島根の神待ち掲示板で「神」になろう

2018年10月22日

島根の神待ち掲示板で「神」になろう

島根の神待ち掲示板に、神待ちの女性が続々と集まっているのをご存知でしょうか。

神待ちが「神待ち少女」だけを指す言葉ではなくなり、むしろ18歳以上の「大人の神待ち女性」のことを指す言葉になって以来、神待ち掲示板を利用する「神待ちの女性」の数は増加の一途をたどっているといっても過言ではないでしょう。

何らかの事情によって家がなくなってしまい泊まる場所がない女性、一時的な「家出」などで一夜の宿を探している女性などが、神待ち掲示板で神待ちをするという行為は今後もなくなることはないでしょうし、それは島根の神待ち掲示板においても例外ではありません。

むしろ、例外どころではなく、島根の神待ち掲示板は、神待ち女性たちのホットスポットにさえなりつつあると言うことができるかもしれません。

島根の神待ち掲示板では、神待ち女性たちが「神」の登場をいまかいまかと待ち構えている状況が続いていますから、このチャンスを逃すという手はありません。

島根の神待ち掲示板を使って、いますぐ神待ち女性の「神」になりましょう。

島根の神待ち掲示板の水面下でしたたかに生きる神待ち少女

ほとんど会話らしい会話のない家族の夕食を終えたリビングで、神待ち少女のYが島根の神待ち掲示板で経済的支援をしてくれる「神」と秘かに連絡をとりあっているとき、食器を洗っていたYの母は、手がかからない自分の娘がまさか神待ち掲示板で「神」の男性との性交渉を繰り広げているとは露知らず「神麿はゆうべも遅くまで起きていたみたいだね」と何気なく言った。

「え。そうだったかな。なんか、部屋のなかでゴソゴソやってる物音だけはしてたけど」

Yは、相変わらずスマホの画面をじっと見つめたまま、「神」の提示してくる条件に難色を示すメールを送りながらそう答えると、おのずと男性のする情けないオナニーを想像することになり、いくら金がもらえるからといっても「神」の男性の陰茎を射精させるのは気が重い、そこに多少の快楽があるとはいっても、とあらためて感じ、憂鬱な気分に落ち込みかけた。

神麿はYの兄である。高校卒業後は島根大学に進学したものの、学問に対する熱意も執着もまるでなかったので、生来の怠慢から単位を落として留年が決まると早々に大学を退学することにし、現在は、実家暮らしでアルバイトをしている。

神麿は性欲に支配されている青年で、暇さえあれば部屋にこもってオナニーをしている。度重なるオナニーのせいばかりとはいえないが、顔色は青白く、眼は女体に飢えた者特有の異様にぎらぎらとした鈍い光を放っている。

しかし、女体に飢えているにもかかわらず、神麿が神待ち掲示板を使っている気配はない。Yは、そんなにセックスがしたいのであれば、シコってばかりいないで神待ち掲示板を使えばいいのに、と思っているのだが、自分が神待ち少女であることを兄に知られたくはないので、神待ち掲示板の存在を兄にひた隠しにしている。

母は、娘が純血であるということを疑っていなかったし、兄の部屋から物音が聞こえてきたからといってまさか「オナニー」を連想したりはしまい、と決めてかかっていた。

神麿は寝る前にかならずオナニーをする習慣を持っている。ゴミ箱のなかにたまった精液処理後のティッシュのにおいが部屋中に充満しているので、アルバイト中、部屋の掃除にでも入れば、いやでも息子がオナニーをしていたということがわかる。母は、息子の部屋の前を通ることになる娘に、精液のにおいが漏れるのを気にしているのである。しかし、神待ち少女であるYにとって、精液のにおいはすでに嗅ぎ慣れたものであった。

自分の肉体がはらんでいる年齢的な価値を熟知しているYは、自分の肉体が価値を持っている短い季節を利用して、島根の神待ち掲示板を利用する「神」に身体を差し出すことで金銭的支援をえているのだが、彼女が神待ち掲示板を使ってまで金を稼ぐのは、シコってばかりいる性的に堕落した兄、過保護で愚鈍な母、家族団欒などを無邪気に信じきっている旧弊的な父たちの住むこの家から衝動的な家出をするのではなくて、親の手を借りずに自律した一人暮らしを始めるための準備資金である経済的基盤を固めるためであった。

神待ち女性のYちゃん

ジイ・コイトゥス・デス・アルス・オップ

島根の神待ち体験談を、架空の神待ち少女であるYを主人公にして書きはじめていた私は、根を詰めて仕事をしてすっかり没頭していたらしく、わずかなカーテンの隙間から曙光がさしこみはじめていることにふと気づかされた。夜通し神待ち体験談を書いていたのか、と呆れるような気持ちになりながら、私はキーボードを叩く指を止めた。

神待ち少女Yの神待ち体験談は、Yが放課後のわずかな時間をつかって「神」の男性の車に乗って玉造温泉のラブホテル「クックDOドゥDO」に移動する場面までが仕上がっていた。

「クックDOドゥDO」208号室の露天風呂においてさらされることになるYの裸体、および、Yと「神」による神待ちセックスの描写こそが、神待ち体験談の勘所である。

年齢的には「禁忌」のうちにあるが、肉体的、性的にはすでに成熟をむかえている神待ち少女Yがそのニットの下に膨らみを隠蔽していた軟乳を、「神」の男性の手が揉みしだき、激しくしゃぶりだす。

その外的な刺激によって形状を変化させられていく乳房の奥底で、自分よりはるかに年上の中年男性である「神」に対する嫌悪感はわずかに残存させながらも、性的刺激にともなって快楽を感じはじめ、ついに喘ぎ声を漏らしはじめるYの過程を執拗に描き出さなければならない。それが私の仕事だ。

ただ記述するばかりではどうしても単調になりがちな女性器への男性器の挿入とピストンは、挿入までの前戯による巧妙な迂回と、挿入後の目まぐるしい体位の変更によるアクションの記述によって、ひとつの運動体として起動させていく必要がある。

性行為中に神待ち少女であるYの皮膚の表面にじわりじわりとにじみ出てくる汗や、ピストンによって乱れる髪の毛が肌に張りついていく描写も欠かすことができないのだし、対面座位によるピストン中に「神」の男性によって暴力的に口腔内にねじこまれることになる「舌」について、習慣である煙草と酒によって醜く年老いている「神」の「黄ばんだ白の印象の強い舌」と、十代特有の瑞々しい湿り気に満ちた神待ち少女の「桃色に息づく舌」を対比させることも忘れてはならないだろう。

神待ち少女のうら若い膣内で締め付けられることになる幸福な陰茎がますます硬直していき射精へと導かれていく様子は、女性器と男性器の結合部が愛液の分泌と陰茎の撹拌、および、互いの「肉」の衝突によって放つことになるであろう交接の卑猥な音を通して如実に語られていくであろうし、それが膣内であろうと膣外であろうと、ついに神待ち少女に向けて放たれることになる「神」の精子のほとばしりは、永遠に続くかのような長く果てしなく続く射精でなければならない。

「金」をもらうことによって「性」と「人格」を切り離していたはずの神待ち少女のYも、「人格」が切り離されることによってむしろ純粋に快楽に耽溺することになり、「神」の雄渾なペニスによって自分がエクスタシーへと誘われつつあることを受け入れていくことになるのだ。

神待ち少女Yの絶頂による耳をつんざくような喘ぎ声は「クックDOドゥDO」208号室の室内に響きわたり、びりびりと208号室の壁を振動せしめることによって、自らの内的空間が神待ちセックスの快楽によって打ち震えていることを同時に語ることになるはずだ。

ところが、そんな神待ちセックスを目前に控えながら、ホテルに移動する前に立ち寄ることになった玉造温泉のカフェ「mame cafe」における「神」とYの食事について書いているうちに、私は、迂闊にも興に乗ってしまい、神待ちセックスを主題とする神待ち体験談のスムーズな流れを止めてしまい、体験談の行く末を逸脱させてしまいかねない「過剰な記述」の魔にすっかりとらわれてしまうことになった。

古民家を改装したmame cafeの外観や内装の洗練された趣味性、「神」によって奢られることになる『焼き菓子屋』のマフィンのフレッシュプラムの酸味に満ちた味わいや匂い、勾玉をモチーフにした小粋なラテアート、また、そのラテアートの勾玉がYの瑞々しい唇によって啜られることで形をゆるやかに崩していき、その聖性が性的身体の蠢きによって解体されていき、のちのセックスを想起させるまでの推移、また、併設されているギャラリーショップと提携しているためにカフェ側のこだわりが強く感じられる食器、雑貨類の取るに足らない細部、些細な特徴をくまなく書き連ねているうちに、神待ち体験談はどんどん神待ちセックスから遠ざかりながら、蛇行するようにしてセンテンスをどんどん延長していくことになってしまった。

このままでは、神待ち体験談ではなく、女子高生が放課後にカフェに行ってスイーツを奢ってもらってお茶をするだけのお話になってしまう。神待ち体験談を、「クックDOドゥDO」における濃厚神待ちセックスの領域に無理やりにでも軌道修正しなければならない。私がカーテンの隙間に差し込む曙光に気づいたのは、まさに、こうしてセックス方面へとあらためて気合を入れ直そうとした瞬間であった。

つまり、私は神待ちセックスのことを書こうとして、朝までかかって執拗にカフェのことばかり書いていたのだ。呆れるような気持ちになるのも当然である。

部屋の電気を落とし、室内が朝の光で満ちていくままにまかせる。椅子に深々ともたれて眼を閉じながら、しかし、それにしても、神待ち少女Yに私が体験させようとしている神待ち体験談に比して、自分の生活のなんという慎ましさよ、ということを考え始める。

私の陰茎は性的不能ですでにまったく使い物にならない。セックスのほうはご無沙汰だ。もしかすると二度とセックスできないかもしれない。性的不能であるゆえに、神待ち掲示板というものを熟知していながらも、私が神待ち掲示板の利用を開始するということはない。

神待ち掲示板という場所は、奇跡にも似た勃起力の復帰がない限り、私とは無縁のままであるだろう。ただし、神待ち体験談を通して神待ち掲示板というものとテキストでセックスしているという意味においては、神待ち掲示板は私の伴侶、あるいは、テキストを媒介にしたセックスフレンドなのかもしれない。

性的不能ばかりではない。長らく続いている気分障害から、食事の味もまるでしない。味がしない以上、食事はもっぱらレトルトで済ましており、「美食」という趣味、「美味しい」という感覚は、神待ち掲示板を利用する「神」が神待ち女性におごる食事の場面以外では、もうしばらく堪能していない。

玉造温泉のカフェでスイーツとラテを味わい、そして、金銭を対価に身体を差し出すことによって、「性」と「人格」を切り離し、嫌気がさすような「神」を相手にしても一定以上の性的快楽を得ることになるであろう私の女主人公の神待ち少女Yに比べると、私の性生活や食生活はまったく「無惨」の一言である。

もはや勃つことも味わうこともままならないのに、勃たせることも味わわせることもできる。こんなにも「無惨」であるのに、まだ、まるで勃つかのように、味わうことができるかのように、振る舞うことができてしまう。そのように振る舞えるうちは、私はまだ大丈夫なのかもしれない。神待ち掲示板というどこにでもあるがどこにもない場所があり、その捏造されたトポスのうえに立って神待ち体験談を書くことができる限りにおいては。

彼岸に片足を突っ込んだかのような神待ち少女の絶頂

彼岸に片足を突っ込んだかのような神待ち少女の絶頂

椅子の上で眠り込んでいたらしい私を目覚めさせたのは、かつては「神」として神待ち掲示板を利用していたが、現在では妻子を持つことになり、やむをえない性欲処理の際は風俗で手軽に済ましている友人であるAからの電話だった。部屋は暗く沈み込んでおり、すでに日が暮れていたようだった。

仕事机の上で振動するスマートフォンを目覚めの曖昧な意識で手にとり、つい先程まで神待ち少女との淫夢を見ていたはずなのに、もうすでにその淫夢は面影すら残していないということにわずかな寂寞を感じながら着信に応じる。

寝ぼけながら手を伸ばしたときに暗がりのなかでマウスに手が触れたようで、私と同様にスリープ状態にあったパソコンはふいに叩き起こされることになり、書きかけの神待ち体験談のテキストファイルが表示された画面は白地に黒文字の眼球をむきだしにして私の顔面を照らした。

寝起きであることが明らかだったのだろう、Aは眠りを邪魔した非礼をわびた。「これといって用事はないのだけどね」というのは、Aの口癖であった。必要な買い物以外では家からほとんど出ることもなく神待ち体験談を書いてばかりいる私が、他者と完全な没交渉に陥ることを心配して、Aは昔のよしみでたまにこうして電話をかけてくれるのだ。

「また神待ち体験談を書いていたのか。他者との交流を絶ってもぐらみたいに部屋にこもりきって神待ち体験談を書いているのは世界広しといえども君くらいなものだろうな。社交を拒否したい君の気持ちもわからないではないが、たまには神待ち掲示板を使って神待ち女性にくらい会ってみてもいいんじゃないか?」という挨拶は、彼の常套句なのだが、神待ち掲示板も、神待ち体験談も、神待ち女性も、私とAの関係性をわずかにつなぐために機能する数少ない話題であるから、私も、決まりきったことを言うなよ、などというヤボなことはいわない。

私としても、ほんのわずかの飲食と神待ち体験談の執筆以外には何もしていない暮らしであるから、話題はおのずと書きかけの体験談のことになる。私の体験談の経過を相槌とともに聞いていたAは「どうもまた、神待ち体験談らしからぬ体験談の方向へと落ち込んでいるようだね」という感想を述べるだけにとどめた。

他者との没交渉により沈黙が余儀なくされる暮らしをしていても、というより、そうしているからなのか、神待ち掲示板や神待ち体験談について喋りだすと、私は思いのほか饒舌になる傾向がある。Aに向けて私が口から出まかせにでたらめに一方的に話したことをまとめるなら、おおよそ次のような内容になるだろう。

島根の神待ち掲示板には「神待ち少女」と呼ばれる十代の家出少女たちは実際にはいない、いるとしても数は少ないのだし、手を出せば捕まることになるのだが、それらの神待ち少女がまるで神待ち掲示板に本当にいるかのようにして体験談を書く、あまつさえ、公開もするというようなことを、果たして、私は自分自身に許していいものだろうか。

また、神待ち掲示板を利用する神待ち女性にしてもそうである。もし、神待ちという言葉に厳密に従うのであれば、宿泊場所を持たない貧困女性のみを神待ち女性として扱うべきなのだろうが、私はもちろんのこと、「神」によって書かれている無数の神待ち体験談で扱われることになる神待ち女性というのは、当然ながら、貧困の神待ち女性に限らない。

貧困ではないが性的欲求が強い女性、あるいは、さしせまった逼迫した経済状況にあるわけではないがわずかな小遣いがほしいと考えている支援希望女性などが、まるで神待ち女性であるかのように扱われて、神待ち体験談が書かれている。

そのような神待ち体験談に登場する神待ち女性たちも、自分が神待ち女性であるかのように振る舞うことによって神待ち掲示板を使うのだし、神待ち女性であるかのように「神」の男性とセックスをしてみせるのである。

「神」の男性というのも、そもそも疑わしいものである。実際に、自室に貧困女性を泊める「神」としての活動を展開している男性もいるだろうが、「神」の男性は、神待ち掲示板に書き込みをする神待ち女性であるかのような女性を相手にして、ラブホテルでセックスをしているだけである場合が多い。いずれにせよ、「神」の男性というのも、まるで自分が「神」であるかのように振る舞っているだけに過ぎないのではないか。

加えて言うならば、神待ち体験談だってそうである。それらの体験談は、まるで神待ち体験談であるかのように書かれているだけであって、それが事実であったかどうかを証明する根拠を何一つ持たないだろう。それがたとえ事実を率直に語ったものであったとしても、神待ち体験談が神待ち体験談である以上、それは、神待ちセックスであるかのように書かれている言葉でしかなくて、神待ちセックスそれ自体ではないのではないか。

神待ち掲示板と呼ばれているものも、神待ち掲示板があるかのように信じなければその場所について語ることもできないように思われる。神待ち掲示板というのは、出会い系の掲示板の一部を神待ち行為のために利用する「神」と神待ち女性がコメントすることによって成立するもので、神待ち掲示板という場所の成立を信じるためには、「神」や神待ち少女が存在するかのように考え、また信じなければならない。

神待ち掲示板が存在するということを無前提的に語り始める神待ち体験談は多いが、その体験談は、厳密な存在証明が不可能な根拠に欠けた神待ち掲示板を建立させる荒業によって成立しているのではないだろうか。

神待ち掲示板も「神」も神待ち少女/神待ち女性も、それらを信じる根拠、成立させる土台は、なんともあやふやであやしいものであると私は思う。だけれども、だからこそ、私は神待ち掲示板で出会う「神」と神待ち少女/神待ち女性による神待ちセックスを神待ち体験談として書くことができるのかもしれない。

神待ち体験談というのは、それを書くことによって生々しく生起してくる一つの現実のようなものであると感じられる。それを一つの現実として触知するために、私は、神待ち掲示板や「神」、神待ち少女や神待ち女性というものを信じてみたいと考えているのだし、実際、信じているかのようにして神待ち体験談を書いている。

陰茎を勃たせることができなくなった私が、まるで三桁以上の女性とセックスしてみせたかのように生きているのは、神待ち掲示板という場所が本当にあるかのように信じてみせたことによって足場を作ったからではないか。

実際に神待ち掲示板を利用もし、神待ち女性とのセックスをしてきたAは、私の神待ち体験談に関するこれらの話に特に同意も示さなかったが、かといって根底から否定するようなこともしなかった。相槌を打つAは「もし、君のペニスが人並みに勃起するのであったならば、こんなことは」という言葉を飲み込んでいるようにも思われた。

「何はともあれ、自分は神待ち体験談を書かなければならないような立場じゃなくてよかった、ということは思うよ。君の話を聞いていると、とても、神待ち体験談なんて書けたものじゃない、というのが正直なところだね」という言葉が、否定の印象を持たなかったのは、勃起不全の私の神待ち体験談ノイローゼともいえる精神を慰安する目的があって発されたからであろう。

「そうだね。神待ち体験談を書く、という私の選択肢がそもそも悪かったのだと思う。しかし、私は神待ち体験談を書く職業を選んでしまった。これが私が抱えている不幸のおおもと、原因なんだろうな」

私の結論じみた独白に対して、Aは「おれは、つねづね、君が神待ち少女の膣を貫くような陰茎を持つ人間になることを祈っているのだがね」と答えた。

それから、二人の間には話題が尽きた。神待ち掲示板というものをめぐってしか会話が成立しない以上、早々にして沈黙が訪れるのは仕方がないことなのだ。「じゃ、自分は神待ち体験談の続きを書いて、神待ちセックスを仕上げなければならないから」といって私は電話を切った。

一度眠りから目覚めたパソコンの画面は、私とAが会話をしている間にまぶたを閉じて眠り込んでいた。スマートフォンの光が落ちると、部屋はふたたび夜の闇が支配する。私はこれから神待ち体験談を書くためにパソコンを揺り起こすことになるだろう。

そして、私とパソコンは、真っ暗な部屋のなかで、夜の闘争の時間のなかで眼を見開きながらともに同じ夢を見ることになるはずだ。神待ち体験談という不眠の夢、性的不能の夢を。

出雲の神待ち掲示板に集いし神々による神待ちセックス神話

八雲立つ出雲の国は、天津神や国津神たちが活躍した神話的な土地としてよく知られていますが、出雲の神待ち掲示板に多くの「神」が集まり、神待ち女性たちと日夜神待ちセックスを繰り広げているということはあまり知られていないかもしれません。

出雲の神待ち掲示板という場所を、神待ち掲示板における出雲大社のようなものであるなどと言い切ることはとてもできません。しかし、出雲の神待ち掲示板には、過去に、「古事記」の影響を受けていることがうかがえる「神」が何人か存在していました。

そのうちの一人は、オオクンニヌシと呼ばれた出雲の伝説の「神」です。

出雲の神待ち掲示板で「神」として活動していたオオクンニヌシは、その名の通り、クンニリングスをこよなく愛する「神」でした。

オオクンニヌシは、出雲大社にまつられている大国主のように国づくりをなしたわけではありません。ただただ、ひたすらに神待ち少女の女性器を舐め回すことだけに生き甲斐を感じていた市井の「神」だった、というだけに過ぎません。しかし、そんなオオクンニヌシは、私の心をとらえてやみません。

オオクンニヌシは「舐陰」という漢字を当て字にした「大舐陰主」という表記に「オオクンニヌシ」というルビを振ったものをプロフィールとして用いていました。

神待ち掲示板における彼の消滅したアカウントを、私は、神待ち掲示板における出雲大社というような大げさな祀り方ではなくて、マイナーな祠の一つとして、個人的に、勝手に祀っている次第であります。

神待ち女性のNちゃん

八雲ばかりではなく、乳首も陰茎も立つ

オオクンニヌシは、複数の神待ち女性に同時に交渉をしかけるために様々な変名を使いわける「神」でもありました。

オオナニムチ(大自慰牟遅漏神)、オアナモチ(膣穴持命)、タチホコ(勃起矛神)、アシハラシコヲ(脚腹自慰男)、オオモノムシ(巨根主神)、オオキンタマ(大和金玉大神)、ウツシキンタマ(陰金田虫金玉神)、モウイクノオオカミ(早漏大神)、アポノアトハメタオシオオカミ(交渉後挿入大神)、クンニツヌシシャクハチノカミ(六十九体勢貴神)、ミコスリヨノオオカミ(三擦半大神)、カオマタギシロハナツオオカミ(仕上顔射大神)、エズキノオオカミ(喉奥挿入大神)といった名前は、すべてオオクンニヌシの変名であると言われています。

オオクンニヌシは、単独行動をする「神」であったばかりでなく、二人一組で行動する「神」でもありました。

オオクンニヌシのパートナーとして活躍した出雲の神待ち掲示板の「神」といえば、もちろん、小柄な肉体に巨根を持っている「神」である精液スクナビコナに他なりません。

精液スクナビコナは、その名の通り、射精時の精液が非常に少量の「神」です。表記は、「スペルマ」に当て字をして「精液」と無理やり読ませる「須辺留麻」を採用した「須辺留麻少日子根」というものがメインであったようです。

精液スクナビコナは、交渉に成立した神待ち女性を乗せる車に穴乃魔羅舟(アナノマラフネ)という名前をつけており、オオクンニヌシの噂を聞きつけて穴乃魔羅舟に乗って他県から出雲の神待ち掲示板くんだりまでやってきたといわれています。

実際の大国主は180柱もの女神との間に子供をなしたと書かれていますが、オオクンニヌシも負けてはおりません。オオクンニヌシが神待ち掲示板の「神」として神待ち少女と行ってきた神待ちセックスの経験人数は、軽く三桁を超えているのではないかと言われています。

注目したいのは、三桁を超えたと言われるセックスの相手が、年齢的に成熟した神待ち女性ではなくて、十代の肉体を持つ神待ち少女だったということでしょう。

成熟した神待ち女性との経験人数が三桁を超える「神」は、やはり相当の交渉上手であるのだし、性豪ではあることは認めますが、それは、神待ち掲示板を使って神待ち女性に交渉をしかける限りにおいて、決して不可能なことではありません。

ですが、これが、神待ち掲示板における聖域であり、禁じられた対象であるところの神待ち少女ということになると話は別です。神待ち少女だけに限定して経験人数三桁オーバーという「神」になるのは、非常に難しい。とくに、厳しい規制法がしかれた現在においてはほとんど不可能に近いことなのではないかと思います。

オオクンニヌシと精液スクナビコナが活躍した出雲の神待ち掲示板の黎明期の混沌とした状況が、十代の女の子とセックスをすることに関して現在よりはるかにおおらかだった、ということを差し引いたとしても、やはり、神待ち少女との経験人数が三桁を超えるというのは、私には途方もないことだと感じられます。

オオクンニヌシが単独で「神」としての活動を行っていただけであれば、おそらく、この三桁の大台にのるほどの神待ちセックスを神待ち少女とすることはできなかったかもしれません。

オオクンニヌシは、精液スクナビコナという、トリックスター的な性格を持った、精液の量だけは少ないが機動力は抜群のパートナーとともに、その助力のもとに神待ち掲示板を利用することによって、執拗なクンニだけでは到底達成できないような偉業を成し遂げたのです。ですから、私は、オオクンニヌシだけでなく、精液スクナビコナの祠も祀りあげたいと考えております。

出雲の神待ち掲示板で規制法がしかれる前の黎明期、神待ち少女と呼ばれる十代の女の子を中心に出会いの交渉をしかけて神待ちセックスを成功させるオオクンニヌシと精液スクナビコナのコンビは、間違いなく、出雲の神待ち掲示板シーンにおける立役者ともいえる「神」であったと思います。

そのような「神」であるオオクンニヌシと精液スクナビコナの出雲の神待ち体験談は、しかし、神待ち掲示板のシーンにおいては隠蔽されていると言わざるをえません。このあたりの事情は、どうやら、神待ち掲示板における「膣譲り」が関わってくる話になるようです。

「膣譲り」というのは、オオクンニヌシと精液スクナビコナによって形成された神待ち掲示板シーンを、オオクンニヌシが、高天原掲示板から天降ってきたチツニギシクキニギシアマツケイジバンニニギ(膣邇岐志茎邇岐志天津掲示板邇邇芸命)にしぶしぶ譲り渡した一連の出来事をさす言葉です。

チツニギシクキニギシアマツケイジバンニニギの、チツニギシクキニギシは「女性器は男性器を握りしめるように包み込み、男性器は女性器の締め付けによって握りしめられる」、アマツケイジバンは「神待ち掲示板」、ニニギは「神待ち女性の絶頂のように賑やか」であり「女性器がにぎにぎしく成熟する」という意味を持っています。

チツニギシクキニギシアマツケイジバンニニギという名前には「にぎにぎしく成熟した女性器を持った神待ち女性だけが神待ち掲示板を利用し、『神』の男性の陰茎をその成熟した女性器でくわえこみ賑やかな喘ぎ声をあげることが許される」というセンテンスが凝縮されていると言われており、神待ち掲示板に対して敷かれた「規制法」を、「神」として擬人化したものである、という説が濃厚です。

高天原掲示板からの降臨というのは、「国家権力が神待ち掲示板に介入しその統治権を行使した」という事実を神話的に言い換えたものであると考えてまず間違いないでしょう。

ルールが曖昧な状態のなか神待ち少女とセックスしつづけてきたオオクンニヌシと精液スクナビコナのコンビが開拓してきた神待ち掲示板というセックスの最前線に、国家権力が介入する。チツニギシクキニギシアマツケイジバンニニギという名前の「規制法」を無理矢理に納得させられることによって、神待ち少女とのセックスの機会が永久に奪われたオオクンニヌシと精液スクナビコナは、国家権力による統治のもとにおかれた神待ち掲示板から退場していくことになります。

これが「膣譲り」と呼ばれているわけです。「膣譲り」以降、神待ち掲示板というのは18歳以上の成熟した女性との性交渉のみが辛うじて可能な場所として平定されており、それが現在にまで続いています。

では、オオクンニヌシはすごすごと引き下がったのかというと、そうではありません。みずからが作り上げた神待ち掲示板というものを奪った国家権力への恨みから、「神」は引退したものの「祟り神」としての活動を開始することにしました。

成熟した神待ち女性とのセックスにおいて、「神」の男性が最も懸念することはなにかというと、それは「性病」です。

不特定多数の「神」との性的接触を繰り返す神待ち女性の膣は、性病感染のリスクが非常に強く、性病感染は「膣譲り」以降の、神待ち女性との性交が中心となる神待ち掲示板の利用においては、いくら気をつけても、完全に避けることができないたぐいの厄介な問題であるとされています。

神待ち掲示板に「性病」というものを持ち込んだのは、オオクンニヌシに他なりません。神待ち掲示板を追放されてからのオオクンニヌシは、劣悪な環境の性風俗などに足繁く通い、自らの身体を性病のデパートとよべる病巣へと変貌せしめました。そして、その感染状態で神待ち掲示板を利用したのです。

神待ち掲示板には、あっという間に性病が蔓延することになりました。神待ち掲示板における性病というのは、神待ち少女という極上の快楽を奪われたオオクンニヌシによる現行の神待ち掲示板に対する復讐であり、祟りである、と言われています。

私が個人的にオオクンニヌシの祠を建立して祀りあげたところで、おそらくは、オオクンニヌシの怒りであり呪いであり祟りでもあるところの、神待ち掲示板における「性病感染」のリスクを和らげることはできないでしょう。

オオクンニヌシと精液スクナビコナがつくりあげた神待ち掲示板のルーツ、出雲の神待ち掲示板の神待ち体験談を知る私が、オオクンニヌシや精液スクナビコナの祠を祀るのは、なにも、祟り神としてのオオクンニヌシの怒りを鎮めるためではありません。そこには、ニニギという規制法によって隠蔽され、「膣譲り」することになった出雲の神待ち掲示板の体験談を隠蔽させたままにして忘却させるわけにはいかない、という想いがあります。

高天原掲示板から降臨したニニギによって統治されてしまった現在の神待ち掲示板のことを、私は国家神待ちと呼びたいと思います。そして、そんな国家神待ちによって隠蔽され、退場させられてしまったオオクンニヌシと精液スクナビコナによる出雲の神待ち掲示板の神待ち体験談を、私は神待ち快楽派と呼ぶことにし、神待ち快楽派の側に立ちたいと、個人的には考えているのです。

神待ち少女Nのクリトリスをクンニの刺激だけでイカセた

神待ち少女Nのクリトリスをクンニの刺激だけでイカセた

さて、オオクンニヌシによって書かれた神待ち体験談を紹介することにしましょう。

オオクンニヌシの神待ちセックスについて具体的に語られている神待ち体験談は、オオクンニヌシがタチホコ(勃起矛神)名義で行った神待ちセックスについての神待ち体験談であり、オオクンニヌシによる神待ちセックスについて語られた数少ない貴重な資料でもあります。

この神待ち体験談は、タチホコ(オオクンニヌシ)が、出雲の神待ち掲示板を離れ、高志国の神待ち掲示板(山形県から福井県あたりの地域の神待ち掲示板です)で出会い交渉に成功した神待ち少女であるヌナクリヒメのもとまで出向き、ヌナクリヒメのクリトリスを激しくクンニリングスするまでの顛末を語っています。

ヌナクリヒメの「ヌ」には「宝玉」という意味があります。「ヌナクリ」というのは「ヌのクリ」を指す言葉でありますから、ヌナクリヒメという名前は、「宝石のようなクリトリスを持つ神待ち少女」を表しているということになります。

タチホコは、高志国の神待ち掲示板に、エロすぎる陰核を持つ神待ち少女、クリトリスが卑猥に拡大した神待ち少女がいると聞くやいなや、精液スクナビコナが運転する穴乃魔羅舟に乗って遠征してでも神待ち少女とセックスしよう、と決意することになりました。

神待ち掲示板でヌナクリヒメのアカウントと書き込みを見た瞬間、タチホコの陰茎は、その勃起矛神という名前に恥じぬフルボッキ状態になります。

タチホコは、まだ姿も見えぬ神待ち少女が肥大化したクリトリスを所有していると思うといてもたってもいられなくなり、まだ出会い交渉も成功させておらず、衣服も着たままだというのに我慢汁の分泌が止められなくなり危うく射精しかけるほどでもあったのですが、なんとか射精をこらえ、ヌナクリヒメのアカウントに出会い交渉をしかけます。

宝石のようなクリトリスを持つ神待ち少女であるヌナクリヒメのヌナクリをクンニリングスで刺激することがタチホコ(オオクンニヌシ)の生き甲斐ですから、出会い交渉にも自然と熱が入ります。

ヌナクリヒメは、タチホコの誘いに対して「今夜すぐに会うのは無理だ」と答えます。いまは自宅にいるが、あとで家出少女になるので、私はそれまでは神待ち少女ではない。私が神待ち少女として家出をするまで一晩だけ待っていてくれ、というのがヌナクリヒメの返答でした。

タチホコは、いますぐにでもヌナクリヒメのクリトリスを舐め回したいと思っていたのですが、明日になれば家出少女になってやるんだからそんなに焦ってくれるなよタチホコの神様よ、というヌナクリヒメからの返信を素直に受け入れることにします。

「翌日にはただの少女から神待ち少女に変わってみせる」というヌナクリヒメの言葉に嘘はなく、その日の夜に両親と喧嘩して家出の口実を作ってみせたヌナクリヒメは、翌朝家を飛び出して神待ち少女となり、「神」であるタチホコと待ち合わせをすることになります。

ヌナクリヒメのクリトリスは素晴らしく、タチホコは無我夢中になってヌナクリヒメの陰核を舐め回したと言われていますし、ヌナクリヒメもタチホコの卓越したクンニテクニックのまえで無力化し、あられもない嬌声をあげたそうです。

タチホコの神待ち体験談はクンニリングスの記述が主であり、他のプレイに関する記述は軽くにおわす程度の分量しか割かれておりませんので、タチホコとヌナクリヒメの間にはクンニリングスだけがあった、という風に思われがちですが、もちろん、ヌナクリヒメとタチホコはクンニリングスだけをして別れたのではありません。

タチホコの神待ち体験談を深く読み込み、解釈をほどこしていくと、どうやら、タチホコとヌナクリヒメの閨房においては、セックスにまつわるあらゆる行為が遂行されたらしい、ということが、近年の神待ち体験談研究によって明らかになってきました。

おそらくは、クンニリングスされながらのフェラチオであるところのシックスナインなどもプレイ内容に含まれていたのではないか、という研究結果から導かれて、タチホコは、ヌナクリヒメとの神待ちセックスにおいては、タチホコであるばかりでなく、同時にクンニツヌシシャクハチノカミ(六十九体勢貴神)でもあったのではないか、という意見も出ています。

ところで、タチホコは、神待ち掲示板で出会った成熟した神待ち女性を自分の正妻としてむかえていました。

女性器からつんとした刺激のあるマン臭を放つことからスメルビメと呼ばれていた神待ち女性であるタチホコの妻は、非常に嫉妬深い性格であり、タチホコが神待ち掲示板にいる神待ち少女とのセックスばかりを楽しんでいることをあまり快くは思っていませんでした。

ヌナクリヒメのクリトリスを舐めることができた、という喜びと同時に、この嫉妬深いスメルビメになんと言い訳するべきかということがタチホコの憂鬱な懸念でありました。実際、ヌナクリヒメに対するスメルビメの嫉妬はすさまじいものがあったので、タチホコは、一時的に出雲の神待ち掲示板から脱出して大和の神待ち掲示板に旅立つことにしました。

大和の神待ち掲示板に逃げる旅支度をすましたタチホコは、片手を陰茎にそえ、片足はピンと指先まで伸ばし、オナニーで性欲処理をしようとしながら、神待ち少女ではなく本当に愛しているのは神待ち女性のおまえ、スメルビメただ一人なのだ、ということを伝える歌を詠みました。タチホコの言い訳を要約すると以下のようになります。

「神待ち少女の未成熟の肉体にふれて少女の瑞々しい肌に自分の年老いた指先が重なり愛撫するのはどうにもアンモラルで似合わない。神待ち少女の女性器に陰茎をそわせてまだそれほど男を知らない膣中に挿入して腰を前後させてみてもどうにもぎこちない。

すでに酸いも甘いも知り尽くして世間の荒波にも揉まれ、幾人もの男性に陰茎を挿入された使い古された神待ち女性の膣中に挿入したり、次第に皺が増え、弾力が衰えてきた肉体を愛撫してみると、これはしっくりくる。

スメルビメ、私のかわいい神待ち妻よ。タチホコが神待ち少女を求めて旅立っていったとしても、自分は泣くことはあるまい、と君は言うけれども、セックスレスで刺激がご無沙汰なその膣で自慰を行いお前が流すであろう愛液から立ち上る霧こそが、私のために流す涙となろう。」

おおよそ、このようなことをタチホコはスメルビメに歌として伝えました。かなり自分勝手であり、妻の嫉妬を逆なでするような言い分です。

スメルビメはそれに対して以下のように答えることになりました。

「タチホコさま、オオクンニヌシさま、あなたのような『神』は、行く先々で若草のごとき神待ち少女とのセックスの機会が待ち受けているでしょう。私のほうはとうがたった神待ち女性ですから、神待ち掲示板を利用してみても、いまさらあなた以外の『神』を見つけることも難しいでしょう。

そうオナニーばかりしていないで、どうか、私の乳房を揉みしだき、その神待ち少女との数限りない性行為を通して身につけた性技が指先の隅々まで刻印されたあなたの手で私に手マンを施してください。ラブホテルぱるうあ出雲店の204号室の、帳が垂れさがるわきのベッド、クリーニングしたての白いシーツが立てる快い擦過音を聞きながら、どうか、私とあらためて神待ちセックスをしてください。

そんな神待ちセックスのまえには、神待ち掲示板で初めて出会ったあの頃のように、私の前で美味しいお酒を飲むのもいいですね。」

そして、タチホコ=オオクンニヌシは、スメルビメと出雲の居酒屋NAMIにしけこみ、盃を交わし、ぱるうあ出雲店で、スメルビメに数度の絶頂を与えて、神待ち少女であるヌナクリヒメに対するスメルビメの尋常ではない嫉妬を鎮めることになった、と言われています。

神待ち掲示板では島根の女性たちが神を探している

神待ち掲示板を使ってみると次第に明らかになってくるのですが、島根で神待ちをしている女性の数は想像以上に多いと言わざるを得ません。

島根の神待ち女性たちは、神待ち掲示板で神の登場をひたすら待ちわびているのです。

傾向としては、「神待ち女性」の数に比して「神」である男性の供給が足りない状況が続いているようにも感じられます。

島根の神待ち掲示板を使う神待ちの女性たちを放っておくわけにはいきません。

一人の男性であるという前に「神待ち女性」の「神」である私たちは、率先して神待ち女性にアプローチをしかけて、彼女たちに救いの手を差し伸べるべきなのではないでしょうか。

島根の神待ち掲示板をさまよう神待ち女性と出会って「神」になるタイミングは今をおいて他にはないかもしれません。

神待ち女性と泊まりたい島根のラブホテル

島根の神待ち掲示板で神待ち女性と出会った場合、自宅に泊めるというのもアリなのですが、個人情報漏洩や盗難被害などの危険性を考えると、ラブホテルを利用するに越したことはありません。

島根のラブホテルはそれほど数が多いわけではありません。松江に住んでいるか、出雲に住んでいるかで選択するホテルが違ってきますが、それぞれのホテルの数は均等です。

島根で神待ち女性を泊めるのであれば、“ぱるうあ松江店”、“ぱるうあ玉造店”、“ぱるうあ出雲”、“ぱるうあ斐川”といった系列のラブホテルをおさえておけば、まず間違いありません。

正直なところ、これだけで神待ちで使いやすい島根のラブホテルをすべて紹介したも同然なのですが、これらのラブホテルが満員で入れない、ということもあるかもしれませんので、他のラブホテルも見ていくことにしましょう。

“ホテル 風の音”ではラブホテルの空調から流れ込むイザナギの吐息を感じながら、「神」としての自分が志那都比古神になっていることをセックス中に実感できるかもしれません。

“アネックスたまゆ”では、神待ち女性の陰核が勾玉状に肥大化するさまを見てとれるでしょうし、「神」の男性の陰茎も天叢雲剣の如き屹立をすることになるでしょう。天叢雲剣ペニスは、神待ち女性の陰毛をかきわけて女性器に侵入した、という故事から、草薙剣ペニスと呼ばれることもあります。

玉造温泉のすぐ近くのラブホテルといえば“ホテル エデン”をピックアップしたいところですが、なぜ、島根でありながら「エデン」という名前を選んだのか、「高天原」にまつわる名前のほうが良かったのではないか、というような素朴な疑問が「神」から出ることも確かです。しかし、そのような取るに足らない疑問は、神待ち女性とのセックス中には極めてどうでもいいことになるでしょう。

両手に電動こけしを持って神待ち女性の股間を刺激することを得意とする神待ち掲示板の二刀流の「神」は“むさし”を利用することによって、神待ちの兵法を「地・水・火・風・空」の五巻に渡って練り上げることができるはずです。

神待ち掲示板で神待ち女性を検索するときの姿勢が、顔面が極端にスマートフォンに近づく猫背であり、出会い交渉の白熱に従って空いた方の手で指揮をとってしまうようなカナダのピアニストにも似た「神」であれば、神待ち掲示板の利用を通して「北」という主題が浮かび上がってくるのではないでしょうか。そんな「神」には“北物語”をオススメしたいと思います。

島根で「北」の主題を突き進めてしまった「神」のまえには荒々しい日本海の大自然が立ちはだかります。日本海を見つめながら思索を深めるもよし“HOTEL 日本海”に神待ち女性を連れ込むもよし、島根の「神」にとって日本海は行き止まりではなく、自由のはじまりです。