然としながら立ち尽くすことしかできなかったのです。

いや、神待ち掲示板で「神」なんて名乗るいかれた稼業をやっているとね、どうしても日本の神のことが気になってしまうんだよね、いま言ったことは、忘れてほしい、なんてことを、どぎまぎしながら早口で釈明して、僕は君の眩しさから眼を背けたんじゃなかったかな。

神待ち体験として特筆すべきことは、やっぱり何もなかったと思います。僕と君の間には何もなかったし、何も起こらなかったのです。

だけれども、僕たちは午後の陽光に包まれていたのだし、二人で同じ方向に向かって歩いていました。君の身体は、17歳になった君の肉体は、坂を登るために地面を踏みしめるたびに、隣りにいる僕に、生命力の塊が寄り添っているという歓喜を与えてくれたものでした。僕たちを取り囲む遊歩道の生い茂った植物たちは、ささやきあうような微かな音をたてていて、僕たちが黙々と登る遊歩道の地面の光を揺らしていました。だから、あの何もない時間のなかには、すべてがあったのだし、あらゆることが起こりつづけていたのだ、といってもいいのかもしれません。

僕は、神待ち少女の君と歩いたあの時間のなかに葬られてしまったのでしょう。あのとき、僕はもうすでに終わっていたのです。最良の時間は、過ぎ去っていたのです。

それなのに、まだ神待ち掲示板を使い続けているのか。だからこそ、神待ち掲示板を使い続けているのか。アルコールで壊れた僕の魂は、もう何も判別することができません。

今日は、たまたま日差しが似ていたから、不意に、君のことを、こんな風に思い出すことができました。でも、最近は、君と歩きながら二人を包んでいた光の記憶が、少しずつ光量を絞られていって消え去ろうとしているのを感じています。僕と君を包んでくれた過去の光が完全に消えて、指先を見ることもできない暗黒だけが僕を取り囲んだとき、すでに終わっている僕は、やっと、本当の終わりを迎えることになるのでしょう。

僕にはもう、おぎおんさあの人混みのなかに消えていく神待ち少女の君を偶然発見して、その遠のいていく後ろ姿を追いかけようとして、妨害する人混みの海のなかを逆行するようにかきわけていく、というような、劇的な終わりは許されてはいないのです。ただ、終わったことを告げる画面が、寝落ちした鑑賞者の前に延々と表示されているだけなのです。

奄美大島の神待ち掲示板を周遊する「神」の退屈な性生活

神待ち掲示板という場所を、見渡すかぎりどこにも辿り着けそうにない大海のど真ん中に投げ出されるというような無限の広がりを持つ空間として見るか、それとも、外部と断絶された閉塞した孤島内における繰り返される暮らしの煮詰まった空間として見るかは、神待ち掲示板を利用する「神」によって違ってくるのではないかと思われる。

たとえば、東京などの主要な大都市の神待ち掲示板を利用する「神」の男性であれば、入れ替わり立ち替わり、たえず新しく掲示板に参入してくる神待ち女性の書き込みが発見されるというような、めまぐるしい環境のなかで神待ち掲示板を利用することになるのだから、おそらくは、前者の、大海のごときイメージを神待ち掲示板のなかに見出すことになるのではないだろうか。

大都市の神待ち掲示板は、神待ち女性の書き込みという灯台の光にすがって女性器という港へと到着しようと舵を切り、港町のラブホテルでの神待ちセックスというわずかな停泊を経て、ふたたび大海へと投げ出され、漂流の身に戻る、というような決して終わることがない性的な航海を続ける「神」を大量に生み出すことになる。

都市型の「神」の男性は、はじめて神待ちセックスをするはずの神待ち女性を前にして、その女体に触れ、男性器を女性器に挿入しながら、自分がいま錨を沈めつつある港に対して、いつかどこかで停泊した港と似通っている、というような既視感を抱くこともあるだろう。

しかし、この既視感を吟味して、しばらく同じ港町に停泊しつづけるような時間的な余裕は都市型の「神」の男性にはない。神待ち掲示板を利用し続ける限り、一つの港町に安住することができない都市型の「神」の男性は、その錨を早々に引き上げて、ふたたび神待ち掲示板という大海をただただ漂流する運命が待つばかりの船旅に出発しなければならないからだ。

一方、地方都市の、さらに、県庁所在地ではないようなローカルな地域においては、このような都市型の「神」のあり方はなかなか成立しないものである。ローカルな地域の神待ち掲示板という場所は、多かれ少なかれ、後者の「閉塞した孤島」の傾向を持つことになる。 とりわけ、鹿児島県奄美大島のような場所でもし神待ち掲示板を利用しようなどと考えた場合、この傾向は、いよいよ顕著なものへとなっていくだろう。

奄美大島の神待ち掲示板は、大海としてではなく、むしろ、大海に囲繞された閉塞した共同体の姿をたちどころにあらわし、「神」の男性は、その閉ざされた共同体のなかで、「神」として匿名的に身を隠すこともできないままに、同じく匿名的ではありえない常連の神待ち女性たちと神待ちセックスを重ねるという選択肢だけが突きつけられるのである。

神待ち女性のK

奄美大島の退屈はパロキシスムに達した

「観光」と「定住」では、奄美大島の神待ち掲示板が「神」に向ける表情はまったく違うものになる。

都市型の「神」が、ちょっとした気晴らしとして奄美大島を訪れ、限定された時間のわずかなバカンスとして神待ち掲示板にアクセスしたならば、その都市型の「神」が眼にする神待ち女性の書き込みは、どれも新鮮なものとしてうつるに違いない。

結局のところ、都市型の「神」の「観光神待ちセックス」は、自分の生活圏から離れた少しばかり遠くの港に、セックス後に即座に離れることを前提に停泊しているに過ぎない。ローカルな神待ち掲示板を使おうとも、それが「観光神待ちセックス」である限り、その神待ち体験の根本的な部分は、都市に身をおいているときの神待ち体験とほとんど同じ体験なのだ。

この都市型の「神」が、奄美大島の神待ち掲示板で体験した「観光神待ちセックス」に味をしめて「島のスローな性生活というのもなかなか悪くはないな」などと考えてしまい、もし「移住」を視野にいれたとしたら、奄美大島の神待ち掲示板は、「定住者」にのみ見せるローカル神待ち掲示板の恐ろしい相貌を「神」の男性にまざまざと見せつけることになるだろう。

奄美大島に移住した「神」の男性に対して、奄美大島の神待ち掲示板は、最初の一ヶ月ほどはバカンスのときに「神」に予感させた「楽園」を感じさせるような潤沢な性生活を与えてくれるのかもしれない。奄美大島に残された最後のラブホテル「ラブホテル楽園」における神待ちセックスは、「このラブホテルの看板に偽りなし!」という幸福を、「神」の男性に与えるに違いない。

しかし、「閉塞した孤島」の神待ち掲示板における神待ち行為による至福は、そう長くは続かない。移住した「神」の神待ち活動は、時間の経過ごとに、その移住当初に抱いていた甘い幻想を無様に打ち砕かれていくことになる。

奄美大島の神待ち掲示板を利用する「神」の男性は、まず、神待ち女性の絶対数の少なさに愕然とすることになるだろう。個人差はあるだろうが、「神」が、奄美大島の神待ち掲示板を利用する神待ち女性の全体像と個々人の特徴を「把握」するためには、それほどの時間を必要とはしない。

奄美大島の神待ち掲示板は、「新規の神待ち女性」の参入が極端に少ない、という特徴を持っている。出会い勘の鋭い交渉上手の「神」であれば、「観光神待ちセックス」の段階で、そのわずかな滞在期間中に、奄美大島在住の神待ち掲示板を利用するほぼすべての神待ち女性とセックスをすることも、あるいは可能であるかもしれない。

奄美大島に定住する「神」の神待ち掲示板の利用は、数えるほどの、あるいは、一冊しか蔵書がない図書館に引きこもって、その限られた本だけを延々と繰り返し読み続けることだけを要求されるというような状況に近いように思われる。

「もう読み飽きた。そろそろ別の本が読みたい」などと思ったところで、蔵書がそれしかないのだから、すでにボロボロになっているその本を、さらに擦り切れるまで読むしかない。多くの人は、このような苦痛をともなった読書生活に耐えることができない。早い段階で、図書館から抜け出すことを考えることになるはずである。奄美大島の神待ち掲示板における神待ちセックスも、おおよそ、このような状態であるといえる。

こうした事情から、奄美大島の神待ち掲示板においては「神」を継続している男性がほとんどいない、という現状がある。奄美大島で「神」としての活動を続けていくためには、根気強く一冊の書物にのみ向き合うときの忍耐と同程度の忍耐が、神待ちセックスにおいて要求されるからである。

そこで「神」が向き合うことになる「一冊の書物(=常連の神待ち女性)」が繰り返しの「読み」の強靭な力に耐えうるものであれば幸いである。だが、ほとんどの場合において、反復にこらえうるほどの耐久力を持った神待ち女性というのは、奄美大島に関係なく、あまり存在しないのである。しかも、残念なことに、「一人の神待ち女性とのセックス」は「一冊の書物」よりもずっと飽きやすいものなのだ。

これが「都市型の神待ち掲示板」であれば、一人の神待ち女性との複数回の性行為に飽きたのならば、その神待ち女性との関係性を断ち切って、新たに別の神待ち女性との関係性を作ればよいのであるが、奄美大島の神待ち掲示板のような、閉塞した孤島の神待ち掲示板では、そう簡単に、新しい相手を探すことができない。

これが、奄美大島に定住している「神」を挫折させ、神待ち掲示板からの全面的な撤退を決意させる一つの原因となっていることは疑いようがない。

また、奄美大島の神待ち掲示板において、絶対数が少ないのは神待ち女性ばかりではない。むしろ、「神」などと自ら名乗る男性のほうが、希少な存在である。それに、「神」の男性も、繰り返し読まれることですぐに飽きられ、やがて放棄され、埃をかぶるばかりの運命に身をやつす「一冊の書物」へと、神待ち女性によって変えられてしまう、ということは忘れてはならないだろう。

奄美大島の神待ち掲示板では、「神」は「神待ち女性」、「神待ち女性」は「神」という、それぞれの「退屈な書物」を、うんざりしながら繰り返し読み合う関係に陥る場合がほとんどである。

神待ち掲示板の書き込みを見て、そのユーザー名を確認すれば、「神」も「神待ち女性」も、そのユーザーのおおまかな外見や内面だけでなく、たとえば、相手の性器の細かい欠点、食事中やセックス中に見せる不快な癖なども手に取るように把握できてしまうのが奄美大島の神待ち掲示板である。

この「把握」は、個人同士の間だけで起こる話ではない。むしろ、奄美大島の神待ち掲示板の利用者に「共有」されながら「把握」されているものである、と考えたほうがよいだろう。

本名、家の場所、家族構成、職場、免許証の番号や自家用車の種類、性病の有無などの個人情報は、「神」と「神待ち女性」のそれぞれがアクセス可能なデータベースとして集められている、というような側面があり、「図書カード」を参照するようにして、「いつ、誰と誰が神待ちセックスをしたのか」ということさえも日付つきで多くの人が知ることができる。

このような閉鎖環境のなかで、飽き飽きするほど相手のことを知っている「神」と「神待ち女性」は、次第に、お互いのことを熾烈に罵り合う関係へと発展していく傾向があるようだ。

もちろん、都市型の神待ち掲示板においても、「この『神』との接触は避けたほうがよい」だとか「この神待ち女性は地雷である」というような情報の共有や、陰湿な個人攻撃は水面下で行われてはいる。しかし、都市型の神待ち掲示板である場合、その対象の実体はかなり見えにくく、また、そこで「注意」を喚起されている対象と遭遇する確率もかなり低いと言わざるをえない。

奄美大島のようなローカルが窮まってしまった神待ち掲示板であると、言及されている「神」なり「神待ち女性」の対象が、どのような実体を持っているのかを、ある程度神待ち掲示板を利用していれば把握できてしまうのだし、都合の悪いことに、言及された本人が、自分に関するその不利な言及を眼にする確率も高いのである。

罵り合う泥沼の関係になってしまった以上、「神」と「神待ち女性」に立ちはだかる断絶は深まるばかりだ。ここに、「神」も「神待ち女性」もそれぞれに性的に鬱屈していながらも、同じ環境に身をおく異性との性的接触だけは回避して憎みあう、というローカル神待ち掲示板に顕著な側面が完成するのである。

ラブホテル楽園を支配する神待ち女性器の刺激臭にかきたてられる思考

ラブホテル楽園を支配する神待ち女の女陰の刺激臭でかけめぐる思考

都市型の「神」は、奄美大島のようなローカルな神待ち掲示板の存在とその実態を知ると、驚かされることになるかもしれない。

世に溢れかえる神待ち体験談というものは、基本的には都市型の「神」の手によるものである。これは、「神待ち」という行為自体が、本来は都市的な性格を前提にしていた以上は、仕方のないことである。

「泊まる場所がない女性に金銭的な援助を施し、宿泊場所を提供し、その見返りとしてセックスをいただく」という神待ち掲示板の根底を支える基本のあり方は、近年、どんどん解体されつつある。というよりも、ほとんどその意味をなしておらず、崩壊している、というのが現状である。

はじめは、「少女」という言葉と組み合わされたときのみに使われていた「神待ち」という言葉は、規制法の施行にともなって「少女」との性的接触が困難になって以降は、その言葉を成立させていた起源を完全に失ってしまっている。

家出少女である「神待ち少女」が利用するはずだった「神待ち掲示板」という言葉は、現在では、「家出」もしていないし、「少女」でもない「経済的に余裕のある成人女性」たちが利用する掲示板に対しても使うことができてしまう状況にある。

現在、「神待ち掲示板」と呼ばれる場所には「泊まる場所がない女性」の利用者のほうがむしろ少ないのではないか、とさえ言われているほどだ。「神待ち掲示板」という言葉は、「セックス」にまつわることならなんでも入れてしまえる便利な屑箱のような言葉になっている、といっても、おそらく言い過ぎではないであろう。

「神待ち少女」や「貧困女性」などの存在を抜きにして、「単なるセックス好きの女性」や「援助希望の割り切り女性」などがそこに一人でもいれば「神待ち掲示板」という言葉を成立させることが可能である、というような崩壊状態、「神待ち掲示板を使っていれば、それは、誰もがみな神待ち女性なのである」という暴論ともいえる背景なしには、「地方の神待ち掲示板」などという倒錯した環境はそもそも現れないのかもしれない。

『色情狂掲示板周遊紀行』と呼ばれる、奄美大島という閉鎖環境における一連の神待ち体験談の集積には、「神待ち少女」と呼ばれるような十代の家出少女は一人も出てこない。「貧困女性」はたまに登場するものの、「奄美大島の神待ち掲示板(とされているもの)を利用している家のある女性」が「神待ち女性」として扱われているだけである。

『色情狂掲示板周遊紀行』を記述する「神」は、やむをえず奄美大島に移住することになった、元々は都市型の「神」である。この「神」は「奄美大島の神待ち掲示板の閉鎖性」や、「神待ち少女不在の、神待ち掲示板と呼べるかどうかもわからない生活に密着した買春掲示板」に対してきわめて自覚的な思考を持っている。

その閉鎖性によって多くの「神」が立ち去ってしまう「奄美大島の神待ち掲示板」を、あえて積極的に使ってみようとしたところが、この「神」のユニークなところである。彼は、「誰も読み返そうとしない一冊の同じ本を何度も繰り返し読む」ということを、自分の「神」としての戦略として選んでみたのである。

『色情狂掲示板周遊紀行』という体験談の集積によって明らかになるのは、奄美大島の神待ち掲示板のようなローカルで閉鎖的な神待ち掲示板が陥る状況と、金銭を媒介にして行われる二十代以降の神待ち女性との神待ちセックスの単調な反復が、決して「特異」なものではなく、むしろ、現在の神待ち掲示板としては「ありふれたもの」であるということである。

また、本来の「セックスの見返りとして十代の家出少女に宿泊場所を提供する」というような、大都市の「初期の神待ち掲示板」における「神待ち」と呼ばれる行為が、「東京ローカル」とでも呼ぶほかないようなある特定の時代と場所においてのみ可能な特権的な行為であったのだということも、奄美大島の神待ち体験談の集積は暴き立てようとする企図を持っているように思われる。

『色情狂掲示板周遊紀行』の書き手である「神」は、たえず「神待ち」という言葉を疑っているように見える。土地に長く住む人間であれば、警戒してもはや出会い交渉をしかけもしないであろう援助希望の地雷女性と、金銭を媒介にして何回も繰り返し不満足なセックスを行いながら、彼は、「これは果たして神待ちなのか、神待ちセックスなのか、神待ち掲示板の上での出来事なのか」と問い続けることをやめない。

「神」の問いかけ姿勢は、神待ち体験談を通して一貫して保たれている印象が強い。そして、この問いは、奄美大島で割り切ったセックスを繰り返す現地の女性の女陰を貫きながら、都市部で「神待ち」とされている現在の行為を問い直す地点にまで到達しているのである。

あえて奄美大島の神待ち掲示板の内部に積極的に飛び込んで神待ちセックスを繰り返した記録である『色情狂掲示板周遊紀行』と呼ばれる一連の神待ち体験談が、奄美大島の神待ち掲示板という閉鎖環境のなかでの限られた神待ちセックスの記述でありながらも、現在の神待ち掲示板それ自体の成立条件についての記述に接近していく感触があるのは、あるいは、当然であるのかもしれない。

というのも、奄美大島におけるこの辛抱強い「神」の個人的な神待ち体験談が、日本国内すべての「神」がいままさに行っているであろう、「神待ち」と呼べるのかどうかわからないような、「神待ち」という起源を喪失した「神待ちセックス」についての記録と考察だからである。

この「神」が、「神待ち掲示板」のことを「色情狂掲示板」と言い換えているのは、奇妙なことでもなんでもない。彼は、奄美大島の神待ち掲示板には「神待ち」がなく「色情狂」しかいないということと、それにもかかわらず「神待ち掲示板」という言葉が使われ続けている滑稽さに自覚的であるだけなのだ。

奄美大島において「神」などと名乗っているのは、もしかすると、彼一人だけであったのかもしれない。「神待ち女性」も自分のことを「神待ち女性」などとは夢にも思ってはいないように思われる。そこにあるのは単なる出会い系の掲示板であり、そこには、金銭を媒介にした性行為や、タダマンをしようとする男女の姿だけがある。

「神待ち」という言葉や、「神」という言葉は、ある一時期の都内の援助交際の特異な状況をさして「神待ち少女」たちの内部から発生する形で開発されたものである。これらの言葉は、「神待ち少女」たちだけが使っていい言葉だったのではないか。しかし、言葉は、語源を失いながら、とうとう奄美大島にまで流れ着いてしまったのである。この南の島にまで流れ着く間に、言葉の意味は漂白され、神待ち少女も淘汰されて消えていき、形骸化した「カミマチ」という乾いた響きだけが残った。

この乾いた音の響きだけがひゅうひゅうと吹き抜けていくのが奄美大島の神待ち掲示板である。だが、このような白々しい「カミマチ」の響きは、果たして奄美大島の神待ち掲示板だけの話であるのだろうか。現在、「神待ち掲示板」と呼ばれているあらゆる掲示板は、結局のところ、「色情狂掲示板」でしかないのではないだろうか。

「ラブホテル楽園の一室で、今日もまた、奄美大島の『色情狂』でしかないKと性行為をした。いつもどおりの決まりきったセックスの対価もしっかりと支払った。風俗にでも行ったほうがまだいくらか満足のいく性的な快楽が得られるであろう、というような考えは、とうの昔に捨て去った。彼女の女性器や腋の下からたちのぼる刺激臭にもすでに慣れた。だから、決して眉をしかめたりはしまい。

私はもう、彼女のような女性のことを『神待ち女性』と呼んだり、彼女のような存在とのセックスを『神待ちセックス』などと呼ぶことはやめようと考えている。

現在の『色情狂掲示板』でしかない『神待ち掲示板』に、もし、本当の十代の『神待ち少女』があらわれたなら、その『神待ち少女』とのセックスに対してだけ、私は、『神待ちセックス』という言葉を使うことにしよう。

だが、奄美大島の『色情狂掲示板』には、当然ながら、『神待ち少女』は一人もいない。いや、そもそも、奄美大島に限らず、『神待ち掲示板』などと呼ばれる場所に、もはや、『神待ち少女』は一人もいないのではないだろうか。『神待ち少女』がいないのであれば、当然ながら『神』もいない。だから、私も、はじめから『神』などではなかったのだ。ここにいるのは、単なる『色情狂』の男女であり、この男女の間で行われるセックスは、『色情狂』同士のまぐわいでしかない。

規制法の隙間を縫って、また、別の場所に、十代の少女たちが現れるということは、もしかするとあるのかもしれない。それはすでに、どこかで起こっていることなのかもしれない。だが、その新しい少女たちは、自分たちのことを、きっと、『神待ち少女』などという使い古された言葉で呼ぶことはないだろう。

かつて、都市を放浪した少女たちが、自分たちを支援してくれた男性のことを『神』と呼び、みずからを『神待ち少女』であると定義したように、現在の少女たちは、現在の少女たちの状況のなかから生まれてくる言葉で自分たちを定義するのである。

その、私がいまだ知らず、少女たちにも開発されていない来るべき言葉は、やがて、それらを開発した少女たちがその言葉の上から去っていくころに、『掲示板』のような言葉と結びつきあいながら、その起源を喪失し、やがて、『神待ち』という言葉と同じ運命を辿ることになるだろう。」

奄美大島の神待ち掲示板(色情狂掲示板)を通した一人の「神」のこのような認識、「神待ち」という言葉の根本的な洗い直しのプロセスは、奄美大島を超えて、現在「神」を名乗り「神待ち女性」とセックスをしているつもりでいるすべての色情狂の男性と繋がっている問題なのである。

神待ち掲示板では鹿児島の女性たちが神を探している

神待ち掲示板を使ってみると次第に明らかになってくるのですが、鹿児島で神待ちをしている女性の数は想像以上に多いと言わざるを得ません。

鹿児島の神待ち女性たちは、神待ち掲示板で神の登場をひたすら待ちわびているのです。

傾向としては、「神待ち女性」の数に比して「神」である男性の供給が足りない状況が続いているようにも感じられます。

鹿児島の神待ち掲示板を使う神待ちの女性たちを放っておくわけにはいきません。

一人の男性であるという前に「神待ち女性」の「神」である私たちは、率先して神待ち女性にアプローチをしかけて、彼女たちに救いの手を差し伸べるべきなのではないでしょうか。

鹿児島の神待ち掲示板をさまよう神待ち女性と出会って「神」になるタイミングは今をおいて他にはないかもしれません。

神待ち女性と泊まりたい鹿児島のラブホテル

鹿児島の神待ち掲示板で神待ち女性と出会った場合、自宅に泊めるというのもアリなのですが、個人情報漏洩や盗難被害などの危険性を考えると、ラブホテルを利用するに越したことはありません。

神待ち掲示板の薩摩隼人の尋常ではない性欲に対応するように鹿児島のラブホテルも充実しています。もしも鹿児島のラブホテルが充実していなかったとしたら、薩摩隼人たちの白濁が桜島の火山灰のように人々の頭上に降り積もっていたかもしれません。おそろしいですね。

神待ち掲示板の行き止まり、最後の射精、極上のラム酒のごとき快楽を与えてくれる神待ち女性器への挿入。そんな終わりの神待ちセックスをしたいならば、“HOTEL XYZ”がうってつけです。しかし、XYZの最後の射精のあとには、またアルファベットのAからセックスのやりなおしができる。これもまた、神待ち掲示板の粋なところでございます。

神待ち掲示板を利用した神待ちセックスにおいて、ラブホテルという場所は「神」の別荘でもあるわけです。鹿児島で神待ちのための別荘を持つならば“VILLA COSTA 500”がおそらく最適でしょう。「神」の別荘が、神待ち500人切りの館になりうるか、どうか。それは神待ち掲示板を利用する「神」であるあなた次第です。

流されるままに漫然と神待ち掲示板を使うのではなく、「私は神待ち掲示板を利用するのだ」という強い意志のもと神待ち掲示板を利用する「神」たちは、吸い寄せられるようにしてラブホテル“SERA”にたどりつきます。神待ち掲示板利用と同時に抱いた意志は、陰茎の勃起という形で継続され、意志の強い「神」の最終目的地である女性器の奥に到達するまで決して折れるということがありません。

神待ち女性とのセックスは驚異と感動に満ち溢れています。神待ち掲示板で出会い交渉を成功させた瞬間「オーパ!」と叫んでしまい、神待ち女性の女性器をぐいっと押し開いた瞬間、あるいは、挿入、射精の瞬間、おもわず「オーパ、オーパ!」と二度の「オーパ!」の声を漏らしてしまうような感動屋の「神」たちがこぞって愛用しているラブホテルは、もちろん“オーパ”に他なりません。

神待ち掲示板における神待ちセックス体験談の三部作の第二作は、“ホテル THE LALU”の一室で目覚めた高等遊民の「神」が神待ち女性の夢を見る描写から始まります。この神待ち体験談の第二作は、神待ち掲示板の検索をして待ち合わせ場所に向かう高等遊民の「神」の世界が、経血のごとき「赤」に染まりながら高速回転しはじめる、狂気すれすれの情景描写の連続による、息もつかせぬ出会いの展開とともにクライマックスを迎えます。

“リゾートホテル インテリジェンス”を好んで利用するような知的な「神」は、最終的にはラブホテル“マキシム”にたどりつき、神待ち女性のセックスを通して少しずつ掴んだ世界の原理を、「神待ち金言集」として書き残すことになるでしょう。