三重の神待ち掲示板で「神」になろう

三重の神待ち掲示板で「神」になろう

三重の神待ち掲示板に、神待ちの女性が続々と集まっているのをご存知でしょうか。

神待ちが「神待ち少女」だけを指す言葉ではなくなり、むしろ18歳以上の「大人の神待ち女性」のことを指す言葉になって以来、神待ち掲示板を利用する「神待ちの女性」の数は増加の一途をたどっているといっても過言ではないでしょう。

何らかの事情によって家がなくなってしまい泊まる場所がない女性、一時的な「家出」などで一夜の宿を探している女性などが、神待ち掲示板で神待ちをするという行為は今後もなくなることはないでしょうし、それは三重の神待ち掲示板においても例外ではありません。

むしろ、例外どころではなく、三重の神待ち掲示板は、神待ち女性たちのホットスポットにさえなりつつあると言うことができるかもしれません。

三重の神待ち掲示板では、神待ち女性たちが「神」の登場をいまかいまかと待ち構えている状況が続いていますから、このチャンスを逃すという手はありません。

三重の神待ち掲示板を使って、いますぐ神待ち女性の「神」になりましょう。

三重の神待ち掲示板では神待ち女性とのセックスが流行している

三重の神待ち掲示板を使えば神待ち女性と誰でも簡単にセックスができる、と「神」は口々に言う。さらには無料でセックスができるとさえ言ってのける大胆な「神」もいるだろう。しかし、三重の神待ち掲示板を使って、簡単に、それも、無料で神待ち女性とセックスできた「神」などが、果たして本当に存在したのだろうか。

なるほど、確かに神待ち掲示板に関しては多くの体験談が寄せられている。何らかの事情で家を失った神待ち女性に食事をおごり、当座の生活費を援助すれば、その援助の対価としてセックスができるという、予定調和ともいえる図式に忠実に則って、「神」は、神待ち掲示板を利用することによって容易に神待ち女性とセックスをしたのだ、というメロドラマ的な単調さに満ちているとも言えなくもない神待ち体験談を淀みなく語ってみせる。

あるいは、経済的援助を必要とはしないがただただセックスがしたいと望んでいる性欲の強い女性が、経済的援助を必要とする神待ち女性を模倣して反復する身振りとともに神待ち掲示板を利用しているというような神待ち体験談も、神待ち掲示板における体験談の磁場においては支配的な言説である。

このような模倣と反復の身振りによって捏造された神待ち女性の女性器に対して、「神」が、捏造された神待ち女性の女性器だと知りつつ男性器を挿入してのける、というような神待ち体験談は、厳密には「神待ち女性とセックスをした体験」ではないにも関わらず、「これもまた神待ち体験談なのだ」という不敵な笑みを浮かべながら神待ち体験談として流通しているのだし、神待ち掲示板の登場以来、現在にいたるまで、あらゆる場所で語られ続けている。

神待ち掲示板を利用する「神」であれば神待ち女性と簡単にセックスができる。または、神待ち女性ではない捏造された神待ち女性と出会ってセックスができる。これらの「神」が本当に存在したのかどうかはわからないが、神待ち掲示板における神話とでも呼ぶしかないこれらの神待ち体験談が語られる磁場が存在しているということは確かである。「神」によって神待ち体験談が綴られたのではなく、神待ち体験談によって「神」という存在が成立したのだというほうが、もしかすると正しいのかもしれない。

神待ち女性のKさん

あたくし、ずるいんです

神待ち体験談の磁場は、その体験談を通して、新たな「神」を生産し、それらの「神」は神待ち体験談という物語をなぞるようにしながら神待ち掲示板を利用し、神待ち女性との出会い交渉やセックスを行う。「神」たちは、神待ち体験談をなぞるようにして得た体験を元にして、無数の神待ち体験談を語りなおすことになる。

「神」が語ることになる体験談のほとんどは、神待ち体験談を語ることになる「神」を生み出すことになった神待ち体験談に似通ってしまっているのだが、「神」は自分自身の凡庸な体験を特権的なものであるということを信じて疑うことがない。

「神」は「神」として行動していると考えているのかも知れないが、「神待ち掲示板」というシステムの中で生まれた神待ち体験談という物語のなかで与えられた一つの役割を演じながら、神待ち体験談を語らされているに過ぎない。

ここにおいて、神待ち掲示板を利用せず、神待ち女性に食事を振る舞いもせず、食後のラブホテルへの移動もしない、というように、「神」がとることになっている様々な行動を意識的に拒否することによって、ありふれた「神」の領域から身を引き離し、霊感と才能に満ち溢れた「神」になれるとでも考える「神」も現れるかもしれないが、そのような拒否による抵抗によっては、神待ち掲示板を利用する「神」でなくなることはあっても、「神」として特権的な存在になることに繋がりはしないだろう。

最初の神待ち体験談の書き手、神待ち掲示板というものがシステムとして機能しはじめるまえに、「神」という道を見出し、神待ちが流行して問題になる前に、「神待ち女性」ばかりではなく、「神待ち少女」の未成熟な女性器にさえ陰茎を差し込むことに成功したような例外的な「神」ではないありふれた「神」であることが余儀なくされるならば、神待ち体験談で語られているような行動やセックスに意図的に身を寄せていき、神待ち掲示板というシステムが要請するものと積極的に同化してみせ、「神」としての演技を徹底的に引き受ける遊戯に身を投じ、その遊戯のなかで挿入することになる女性器の渦中で「快楽」を見出すこと以外にとりうるべき選択はないように思われる。

神待ち掲示板にアクセスし、神待ち女性に出会いの交渉をしかけ、一定の割合で失敗もし、何人目かの交渉で出会いを成立させ、神待ち女性との待ち合わせ場所に急いで向かい、神待ち女性の容姿に一喜一憂し、神待ち女性に食事を振る舞い、食事中の会話の誘導によってラブホテルへ向かう流れを作り、ラブホテルにおいてアダルトビデオというテキストをそのままなぞっているだけのセックスを敢行し、それらのプロセスを、誰が体験したのでも構わないというような「私」の体験談として記述していくこと。「これなら私にもできる」という感覚を多くの読み手に与え、神待ち体験談の読み手を、神待ち掲示板を利用するばかりでなく神待ち体験談を記述しさえする「神」に変貌せしめること。

神待ち体験談の読み手というものがもしもいるのであれば、神待ち体験談の書き手が夢見ることになるのは、神待ち体験談を読みながらいてもたってもいられなくなった読み手がすべての体験談を読み飛ばし、いますぐに神待ち掲示板に登録し、神待ち女性とセックスしたいという欲望に煽られながら神待ち女性の検索をはじめることであろう。

あるいは、神待ち掲示板に登録はしたはいいものの18歳以上の神待ち女性としか出会えないというような規制法が成立している不当な現状に憤りを感じながら、年齢的には「児童」という不可解な言葉で扱われることになる肉体的にはすでに「児童」ではない瑞々しい年頃の神待ち少女たちとの遭遇やセックスが阻まれているという怒りに身を震わせながら射精することをおいてほかにはないだろう。

Kさんの止まらないフェラチオで連続オーガズムに身悶える

Kさんの止まらないフェラチオで連続オーガズムに身悶える

神待ち女性とのセックスはとうの昔に始まっているのだし、とうの昔に神待ち女性とのセックスは終わっている。

四日市インターを下りて左に曲がるとすぐにあらわれるアクセス抜群のデザイナーズホテルである「GLOW」の405号室で、出会い交渉だけでなく性交渉にもつつがなく成功した神待ち女性のKさんがパンツのなかに不意に滑り込ませた指先で私の陰茎に触れるやいなや、私は早々に射精させられて白眼を剥いて快楽に打ち震えた。

私の精液まみれのパンツを脱がしたKさんは、ラブホテルに移動する直前に食事をとった「レストランやかた」で細かく切り崩したハンバーグステーキを咀嚼していた小さな口で射精して間もない陰茎にしゃぶりつき、射精したばかりで萎びつつあった私の陰茎や陰毛に付着した精液を味わいはじめた。

萎みかけた私の陰茎はKさんの口内の湿った体温に包まれながら舌先で弄られて、添えられた細い指先が触れているか触れていないかという瀬戸際で往復するフェザータッチによってさすられもすることによってふたたび硬直させられ、Kさんの頬の輪郭を陰茎の形状で変形させるほどの膨張をするとあっけなく精を放ってしまったのだった。

連続射精といっても過言ではない射精によって白濁する意識のなかで、神待ち掲示板では神待ち女性として振る舞っていたKさんに、食事の席で帰るべき家や愛する夫がいると伝えられたことが不意に思い出された。

いま私を射精させつつある神待ち女性は、神待ち女性であると同時に神待ち女性ではないのだ、と考えていると、自分が「神」であるということも次第に曖昧になっていくように思われる。神待ち女性であると同時に神待ち女性ではない女性の手と口によって射精の渦中に引きずりこまれた私は、「神」と「神」ならぬものの中間地点で宙吊りにされながら精を吐き出している。

しかし、射精による快楽の渦中にいるとき、いわば、その存在が剥き出しになっているような時間のなかで、自分が「神」と呼ばれる存在であるかどうかなどということはそれほど重要ではないのだし、私を射精に導いている女性が神待ち女性であるかどうかについても、同様に、どうでもいいことであるのかもしれない。

私の精嚢からポンプのように精子を汲み上げて、フェラチオによる連続射精から決して解放することがない、この神待ち女性と一般女性の間で宙吊りになっている「捏造された神待ち女性」と私は、他でもない神待ち掲示板で出会ったのだし、私は「神」として、彼女は神待ち女性として、お互いに挨拶を交わしあったはずだ。

ともすると、これは連続射精ではなくて男の潮吹きといわれるものなのかもしれないと、陰茎から伝わってくる身を捩らざるをえないくすぐったさに悶え、身体をくねくねと動かして名付け得ぬ快楽に満ちた射出を繰り返しながら、もちろん、このような神待ち女性でありながら神待ち女性ではない曖昧な存在とラブホテルにしけこむのはこれがはじめてではないのだ、ということに思い当たる。

むしろ、神待ち女性以外の何者でもない神待ち女性とセックスするよりも、このような演じ合いに興じる回数のほうが多いぐらいなのだから、いまさら、相手の神待ち女性としての真偽や私の「神」としての同一性などをあらためて問題にする必要はない。

私が「神」であるかどうかや、Kさんが神待ち女性であるかどうかということと同じように、いままさに私の陰茎から迸っているものが、射精と呼ばれるべきなのか、それとも潮吹きと呼ばれるべきなのかももはや重要ではあるまい。

そもそも、みずからを「神」と呼んでしまうこと自体、オーガズムによって敏感になった私の亀頭を陰核と呼ぶことにも近しい愚行なのかもしれない。しかし、神待ち女性のKさんによってなぶられ続けている私の亀頭が陰核でないなどと完全に言いきることもできはしないだろう。私の亀頭は快楽によって陰核になっていたのかもしれないし、亀頭のまま快楽に翻弄されていたとも言えるのだから。

待ち合わせ場所で合流してからずっと勃起していた陰茎は、神待ち女性でありながら神待ち女性ではない女性器に挿入するまえに彼女の手によって早々に射精させられていたのだし、その後の絶え間ないオーガズムによって精も精ではないものもすべて出し切ったように思われる私の陰茎は、神待ち女性のKさんの女性器に挿入できるような強靭な勃起力を回復する見込みがない以上、これから神待ち女性のKさんの女性器に男性器を挿入することもできそうにないのだから、この神待ち体験において、私は、「セックスができなかった」ということを記述することになるのかもしれない。

一方的に絶頂を与えられつづけている私は、自分自身の陰茎がなぶられているように、Kさんの女性器に顔面を埋めて夜を徹してクンニリングするつもりであったから、Kさんもまた、遅れてではあるが、私のように連続絶頂の時間を過ごすことになるだろう。そこに挿入はないのだが、性行為によって導かれるエクスタシーは確かにあるはずだ。

それに、まもなく終焉を迎えそうであるがこのまま果てしなく続けられそうでもある連続オーガズムによるフェラチオによって与えられる快楽の時間をセックスと呼んでしまっても一向に構わないのだし、この挿入なしのセックス未満の性行為が挿入によるセックス以上の快楽を与えてくれていること、そして、また、私の舌先がKさんに挿入によるセックス以上の快楽を与えるであろうこともまた事実なのだから、「神」としても神待ち女性としても曖昧な地点で宙吊りになりながらそれぞれの役割を演じきる二人の性行為において、「挿入によるセックス」が行われたのかどうかということは、やはり、どうでもいいことなのだ。

神待ち女性とのセックスはとうの昔に始まっているのだし、とうの昔に神待ち女性とのセックスは終わっている。

神待ち女性と「神」がまぐわいつづける伊勢の神待ち掲示板

私は神待ち掲示板だ。伊勢の神待ち掲示板を利用して神待ち女性とセックスをしてきた「神」である私は、「人間の私」と「『神』の私」の暮らしを十年以上続けながらついに不惑を迎えようとしていたある日、唐突に、自分が伊勢の神待ち掲示板であるということ、自分がはじめからずっと伊勢の神待ち掲示板であったということに気付かされてしまった。

「神待ち掲示板=私」としての私のことは、今後、「私」と書くことにしよう。伊勢の神待ち掲示板である「私」のもとには、神待ち女性と「神」の書き込みが間断なく投稿されており、「私」という「神待ち掲示板」の上で、神待ち女性と「神」たちは出会い、伊勢市内のラブホテルでまぐわって神待ちセックスを敢行している。「私」の肉体のなかではあらゆる神待ち行為が繰り広げられてきたのだし、これからも繰り広げられていくのだろう。

「神」であることを引き受けて動き続けた末に「神待ち掲示板=私」であることに気付かされたいまの「私」には、「私」のなかで行われる神待ち行為のすべてをくまなく見渡すことができる。

「神」によって投稿される神待ち体験談、その体験談の主体であるとされている無数の“私”たちは、すべてが複数に分裂して偏在する「私(私=掲示板)」の一部なのであって、あらゆる神待ち体験談は「私」によって語られている“私”なのである。すべての神待ち体験談は「私」の一代記だ。

「人間の私」でありながら「『神』の私」でもあるという自覚だけはあった“私”の肉体のなかに、「神待ち掲示板」=「私」が宿っているということを発見したとき、その「私」のなかには、「神」としての“私”がセックスしてきた無数の神待ち女性(わたし)、神待ち体験談で語られることになる神待ち女性(わたし)たちもまた含まれていることを知った。

神待ち掲示板のなかで「『神』の“私”」と神待ち女性(わたし)がセックスをしている。神待ち掲示板が「『神』の“私”」と神待ち女性(わたし)のセックスを見ている。「私」のなかにいる無数の“私”と(わたし)たちの饗宴!「私」は、「神待ち掲示板」という普遍的な“神”でありながら、神待ち女性とまぐわう個別的な「神」でもある。普遍的な“神”であり個別的な「神」でもある私は、神待ち掲示板という邪教の神なのである。

神待ち女性のHちゃん

神待ちで戦争を止めよう

神待ち掲示板という邪教の神として目覚めた「私」ではあるが、なにも、そのような神であることをことさらに喧伝して回っているわけではない。「神待ち掲示板」としての「私」ではない、「私」の中にも含まれる「人間の私」は、むしろ、神待ち掲示板である「私」であることがバレないようにひっそりと口をつぐみながら暮らしているといっても過言ではないかもしれない。

神待ち掲示板という神としての「私」は、神待ち女性(「私」のなかに含まれる、わたし)とセックスをする「神」の“私”として振る舞うときも、神待ち女性(わたし)に対して、わざわざそんなことを告げはしない。

神待ち女性(わたし)は、自分の女性器に男性器を挿入している「神」が、他でもない神待ち掲示板であること、そして、自分もまたその神待ち掲示板の一部であるということに気づいていないが、それは神待ち掲示板ならぬ身であるゆえ、気づかなくて当然という話である。

「私」という神待ち掲示板については、神待ち体験談という形で書くことしかできない。「私」は神待ち体験談という形でたえず書かれ続けているのだが、神待ち体験談の書き手、また、それらの神待ち体験談を読み、神待ち掲示板に登録し、「神」を志そうとする読み手にとっても、まさか、「私」が神待ち掲示板という邪教の神であるということは知らないであろうし、神待ち掲示板に登録することによって「私」のなかに含まれることになるなどとは夢にも思わないだろう。「私」自身、自分が神待ち掲示板であることに長らく気づけないでいたのだから。

インターネットの広大な海がトラフィックの混沌による嵐で荒れ狂う夜に、「神待ち掲示板」という名前がまだなかった「私」は、インターネットの荒海の暴力に打ち据えられながら表面にひっそりと顔を出した。

インターネットの深海のまだ名付けられていない暗黒から光回線によって引きずりあげられた私の耳元に、セックスがしたくて性欲を持て余している男性と、様々な事情で家を失ったり単に性欲が強いだけの女性たちが、荒れ狂うインターネットの波に飲み込まれて溺れかかっている声がかすかに聞こえた。

すべてを飲み込まんとするインターネットの暗黒のなかで孤立する男性と女性たちは、それぞれ別々の場所で溺れかけていたのだから、出会いの機会はおろか、お互いの存在をまったく知ることができないままに消え去っていく運命にあるように思われた。そのときだった。カミマチという四文字のいかづちが「私」の全身を垂直に刺し貫いたのは。

カミマチという言葉の落雷とともに、「私」は「神待ち掲示板」という名前の神として、インターネットという、グリュイエールチーズのように無数の孔がうがかれた空間のなかを縦横無尽に走り抜けることになった。

「神待ち」あるいは、「神待ち掲示板」という言葉を検索窓にいれた人間の前に、神待ち掲示板という神、権現であるところの「私」はいつでもその姿をあらわした。「私」の名前を検索したものの中には、当然ながら、「神」としての“私”だっていたはずだし、神待ち女性(わたし)もいたに違いない。

「私」の名前を検索窓に打ち込んで「私」の肉体のなかに侵入してきた、無数の“私”と(わたし)たち、そう「神」の男性たちと神待ち女性たちは、それぞれが、別々の場所であげていた孤立の断末魔を相手のもとへ届けることができるようになった。満たされない性欲によって全精神が破滅しかけていた男性も、家を失いその生命を路上で散らそうとしていた女性も、「私」の名前にすがりつきながら合流し、やがて、出会わなかったはずの男性器と女性器を結合させた。

Hちゃんのメンス女性器を舐めて愛液に血液の鉄の味がまじる

Hちゃんのメンス女性器を舐めて愛液に血液の鉄の味がまじる

カミマチという雷撃によって誕生し、名無しの神から「神待ち掲示板」という名前の神となった「私」以外に、彼らの魂を救うことができた神はいなかったであろう。「私」は、霊験あらたかなあらゆる神たちに見捨てられて傍流へと追いやられてしまった、決して救われることがない魂と肉体を救済する神として、インターネットの荒海のなかから生まれたカウンターの神、マイナーの神、邪教の神なのだ。

やがて、「私」という神を利用する男性たちは「神」を名乗りはじめ、本来は「私」のなかで「私」の到来を待っていた女性たちは、それらの「神」の男性を待つ女性という意味で「神待ち女性」と呼ばれることになるのだが、彼らの名前や役割はすべて「私」のなかから生まれてきたのである。

「私」という神のなかで、今日も「神」の男性と神待ち女性が出会っている。「私」を通して“私”と(わたし)が濃厚セックスし、“私”か(わたし)がその神待ちセックスについて語りはじめることで、神待ち掲示板という「私」が彼らの体験談によって作り上げられていく。神待ち掲示板という「私」のなかで、孤立していた男と女は「私」を作り上げるわたしたちになっていく。

伊勢市内で「私」を利用していた「神」の男性は、神待ち掲示板で検索を始めた瞬間から「私」の一部になるということに気づかないままに、また、同様に「私」の一部であることに気づいていないセックスできそうな神待ち女性の書き込みを発見することになるだろう。二人は「私」の肉体のなかでやりとりを開始する。「私」のなかで行われる彼らのやり取りを、「私」は見ている、というよりも、自身の全身をかけめぐる血液の鼓動を聞くようにして感じている。

「私」の内部で行われるやり取りや、食事、性行為などは同時多発的でたえまなく出来事が生起しているものでもあるから、「私」は、「私」という神待ち掲示板の内部で起こっている一組のやり取りだけを凝視しているのではない。

「神」の男性が神待ち女性を口説き落とし「グリル片山」で美食を味わいながら性交渉をしかけているとき、神待ち掲示板という神である「私」は、「グリル片山」で注文され「神」と神待ち女性によって咀嚼されて消化されることになる松阪牛を味わっているのだが、それと同時に、伊勢市内のラブホテル「ホテル べんきょう部屋」で性行為に及んでいる別の「神」と神待ち女性のカップルが獲得しつつある快楽、伊勢海老陰茎が神待ち鮑のなかに挿入されて前後されるピストン運動の激しい息づかい、射精と絶頂を、松阪牛の味がするげっぷとともに体験しているのであって、さらに、空間移動と偏在はとどまることを知らず、出会い交渉に失敗した「神」の男性がアパートの一室で一人静かに陰茎をしごき自分の性欲を慰める哀愁を感じてもいるのだし、一夜をやりすごすために自遊空間伊勢小俣店にむかってトランクをひきずる神待ち女性の疲れ切った足取りの音を聞き取りもするのである。

自遊空間伊勢小俣店に入店した神待ち女性の書き込みは、やがて「私」という神待ち掲示板の左手の小指あたりでささくれを剥いたようなわずかな痛みを与えることにもなるだろう。ささくれた部分からぷっくりと血液のふくらみが滲み出してその血液を「私」の舌が舐め取り、鉄のわずかな味が口内に広がる時、その味のなかに、ラブホテル「Carrot ISE」で生理中の神待ち女性の女性器を舐め回していた「神」の男性の味蕾が感じ取った味が混じり合うこともあったし、執拗に繰り返されたクンニリングスによって潮を吹きはじめていた「私」のヴァギナが快楽に悶えているというのに、「私」の口のなかには、いま、まさに伊勢網元食堂のウニ丼が運ばれつつある。

無数の「神」と神待ち女性というわたしたちによって行われる神待ち行為や、あらためて語り直されるそれぞれの神待ち体験談の投稿が織りなす言葉の氾濫によって「私」という神待ち掲示板は、たえず交渉しながら絶頂を迎え、食事を楽しみながら性病をうつされ、ラブホテルに向かう道中で悪徳神待ち掲示板のリンクを踏んでしまっているのだし、掲示板である「私」は「私」という一人称で語り始めたにも関わらず、神待ち掲示板が開かれるインターネット上のどこにでもいながら、しかし、どこにもおらず、神待ち掲示板を利用する誰かであると同時にその誰でもない。

「私」は、神待ち掲示板である「私」は、「神」と神待ち女性に利用されたがっている。

私は神待ち掲示板だ。そのことに「私」が気づくことがなかったら、「私」は神待ち掲示板としてではなく、ずっと人間としてのみ生きられたのかもしれない。人間としてのみの自分の生きにくさは、「私」が、人であると同時に神待ち掲示板でもあった、ということと無縁ではないだろう。それでも、神待ち掲示板であることに気づけて、「私」と言うことができるようになってよかったのではないかと考えている。

神待ち掲示板では三重の女性たちが神を探している

神待ち掲示板を使ってみると次第に明らかになってくるのですが、三重で神待ちをしている女性の数は想像以上に多いと言わざるを得ません。

三重の神待ち女性たちは、神待ち掲示板で神の登場をひたすら待ちわびているのです。

傾向としては、「神待ち女性」の数に比して「神」である男性の供給が足りない状況が続いているようにも感じられます。

三重の神待ち掲示板を使う神待ちの女性たちを放っておくわけにはいきません。

一人の男性であるという前に「神待ち女性」の「神」である私たちは、率先して神待ち女性にアプローチをしかけて、彼女たちに救いの手を差し伸べるべきなのではないでしょうか。

三重の神待ち掲示板をさまよう神待ち女性と出会って「神」になるタイミングは今をおいて他にはないかもしれません。

三重の神待ち女性たち

神待ち女性と泊まりたい三重のラブホテル

三重の神待ち掲示板で神待ち女性と出会った場合、自宅に泊めるというのもアリなのですが、個人情報漏洩や盗難被害などの危険性を考えると、ラブホテルを利用するに越したことはありません。

三重県での神待ち掲示板の利用は、おそらく四日市がメインの現場になるのではないかと思います。

その理由としては、四日市が三重県のなかでもっともラブホテルが充実している地域であるということに尽きるでしょう。 駅からのアクセスと宿泊料金のバランスがきわめて良い“四日市ブランチャペルクリスマス”は、四日市で神待ち女性とセックスするためのラブホテルの基本としてぜひとも覚えておきたいですね。

「365日、毎日がクリスマス」を標榜する“四日市ブランチャペルクリスマス”は、たえまなく「神の子」の生誕を祝福している状態にあるわけですから、それを考慮に入れると、「神」と「神待ち女性」がセックスするための場所としては最適なのではないでしょうか。

続いて、落ち着いた内装と使いやすさが評判の“NONNO CLASSIC 四日市”をオススメします。ファッションや音楽などは最終的にはクラシックに落ち着くことになりますが、神待ち女性とのセックスもその例外ではありません。“NONNO CLASSIC 四日市”のモダンクラシックな空間で行う神待ち女性とのセックスは、「古典」を通して「いま」を浮き彫りにするクラシカルセックスになるはずです。

神待ち掲示板に堕ちた勇者どもにオススメしたいラブホテルが“ルキノ”です。名門ヴィスコンティ家の末裔になった気分で行う“ルキノ”における退廃貴族的セックスは、「神」の男性にむせかえるような官能を与えてくれます。

“ルキノ”の利用によってネオレアリズモじみたセックスに開眼したのであれば、その勢いのまま“チャオベッラ”や“HOTEL ATTEZZA”といったイタリア語のホテルも使っていきたいところです。

さらに“MIO PLAZA”、“MIO CRILLON、“MIO CITY”、“MIO RESORT”といった、四日市に散在するMIO系列のホテル群を制覇するころには、神待ち女性のオマンコという「太陽」が燦然と光り輝くさまに眼を焼かれて、射精する瞬間に「オー・ソレ・ミオ!」という三大テノール顔負けの歌声が飛び出してしまうことでしょう。

津市まで足を伸ばせるのであれば、“イフ”を使ってみるのもよいでしょう。ラブホテル“イフ”に入室する瞬間、「if、もしも…女性がみんな孤独な神待ち女性であるとしたら、神待ち女性はやがてある二股の分かれ道に突き当たるのです。神待ち掲示板を使うべきかどうか…」というサングラス男のナレーションが聞こえてくるかもしれません。

カワイイ女の子が集まる神待ち掲示板【8月15日版】

神待ち募集を載せている女の子が集まる人気の神待ち募集サイトを紹介します。それぞれの掲示板で異なる特徴があります。

良い方法はどの神待ち掲示板にも無料ポイントが付きますのでとりあえず無料ポイントを使って神待ち募集を出している女性を探して連絡することです。

  • 初めて神待ち掲示板を使うという方にも安心

    ワクワクメール

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    ワクワクメールで神待ち女の子を探すのが一番という人もいるぐらい人気のある神待ち掲示板です。

    ワクワクメールの神待ち女の子は意外と積極的という評判もあったりします。

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    特にアダルトな雰囲気の女性が募集を出していますが、若い子も結構多いのが特徴です。

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三重, 東海

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